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十戒と契約 ― 古代オリエントの法、そして近代への遠い影

シナイの山で授けられた十戒は、人と神とのあいだに結ばれた契約として描かれる。それより古いハンムラビ法典など、古代オリエントには多くの法が先立っていた。共通点と相違点をたどりながら、聖書の律法が後世の法や倫理に残した遠い影を読む連載第7話。

2026年6月20日

海を渡った民は、荒れ野を進み、シナイと呼ばれる山のふもとにたどり着く。そこでモーセは山に登り、民が守るべき掟を授かったとされる。なかでも有名なのが、十の言葉――いわゆる十戒である。神を敬うこと、人を殺さないこと、盗まないこと、偽りの証言をしないこと。簡潔なこれらの戒めは、人と神とのあいだに結ばれた契約という枠組みのなかで語られる。今回は、この十戒とシナイ契約を、それより古い古代オリエントの法という大きな文脈のなかに置き直して読んでいく。律法は孤立して生まれたのではなく、長い法の伝統のなかで形をとったものだったのだ。

  1. 前18世紀頃

    バビロンの王ハンムラビが法典を石柱に刻ませる。古代オリエントの代表的な成文法として知られる。

  2. 前2千年紀後半

    ヒッタイトなどの大国が、属国との関係を定める条約文書を残す。後の契約理解との類似が論じられる。

  3. 前13世紀頃

    シナイ契約と十戒の伝承が結びつけられることの多い時代。確実な年代の特定は難しいとされる。

  4. 1901〜1902

    ハンムラビ法典の石柱がスサで発見される。聖書の律法との比較研究が一気に進む契機となった。

  5. 近代以降

    十戒の倫理は西洋の法思想や人権理念の源流の一つとしてしばしば語られる。

山で授かった、十の言葉

十戒の内容は、大きく二つの部分に分けて読むことができる。前半は、神との関わりについての戒めである。ほかの神々を拝まないこと、神の名をみだりに口にしないこと、安息日を守ること。後半は、人と人との関わりについての戒めである。父母を敬うこと、殺さないこと、姦淫しないこと、盗まないこと、偽証しないこと、他人のものを欲しがらないこと。短く、覚えやすく、しかし射程の広いこれらの言葉は、後世、倫理の基本的な要約として、繰り返し引かれてきた。

ここで注目したいのは、十戒が単なる禁止事項のリストではなく、契約という枠組みのなかに置かれている点である。物語のうえでは、神が民をエジプトの隷属から導き出し、その恵みに応えて民がこの掟を守る、という関係が結ばれる。掟は一方的な命令というより、両者を結ぶ約束として描かれているのだ。この「契約」という発想こそ、旧約聖書を貫く中心の主題の一つであり、後の預言者たちの言葉も、この契約をめぐる緊張のなかで響いていくことになる。

ハンムラビ法典という先行者

十戒を含む聖書の律法を理解するうえで欠かせないのが、それより古い古代オリエントの法の存在である。なかでも名高いのが、バビロンの王ハンムラビが前18世紀頃に刻ませたとされる法典である。その石柱は1901年から1902年にかけてスサで発見され、現在はパリのルーヴル美術館に収められている。そこには、財産や商取引、家族、傷害をめぐる多くの条文が、具体的な事例の形で記されている。

この法典で広く知られるのが、いわゆる「目には目を、歯には歯を」という原則である。これはしばしば残酷な復讐の掟と誤解されるが、研究者の多くは、むしろ過剰な報復に歯止めをかけ、損害に見合った償いを定める考え方だったと説明する。被害を受けた以上の仕返しを禁じ、釣り合いを求める――そう読むと、これは無秩序な私的報復を抑える、一種の秩序の原理だったことになる。興味深いことに、よく似た同害報復の原則は、聖書の律法のなかにも見いだせる。古代オリエントには、傷害には釣り合った償いをという共通の法感覚が広く分布していたと考えられているのだ。

似ているところ、違うところ

では、聖書の律法と古代オリエントの法は、どこが似て、どこが違うのだろうか。共通点は、いま見たような具体的な事例にもとづく条文の形式や、釣り合いを重んじる感覚にある。聖書の律法もまた、古代オリエントという広い法文化のなかで形をとったものであり、孤立した発明ではなかった。

一方で、しばしば指摘される違いもある。ハンムラビ法典は、王ハンムラビが太陽神から正義をゆだねられたという体裁をとるが、法そのものは王が定めたものとして示される。これに対し聖書の律法は、神自身が民に直接与えた掟として描かれ、神との契約のなかに位置づけられる。また、研究者のなかには、聖書の律法では身分による刑罰の差が相対的に小さいといった特徴を指摘する人もう。ただし、こうした対比はしばしば強調されすぎる傾向もあり、両者は対立するというより、共通の土壌のうえで重なり合い、それぞれの強調点を持っていたと見るのが穏当だろう。研究者のあいだでも、契約の形式が古代の条約文書と似ているといった指摘をめぐって、議論が続いている。

こうした古代の律法は、長い時を経て、近代の法や倫理にも遠い影を落としている。十戒に含まれる「殺すな」「盗むな」「偽証するな」といった戒めは、その後の西洋社会で道徳教育の基礎として繰り返し用いられ、人権や法の支配という近代の理念を語るときにも、しばしばその源流の一つとして言及されてきた。もっとも、近代の法や人権思想は、ギリシャ・ローマの伝統や啓蒙思想など多くの源から成り立っており、聖書の律法をその唯一の起源とするのは行き過ぎである。あくまで、長い影響の連なりのなかの一つの糸として捉えるのが妥当だろう。

日本では、十戒は明治期の聖書翻訳やキリスト教教育を通じて知られるようになり、「目には目を」という句は、いまでは原典の文脈を離れて日常の慣用句としても用いられている。言葉が国境と時代を越えて生き続ける、その一例と言えるだろう。

契約を授かった民は、しかし約束の地へまっすぐには進みなかった。長い荒れ野の放浪と世代の交代を経て、物語はついに、約束の地の国境の前に立つ。次回は、ヨシュア記が語る征服の物語と、そこに記された苛烈な命令をどう読むかという、重い問いに向き合っていく。

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