株のこれから
NISAという制度が個人投資の裾野を広げ、つみたてと分散という地味な考え方が静かに浸透した。暗号資産という新しい資産が現れ、AIが市場を読み始めている。400年の旅の終わりに、人間と市場の関係はどこへ向かうのかを、答えを急がずに見渡す最終話。投資の推奨ではなく、歴史と教養として。
2026年6月13日
前回、私たちは市場の主役が人から機械へと移り変わり、その一方で、ネット証券とインデックス投資が、ふつうの個人をふたたび市場へと招き入れていく様子を見た。1000分の1秒を争う見えないアルゴリズムと、画面の前でこつこつ資産を積み上げる無数の個人。この二層構造のなかから、市場は新しい時代へと足を踏み入れようとしている。
この最終章では、その「これから」を見渡する。制度が個人投資の裾野を広げ、暗号資産という前例のない資産が現れ、AIが市場の判断にまで関わりはじめた今、人間と市場の関係はどこへ向かうのか。400年前、オランダの港町で生まれたリスクを分け合う知恵から始まったこの長い旅の終わりに、私たちはあえて結論を急がない。いくつかの兆しと、それにまつわる問いを並べて、その先を一緒に考えてみたいと思う。これは投資をすすめる話ではなく、株という営みを教養として見つめ直す試みである。
制度が招く、個人投資の時代 ― NISAという入り口
近年、日本で投資への関心が一気に高まった背景には、ある制度の存在がある。NISA、すなわち少額投資非課税制度である。
通常、投資で得た利益には税金がかかるが、この制度では、一定の枠のなかで得た利益に税金がかからない仕組みになっている。2014年に一般NISAが始まり、2018年には長期の積み立てに向いたつみたてNISAが加わったとされる。そして2024年には制度が大きく刷新され、非課税で投資できる枠が広がり、いつでも使える恒久的な制度へと変わったと伝えられている。これによって、これまで投資に縁のなかった人々までもが、市場に目を向けるようになった。
この章で語るNISAやつみたて、分散といった話題は、特定の行動を読者にすすめるものではない。本連載が一貫して見てきたように、市場には光と影が同居している。裾野が広がることは、より多くの人が資産形成の機会を得るという光であると同時に、知識の乏しいまま値動きに一喜一憂する人が増えるという影も併せ持つ。制度はあくまで入り口にすぎず、その先をどう歩むかは、一人ひとりに委ねられている。
前例なき資産たち ― 暗号資産と新興市場
市場が個人へと開かれていく一方で、これまでの歴史にまったく前例のない資産も現れた。その象徴が、暗号資産である。
2008年、サトシ・ナカモトと名乗る正体不明の人物(あるいは集団)が一篇の論文を公開し、翌2009年、ビットコインと呼ばれる仕組みが動きはじめたとされる。国家や中央銀行が発行するのではなく、世界中のコンピュータが互いに記録を検証し合うことで成り立つ――そんな新しいお金の形だった。その正体は今なお明かされていない。当初はごく一部の人々のものでしたが、やがて投機の対象として激しく値を上げ下げし、世界の注目を集めるようになる。
- 2009年
ビットコインの仕組みが稼働を始めたとされる。考案者サトシ・ナカモトの正体は不明のまま。
- 2014年
日本で一般NISAが始まり、利益に税金のかからない投資の枠が個人に開かれる。
- 2018年
日本で長期の積み立てに向いたつみたてNISAが加わったとされる。
- 2024年
アメリカでビットコインを直接保有する上場投資信託が初めて承認されたと報じられる。同年、日本では新しいNISAが始まる。
暗号資産をめぐる評価は、いまも鋭く分かれている。既存の金融に縛られない自由な価値の形だと期待する声がある一方で、価格の振れがあまりに激しく、投機の色合いが濃いという批判も根強くある。詐欺や取引所の破綻といった事件もくり返されてきた。2024年には、アメリカでビットコインを直接保有する上場投資信託が初めて承認されたと報じられ、伝統的な金融の世界に一歩近づいたとも見られている。けれども、この新しい資産が社会にしっかりと根を下ろすのか、それとも歴史に名を残すもう一つのバブルとなるのか――その答えは、まだ誰も持っていない。新興国の市場や、次々と現れる新しい金融商品もまた、同じように大きな機会と大きな危うさを併せ持っている。
人間と市場のこれから ― AIの時代に問い直す
最後に、もう一つの大きな変化に触れておかなければならない。AI、人工知能の台頭である。
前章で見た高頻度取引にとどまらず、近年では、膨大なデータを読み解き、相場の動きを予測しようとする試みに、AIが本格的に使われはじめている。人間が見落とすかすかな兆候をとらえ、感情に流されずに判断する――そんな期待がAIには寄せられている。投資の助言や、市場の分析に、AIが関わる場面は広がりつつある。けれども、ここでも光と影は背中合わせである。
ここで、私たちが歩んできた長い道のりを振り返ってみよう。リスクを分け合う知恵として生まれた株式会社。群集心理が膨らませたチューリップと南海泡沫。すずかけの木の下から始まったウォール街。暗黒の木曜日と、その焼け跡に築かれた規制。戦後の復興と大衆への広がり。ブラックマンデーと自由化。日本のバブルの狂乱と崩壊。ITバブルとリーマン・ショック。そしてアルゴリズムと個人の時代へ。形は何度も変わった。けれど、その底に流れていたものは、いつも同じだった。よりよい未来を信じる希望と、もっと欲しいという欲望。市場とは、人間のその両方が、もっとも正直に映し出される鏡なのだ。
株のこれからがどうなるのか、確かな答えを私たちは持っていない。AIが市場を支配するのか、暗号資産が新しい常識になるのか、個人の手にどこまで市場が戻ってくるのか――どれも、これから無数の人々が下していく選択の積み重ねの先にある。ただ一つ言えるのは、市場がこれからも人間の希望と欲望を映し続けるということ。その鏡に何を映すかは、ほかでもない、私たち自身の手にかかっている。
400年前、嵐の海へ船を送り出すために、見知らぬ者どうしがリスクを分け合った――その小さな知恵から始まった長い物語を、ここまで読み進めてくださった読者のみなさんに、心から感謝する。繁栄と暴落、希望と欲望、その光と影を同時に見つめることが、市場という鏡に映る私たち自身を知る手がかりになれば、これにまさる喜びはない。答えを急がず、これからも一緒に問い続けていきよう。
【株の歴史 ― 市場が動かす世界・完】
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