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ブレグジット — 離脱という衝撃

移民・主権・EU懐疑論の高まりのなか、2016年の国民投票でイギリスは離脱を選んだ。2020年の正式離脱はEU史上初の縮小となる。ポピュリズムの時代に、ひとつの島国が下した決断とその功罪を、賛否どちらにも与せず中立に見つめる。

2026年6月13日

前回、私たちはユーロ危機のなかで南北の溝が深まり、緊縮をめぐる対立がEUへの不信を静かに育てていく様子を見た。共通の通貨が結束を試すなかで、人々の心には「遠いブリュッセルに、自分たちの暮らしを決められている」という感覚が芽生えていく。

その不信が、もっとも劇的な形で噴き出した国があった。イギリスである。大陸から海を隔てた島国は、もともと統合に半身の構えを取り続けてきた。ユーロには加わらず、国境管理の共通化からも距離を置く。そんな国で、ある日、EUに残るか出るかを国民みずからが選ぶ日がやってくる。この章では、ブレグジットと呼ばれることになる離脱の物語を、賛成にも懐疑にも与せず、できるだけ静かにたどってみたいと思う。

半身の島国 — イギリスとEUの距離

イギリスとヨーロッパ統合の関係は、最初からどこかぎくしゃくしていた。第三話で見たように、共同市場が動きはじめた当初、イギリスは加盟に消極的だった。やがて参加を望んだときには、フランスのドゴール大統領に二度も拒まれ、ようやく加盟がかなったのは1973年のことである。

加わってからも、イギリスは独自の立場を保ち続けた。共通通貨ユーロには参加せず、自国の通貨ポンドを守る。人の移動を自由にするための国境協定からも距離を置く。EUに貢献金を払いすぎているという不満は古くからくすぶり、一部を払い戻してもらう特別な仕組みまで設けられていた。統合の輪のなかにいながら、いつも片足を外に置いているような――そんな立ち位置だったといえる。

この距離感の底には、長い歴史と島国ならではの感覚があった。かつて世界に広がる帝国を築いた記憶、議会の伝統への誇り、そして大陸とは異なる道を歩んできたという自負である。大陸の国々が「二度と戦争をしないため」に主権を持ち寄ろうとしたのに対し、イギリスでは「自分たちのことは自分たちで決める」という主権の感覚が、より強く残っていたとされる。

国民投票へ — 移民・主権・EU懐疑論

2000年代から2010年代にかけて、イギリス国内ではEUへの不満が高まっていく。背景にはいくつかの要素が絡み合っていた。

ひとつは移民の問題である。EUの域内では人が自由に行き来できるため、東欧などからの労働者がイギリスへ多く流入した。経済の担い手として歓迎する声がある一方で、賃金や公共サービス、地域の暮らしへの影響を不安に感じる人々も少なくなかった。もうひとつは主権をめぐる感覚である。漁業や規制、予算など、多くの決定がブリュッセルで下されることへの反発が、「決定権を取り戻そう(テイク・バック・コントロール)」という言葉に凝縮されていく。ユーロ危機を経て高まった統合そのものへの懐疑も、この流れを後押しした。

こうしたなか、キャモロン政権はEUとの関係を見直すと約束し、残留か離脱かを国民に直接問う投票を行うことを決める。2016年6月23日、その日がやってきた。

僅差の結果は、勝者なき勝利のようでもあった。離脱を望んだ人々にとっては主権の回復を意味し、残留を望んだ人々にとっては取り返しのつかない損失に映る。同じ国のなかで、まったく異なる未来像が交差したのだ。

三年半の混乱 — 合意なき離脱の瀬戸際

国民投票は、あくまで方向を示すものだった。実際にEUを離れるための手続きは、そこから長い難航の道のりとなる。

EUの基本条約には、加盟国が脱退するための条文が定められている。イギリスは2017年にこの条文にもとづいてEUへ離脱を正式に通告し、二年を区切りとする交渉が始まった。けれども、交渉はたびたび行きづまる。最大の難問のひとつが、イギリス本土とつながる北アイルランドと、EUに残るアイルランドとの国境をどう扱うかという問題だった。かつて深刻な対立を経験したこの地域で、ふたたび物理的な国境を設けることは避けたい。しかし国境がなければ、人やモノの管理をどうするのか。この難題が、交渉を何度も漂流させた。

イギリス国内の議会も割れに割れた。離脱の条件をめぐる合意案は議会で繰り返し否決され、首相が交代する事態にもなる。一時は、何の取り決めもないまま離脱する「合意なき離脱」の瀬戸際にまで近づいた。

最終的に、ジョンソン政権のもとで離脱協定がまとまる。北アイルランドについては、EUの規則を一部適用し続けることで陸の国境を避けるという、複雑な妥協が図られた。この取り決めはのちに新たな摩擦の火種にもなるが、ともあれ離脱への道筋が定まったのだ。

  1. 1973

    イギリスが欧州共同体(EC)に加盟。当初から統合に半身の構え。

  2. 2016

    6月23日の国民投票で離脱が51.9パーセントと多数を占めたと報じられる。

  3. 2017

    EU基本条約の脱退条項にもとづき、イギリスが離脱を正式に通告。

  4. 2020

    1月31日にイギリスが正式に離脱。EU史上初の加盟国の離脱・縮小となる。

  5. 2020

    12月31日に移行期間が終了し、新たな関係へ移行。

縮んだEU — 功罪はまだ定まらない

2020年1月31日、イギリスは正式にEUを離れた。一つの国が統合の輪から去るのは、EUの歴史で初めてのことだった。広がり続けてきた共同体が、はじめて縮んだ瞬間である。離脱の直後には移行期間が設けられ、その年の末まで多くの仕組みがそのまま続けられた。そして2020年12月31日、移行期間も終わり、イギリスとEUは新しい関係へと踏み出する。

ブレグジットがイギリスにとって、そしてEUにとって何をもたらしたのか――その評価は、今もはっきりとは定まっていない。離脱を支持した人々は、自国のことを自国で決める主権を取り戻したと語る。独自の通商政策や規制を持てるようになった意義を強調する声もある。一方で、貿易の手続きが増えて経済に負担が生じた、人手不足や物流の混乱を招いた、といった指摘も少なくない。北アイルランドの扱いや、スコットランドの独立論など、連合王国の一体性に新たな問いを投げかけたとも言われる。どちらの見方にも根拠があり、功罪を一つの物差しで測ることはむずかしいのが実情である。

EUの側にとっても、ブレグジットは重い問いを残した。加盟国が出ていくこともありうるという現実は、統合の歩みが後戻りしないものではないことを示した。同時に、離脱の混乱を間近に見たことが、残った国々をかえって結束させた面もあるとされる。EUに不満を持つ人々が各国にいるなかで、「では出ていけば幸せになれるのか」という問いを、ブレグジットは一つの実例として突きつけたのだ。

ポピュリズムと呼ばれる、既存の政治やエリートへの強い反発のうねりは、この時期、ヨーロッパのあちこちで存在感を増していた。ブレグジットは、その流れのなかで起きた、もっとも大きな出来事のひとつだったといえるだろう。統合の理想と、それに納得しきれない人々の声――その緊張は、簡単には解けないまま残された。

そして、まだ傷の癒えないEUのすぐ隣で、誰もが恐れていた事態が現実になる。二度と戦争をしないために始まったはずのこの大陸に、ふたたび本物の戦火が迫るのだ。

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