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同盟から敵対へ ― 第二次大戦と中国革命

日本という共通の敵を前に、アメリカと中国は同盟を組んだ。だが戦争が終わると中国では革命が起き、新たに生まれた中華人民共和国はアメリカと朝鮮半島で正面から銃を交える。盟友から敵へ、わずか数年の暗転をたどる。

2026年6月12日

1941年の中国の空に、奇妙な飛行機の群れがいた。

機首には、大きく開いた鮫の口が描かれていた。操縦していたのはアメリカ人のパイロットたちだ。彼らは中国の依頼で集められた義勇飛行隊、のちにフライング・タイガースと呼ばれる部隊だった。日本軍の航空機を相手に、彼らは中国の空を守った。

太平洋の両岸で互いを警戒しあっていた二つの大国は、このとき確かに肩を並べていた。共通の敵がいたからだ。日本である。だがこの蜜月は長くは続かない。戦争が終わったとき、中国そのものが、まったく別の国へと姿を変えてしまうのだから。

共通の敵を前にして

日中戦争が泥沼化するなか、アメリカは中国を支えた。

蒋介石率いる国民政府は、内陸の重慶に首都を移して抵抗を続けていた。海の補給路を断たれた中国にとって、命綱はビルマからつづく一本の山道だった。援蒋ルート、あるいはビルマ・ロードと呼ばれたこの補給路を、アメリカは物資で支え、フライング・タイガースはその上空を守った。

1941年12月、日本が真珠湾を攻撃すると、アメリカと中国は正式な連合国の一員として、共に日本と戦う関係になった。かつて移民を締め出し、市場の門戸開放を迫った相手と、今度は同盟を組む。アメリカ社会のなかで、中国は「共に戦う勇敢な味方」として描かれた。広大な大陸で日本軍の大部分を引きつけてくれる中国は、アメリカの戦略にとって欠かせない存在だった。1943年、半世紀以上つづいた中国人排斥法がついに撤廃されたのも、戦時下で同盟国の士気を支えるという事情が大きかった。

このころ、アメリカ人の中国への親しみは一つの頂点に達していた。蒋介石の妻・宋美齢はアメリカ議会で演説し、流暢な英語で日本との戦いへの支援を訴え、聴衆を魅了した。雑誌や新聞は、勇敢に侵略者に立ち向かう中国の姿を繰り返し伝えた。19世紀以来くすぶっていた「中国を導き、助ける」という使命感が、戦争という舞台でいっとき美しく花開いたのである。

けれど、この同盟には初めから影があった。アメリカが支えた蒋介石の国民政府は、腐敗と内部対立を抱えていた。そしてその足元には、もう一つの中国が育っていた。毛沢東率いる中国共産党である。

革命、そして新しい中国

日本が降伏すると、中国は休む間もなく内戦へ突入する。

国民党と共産党。抗日のあいだ手を組んでいた二つの勢力が、今度は中国の支配権をめぐって激突した。アメリカは国民政府を支援したが、共産党は農村に深く根を張り、民衆の支持を広げていった。戦況は次第に共産党側へ傾く。1949年4月、共産党軍は国民政府の首都・南京を制圧した。

  1. 1941

    フライング・タイガースが中国の空で日本軍と戦う。同年末、真珠湾攻撃で米中が連合国に

  2. 1943

    半世紀以上つづいた中国人排斥法が撤廃される

  3. 1949

    10月1日、毛沢東が中華人民共和国の建国を宣言。蒋介石は台湾へ

  4. 1950

    朝鮮戦争勃発。10月、中国人民志願軍が参戦し米軍と激突

  5. 1953

    7月27日、板門店で朝鮮休戦協定が調印される

そして1949年10月1日、北京の天安門の壇上に立った毛沢東が、中華人民共和国の建国を宣言した。新しい国の主席には毛沢東、実務を仕切る総理には周恩来が就いた。敗れた蒋介石は、政府と軍とともに台湾島へ渡る。一つの中国が、海峡をはさんで二つに割れた瞬間だった。

新しく生まれた中華人民共和国は、ソ連と手を結ぶ道を選んだ。毛沢東はモスクワを訪れ、スターリンと同盟条約を結ぶ。冷戦の世界地図のなかで、中国ははっきりとアメリカの反対側に立った。わずか数年前まで肩を並べて日本と戦った二つの大国は、こうしてイデオロギーの壁の両側へと分かれていく。

アメリカ国内では、中国を「失った」責任をめぐる魔女狩りのような追及が始まった。中国の現実を率直に報告していた外交官や専門家たちが、共産主義に甘かったとして職を追われた。その結果、アメリカ政府からは中国を冷静に理解する目が失われ、相手を実態以上に一枚岩の脅威として見る傾向が強まっていく。誤解は、こうして制度のなかに組み込まれていった。

朝鮮半島での衝突

そして両国は、ついに直接、銃を交えることになる。舞台は朝鮮半島だった。

1950年6月25日、北朝鮮が南へ侵攻し、朝鮮戦争が始まった。アメリカは国連軍を組織して反撃し、9月の仁川上陸で戦局を一気にひっくり返す。国連軍は北へ進撃し、中国との国境を流れる鴨緑江へと迫った。

この動きに、生まれたばかりの中国は強い危機感を抱いた。国境のすぐ向こうまでアメリカ軍が来ることは、新政権にとって座視できない脅威だった。1950年10月、中国は人民志願軍を派兵する。彭徳懐が率いる中国軍は、国連軍と正面からぶつかった。

朝鮮戦争は、米中関係に深い傷を刻んだ。アメリカは中国を、ソ連と結んだ危険な共産勢力とみなすようになる。中国は中国で、世界最強の軍隊と互角に渡りあった経験を、新生国家の誇りとして記憶した。

二十年の沈黙へ

戦火がやんだあと、両国のあいだに残ったのは、長く厚い壁だった。

アメリカは台湾の国民政府を「中国の正統な政府」として承認しつづけ、北京の中華人民共和国を国家として認めなかった。外交関係はなく、貿易もなく、人の往来も途絶えた。太平洋をはさんで向かいあいながら、二つの大国は互いを敵としてにらみ合う。その状態が、二十年以上にわたって続くことになる。

19世紀末の非対称な出会いから始まった物語は、同盟という束の間の接近を経て、いま完全な敵対へとたどり着いた。希望も善意も、冷戦の論理の前にかき消されたかに見えた。

だが歴史は、そう単純に進まない。やがて中国とソ連のあいだに深刻な亀裂が走るとき、アメリカと中国は、誰も予想しなかった形で再び向きあうことになる。共通の敵が一度は両国を結びつけたように、もう一つの共通の敵が、凍りついた関係を溶かしはじめるのだ。

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