岐路に立つ欧州 — EUの未来
2022年、ウクライナで戦争が起きた。EUは制裁とエネルギー危機に直面しながら結束を見せ、ウクライナを加盟候補国に迎える。拡大と深化のジレンマ、ポピュリズムと結束のはざまで、二度と戦争をしないために始まった平和の実験は次にどこへ向かうのか。連載最終章。
2026年6月13日
前回、私たちはブレグジットという衝撃を見た。ひとつの国が統合の輪を去り、EUははじめて縮んだ。ポピュリズムのうねりのなかで、統合の理想と、それに納得しきれない人々の声が、簡単には解けない緊張をかかえたまま残されたのだ。
その揺らぎが冷めやらぬうちに、誰もが恐れていた事態が現実になった。2022年、ヨーロッパのすぐ隣で、本物の戦争が始まったのだ。二度と戦争をしないために生まれたはずのこの大陸で、統合という実験はもっとも重い試練を迎える。連載の最後となるこの章では、その出来事と、そこから見えてくるEUのこれからを、答えを急がずに見渡してみたいと思う。
戦争が隣に来た日 — 結束と制裁
2022年2月、ロシアがウクライナへ侵攻した。第二次大戦以来、ヨーロッパで最大規模ともいわれる戦争が、EUの目の前で起きたのだ。
多くの人が、EUはこの危機の前で割れてしまうのではないかと案じた。エネルギーをロシアに頼る国、地理的に近い国、遠い国――それぞれの利害は異なる。けれども、ふたを開けてみれば、EUは予想以上の結束を見せた。加盟国は足並みをそろえてロシアへの制裁を重ね、ウクライナへの支援を続ける。難民を受け入れ、人道的な手を差し伸べた。長く距離を保ってきた防衛の分野でも、協調の動きが見られるようになる。
ロシアと一線を画す動きは、安全保障の地図そのものを描きかえた。長らく中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンが、この戦争を受けて軍事同盟NATOへの加盟を申請したのだ。フィンランドは2023年に加盟し、スウェーデンもその後に続いたと報じられている。ヨーロッパの安全保障の前提が、わずかな期間で大きく動いたのだった。
理想と痛みのあいだで、EUはそれでも歩みを止めなかった。完璧な一致ではなく、ためらいや温度差をかかえながらの結束である。けれど、危機のなかで足並みをそろえようとしたこと自体が、この共同体の到達点を物語っていたともいえる。
拡大と深化のジレンマ — ウクライナという問い
戦争のさなか、EUは象徴的な決断を下する。2022年6月、ウクライナとモルドバに加盟候補国の地位を与えることを承認したのだ。攻撃を受ける国に「あなたはヨーロッパの一員だ」という意思を示す、強いメッセージだった。
けれども、この決断はEUがずっとかかえてきた古いジレンマを、あらためて表に引き出した。「拡大」と「深化」のジレンマである。
- 2022
2月、ロシアがウクライナへ侵攻。EUは制裁とウクライナ支援で結束を見せる。
- 2022
欧州委員会がロシア産化石燃料への依存脱却の方針を提示し、エネルギー危機に対応。
- 2022
6月、EUがウクライナとモルドバを加盟候補国として承認したと報じられる。
- 2023
フィンランドがNATOに加盟。中立国の選択が安全保障の地図を変える。
拡大とは、仲間の国を増やしていくこと。深化とは、加盟国どうしの結びつきを強め、共通の決定を増やしていくことである。この二つは、しばしば引っぱり合う。国の数が増えるほど、意見をまとめるのは難しくなる。とりわけ重要な決定で全会一致が求められる場面では、一国の反対が全体を止めてしまうことすらある。だからこそ、足並みをそろえやすくするために結束を深めたい。けれど深めすぎれば、各国が大切にする主権との摩擦が強まる――ブレグジットが示したのは、まさにその摩擦の行きつく先だった。
ウクライナのような大きな国を将来迎え入れるとなれば、このジレンマはいっそう重くなる。EUは仲間を広げながら、同時に意思決定の仕組みをどう作りかえていくのか。拡大の理想と、運営の現実のあいだで、答えはまだ模索のただ中にある。
平和の実験は、次にどこへ — 結びにかえて
この連載で、私たちは長い道のりをたどってきた。二度の大戦の廃墟に芽生えた「二度と戦争をしないため」という夢。石炭と鉄を共同で管理するという発想から始まり、市場を一つにし、通貨を一つにし、東へと扉を開いた歩み。その途上には、ユーロ危機の南北対立があり、ブレグジットという縮小があり、そしてふたたび隣にやってきた戦争があった。
EUを、未完の壮大な成功と見る人がう。長く争い続けた国々が、戦争という手段を捨て、机を囲んで物事を決めるようになった。その一点だけでも、人類史にまれな達成だと。一方で、EUを民主的な正統性の弱い、遠く冷たい官僚機構と見る人もう。重要なことが手の届かない場所で決められ、暮らしの実感とかけ離れている、と。どちらの見方も、この共同体の一面を正しくとらえているのだろう。光と影は、はじめから分かちがたく結びついていた。
ポピュリズムのうねりは今も各地でEUを揺さぶり、加盟国のあいだの足並みは、しばしば乱れる。それでも、戦争という危機を前にしたとき、この共同体は壊れるのではなく、寄り添うことを選んだ。完璧な一致ではない、痛みをかかえた結束を。平和を当たり前のものとして守り続けることが、いかに重く、終わりのない営みであるか――EUの歩みは、そのことを静かに語りかけているように思える。
統合という実験が、この先どこへ向かうのか。さらに広がるのか、より深く結びつくのか、それともまた別の試練に揺れるのか。その答えを、いまの私たちはまだ持っていない。けれど、廃墟から始まったひとつの夢が、戦争を越えてここまで続いてきたという事実そのものが、未来を考えるための確かな手がかりになるはずである。
長いあいだ、この欧州統合の物語におつきあいくださり、ありがとうござった。歴史は答えを出してはくれませんが、問いを贈ってくれる。あなたが受け取った問いを胸に、これからのヨーロッパを――そして世界を――ともに見つめていけたらと願っている。
【EU史 ― 戦争を越えた欧州統合の物語・完】
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