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葦の海を渡る ― 出エジプトと、史実をめぐる問い

重い労役に苦しむ民を率い、モーセは海を渡る。出エジプトは旧約聖書を貫く中心の物語であり、解放の象徴として語り継がれてきた。一方で、その出来事を確実に裏づける外部史料は乏しい。文学としての力と、歴史としての慎重な問いを、どちらも手放さずに読む連載第6話。

2026年6月20日

前回までで、私たちは原初の創造から族長たちの旅、そして一族がエジプトへ下るまでをたどってきた。今回はいよいよ、旧約聖書全体を貫く中心の物語へと進む。重い労役のもとに置かれた民が、一人の指導者に率いられて大国エジプトを脱出し、海を渡って自由へと向かう――出エジプトの物語である。これは旧約聖書のなかでもっとも繰り返し語り直され、後世の解放思想にまで影響を与えた、巨大な象徴である。同時に、その出来事を歴史としてどこまで確かめられるのかという問いも、長く議論されてきた。文学としての力と、歴史としての慎重さ。今回はその両方を手放さずに読んでいく。

  1. 前13世紀頃

    ラムセス2世らが治めたエジプト新王国の時代。出エジプトの伝承が結びつけられることが多いが、年代には諸説ある。

  2. 前1208年頃

    メルエンプタハの碑文に「イスラエル」の名が刻まれる。この民への現存最古の言及とされる。

  3. 前6世紀

    バビロン捕囚の前後に、出エジプト記が現在に近い形へ編まれていったとする見方がある。

  4. 前2〜前1世紀

    過越の祭りなどを通じ、出エジプトの記憶がユダヤ教の中心的な物語として定着していく。

  5. 現代

    出エジプトの史実性については、規模や年代をめぐって研究者の見解が分かれている。

葦のあいだから救われた子

物語は、エジプトで増え広がったイスラエルの民が、王に警戒され、重い労役を負わされる場面から始まる。王は民の男児を殺すよう命じるが、ある母は赤子を籠に入れてナイルの岸辺の葦のあいだに隠する。その子を拾い上げ、育てたのが、ほかならぬ王の娘だった。こうして宮廷で育った子に与えられた名がモーセである。救い出される者が、やがて民全体を救い出す者となる――その逆転が、名の由来とともに物語の冒頭に置かれている。

成人したモーセは、同胞が打たれるのを見て手を下し、エジプトを逃れて荒れ野で羊飼いとなる。そこで彼は、燃えても燃え尽きない柴の前で、民を導き出せという声を聞いたとされる。ためらいながらも引き受けたモーセは、エジプトへ戻り、王に民を去らせるよう求める。王はこれを拒み続け、エジプトを次々と災いが襲ったと語られる。やがて最後の災いののち、王はついに民を去らせる。こうして大いなる脱出が始まるのだ。

海が分かれた、その場所

脱出した民を、王はやがて追う。前方には海、後方には戦車の軍勢。絶体絶命のその時、モーセが手を差し伸べると海が分かれ、民は乾いた海底を渡り、追ってきた軍勢は閉じた水にのまれた――これが、旧約聖書のなかでもとりわけ名高い場面である。なお、この海はしばしば「紅海」と訳されてきましたが、原語はむしろ「葦の海」を指すとする理解が広く知られており、具体的にどの水域だったのかについては諸説あって、特定は難しいとされている。

この海を渡る場面は、解放の物語の頂点として、後世の絵画や音楽、文学に繰り返し描かれてきた。とりわけ、抑圧からの解放を願う人々にとって、海を渡るイメージは強い希望の象徴となってきた。出来事の細部をどう受けとめるかは別として、この情景が人類の文化に刻んだ印象の深さは、はかりしれない。

外の史料は、何を語るか

では、この劇的な物語を、歴史としてどこまで確かめられるのだろうか。ここで慎重さが求められる。結論から言えば、出エジプトの出来事を直接裏づける同時代のエジプト側の記録は、今のところ見つかっていない。聖書には民が「ピトムとラムセス」という町の建設に使われたという記述があり、これを手がかりにラムセス2世の時代を背景に想定する見方がかつて有力だった。ただし、聖書中の王を特定の人物に確実に同定できるわけではなく、年代や規模についても研究者の見解は分かれている。

一方で、まったく無関係というわけでもない。ラムセス2世の次の王メルエンプタハが残した碑文には、「イスラエル」という名が刻まれており、これは前13世紀末ごろにカナンの地にイスラエルと呼ばれる人々が存在したことを示す、現存最古の言及とされている。これは出エジプトそのものを記録したものではありませんが、この時代の地にイスラエルという集団がいたことをうかがわせる、重要な手がかりである。こうした断片から、研究者のなかには、聖書が語るような何百万もの規模ではなく、ごく小さな集団の移動や記憶が、長い年月のなかで民全体の解放の物語へと育っていったのではないか、と推測する人もう。ただしこれもあくまで一つの見方であり、確実な結論ではない。

日本では、出エジプトの物語はキリスト教の伝来とともに知られ、明治以降の聖書翻訳を通じて広く読まれるようになった。海を渡る解放の場面は、近代日本の文学や音楽のなかにも、自由への憧れのイメージとしてしばしば反響している。

海を渡った民を待っていたのは、しかし、ただちなる自由ではなかった。荒れ野の旅と渇き、飢え、そして指導者への不満。そして物語は、シナイと呼ばれる山のふもとへと進む。そこで民は、一つの掟と契約を授かることになる。次回は、その十戒とシナイ契約を、古代オリエントの法という大きな文脈のなかに置き直して読んでいきよう。

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