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唯一神はいつ立ち上がったか ― エルとヤハウェ、一神教の誕生をめぐって

旧約聖書の神は、はじめから唯一の神だったのか。エル、アシェラ、ヤハウェ。古代カナンには複数の神々がいた痕跡が残る。砂漠の砦から出土した碑文を手がかりに、多くの神々を背景とした世界から一つの神への信仰が立ち上がっていく、その長い過程をめぐる諸説を慎重にたどる連載第9話。

2026年6月20日

旧約聖書を貫く最大の主張は、神はただ一人であるという信仰である。「あなたには、わたしのほかに神があってはならない」。この峻厳な一神教こそ、ユダヤ教・キリスト教・イスラームという三つの大きな宗教が共有する根である。けれども、ここで歴史の問いが立ち上がる。この唯一の神への信仰は、はじめから完成したかたちで存在したのだろうか。それとも、多くの神々が崇められていた古代カナンの世界のなかから、長い時間をかけて立ち上がっていったのだろうか。今回は、聖書の本文と、砂漠から出土した碑文を手がかりに、一神教の誕生をめぐる慎重な議論をたどる。なお、ここで紹介するのはあくまで歴史学・宗教学の見方であり、信仰の正しさを裁くものではないことを、はじめにお断りしておく。

  1. 前2千年紀

    古代カナン・ウガリトの神話に、最高神エルや嵐の神バアル、女神アシェラなど複数の神々が登場する。

  2. 前13〜前12世紀頃

    イスラエルの民が歴史に姿を見せ始めたとされる時代。エジプトのメルエンプタハ碑文にイスラエルの名が刻まれる。

  3. 前9〜前8世紀

    シナイ半島北部のクンティレット・アジュルドの遺跡に、ヤハウェとその名を並べた碑文が残される。

  4. 前6世紀

    バビロン捕囚。異郷で、唯一神への信仰が思想として鋭く研ぎ澄まされていったと考えられている。

  5. 現代

    一神教がどのように成立したかをめぐり、宗教史・考古学の立場から多くの議論が続いている。

エルとヤハウェ ― 二つの神の名

旧約聖書の神には、いくつもの呼び名がある。なかでも重要なのが、エルとヤハウェという二つの名である。エルは、古代カナン世界で広く知られた最高神の名でもあった。前二千年紀の地中海東岸の都市ウガリトから出土した神話文書には、神々の父とされるエルや、嵐をつかさどるバアル、女神アシェラといった神格が描かれている。興味深いのは、聖書のなかにエルに由来する表現が数多く残されていることである。イスラエルという名そのものが、エルを含む語だとされる。族長アブラハムやヤコブが出会う神も、しばしばエルの系統の呼び名で語られる。

一方、ヤハウェは旧約聖書に固有の、その神を指す名前である。出エジプト記では、モーセに対してこの名が啓示される場面が描かれる。研究者のあいだでは、エルへの信仰とヤハウェへの信仰がもともと別の系統を持ち、それがやがて一つの神として結びついていったのではないか、という見方が広く論じられてきた。聖書を注意深く読むと、エルとヤハウェがすでに同一の神として語られている箇所が大半であるが、その背後に、異なる信仰が合流していった歴史の層を読み取ろうとする試みが続いているのだ。ただしこれは仮説の一つであり、断定はできない。

砂漠の砦が語ること ― 出土した碑文をめぐって

文献の議論を、思いがけないかたちで揺さぶったのが考古学の発見だった。シナイ半島北部の砂漠に、クンティレット・アジュルドと呼ばれる遺跡がある。おおむね前九世紀末から前八世紀ごろの、北イスラエル王国にかかわる隊商の中継地ないし砦とされる場所である。ここで出土した大型の貯蔵壺や壁の漆喰には、いくつかの祝福のことばが書き残されていた。そのなかに、ヤハウェの名と、アシェラという語を並べて記した一節が含まれていたのだ。

この碑文をどう読むかをめぐって、研究者の見解は鋭く分かれている。アシェラを女神そのものと解し、当時の一部の人々がヤハウェに女神を伴わせて崇めていた痕跡だと見る立場がある。他方で、アシェラはここでは女神の名ではなく、ヤハウェ崇拝に付随した聖なる木や祭具を指すのではないか、とする読み方もある。どちらが正しいかは、いまも決着を見ていない。確実に言えるのは、少なくとも碑文が書かれた時代と場所において、ヤハウェへの信仰が、後の聖書が理想とするような純粋な一神教のかたちとは異なる姿を含んでいたらしい、ということである。一つの神への信仰は、現実の歴史のなかでは、揺れや幅をともないながら徐々にかたちを整えていったと考えられている。

なお、聖書そのものも、こうした多様な神々への崇拝が現実にあったことを、否定的にではあれ繰り返し記している。預言者たちが繰り返しバアルやアシェラへの礼拝を厳しく非難しているのは、裏を返せば、そうした崇拝が当時の社会に根強く残っていたことの証言とも読めるのだ。

一つの神へ ― 立ち上がりの長い道のり

では、純粋な一神教はいつ、どのように立ち上がったのだろうか。これについても諸説あるが、しばしば重要な節目として語られるのが、前六世紀のバビロン捕囚である。王国を失い、神殿を奪われ、異郷の地に連れ去られた民にとって、自分たちの神とは何者なのかという問いは、避けようのない切実さを帯んだ。土地や王や神殿に支えられていた信仰が崩れたとき、かえって、どこにいても、すべてを超えてただ一人の神が在るという思想が研ぎ澄まされていった――そう論じる研究者は少なくない。多くの神々のうちの一柱としてヤハウェを最も篤く崇める段階から、ヤハウェ以外に神は存在しないという徹底した一神教へ。この移り変わりは、一夜にして起きたのではなく、何世紀もの経験と思索の積み重ねの果てに立ち上がったものだと見られている。

ここで強調しておきたいのは、こうした歴史的な見方が、信仰の真偽とは別の次元に属するということである。一神教がいつ成立したかという問いは、神が存在するかどうかという問いとは異なる。歴史学が描くのは、人間の社会のなかで信仰がどのようなかたちをとって現れ、変化していったかという過程である。その過程を知ることは、信仰を持つ人にとっても、持たない人にとっても、この巨大な書物をより深く理解する助けになるはずである。

日本では、こうしたヘブライ語聖書の神名をめぐる研究は、明治以降の聖書翻訳の歴史とも深く結びついてきた。神の名をどう日本語に移すかは、訳者たちが長く頭を悩ませた難題だった。エルやヤハウェといった固有の名を、いかに日本語の信仰風土のなかで言い表すか。その工夫の跡は、いまも複数ある日本語訳聖書の表現の違いに残されている。多くの神々を背景としながら一つの神への信仰が立ち上がっていったこの長い物語は、やがて、その神を奉じる民が一つの王国を打ち立てる時代へとつながっていく。次回は、士師たちの時代から最初の王の登場、そして統一王国の史実性をめぐる論争へと歩みを進めよう。

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