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最初のバブル ― チューリップと南海泡沫

市場という新しい装置は、富への期待だけでなく、人間の熱狂をも招き入れた。1637年オランダのチューリップ狂、1720年フランスのミシシッピ計画とイギリスの南海泡沫事件。値段が値段を呼ぶ群集心理と、あっけない崩壊。バブルという言葉が生まれた最初の時代をたどる第2話。

2026年6月13日

前回、私たちは株式会社と証券取引所という、リスクを分け合うための賢い装置がオランダで生まれた様子を見た。けれど、人々が自由に物の値段を付け合える市場には、もうひとつの顔がある。値段が上がると、その上がること自体に人が群がり、さらに値段を押し上げていく——理性ではなく、熱狂が値を決めはじめる瞬間である。その最初の例は、意外にも一輪の花から始まった。チューリップの球根が、屋敷ひとつに匹敵する値で取り引きされた時代。そして、まだ存在しない富への期待が、国家を巻き込む規模で膨れ上がった時代。「バブル」という言葉そのものが生まれた、最初の狂乱の物語である。

  1. 1630年代

    オランダで珍しい模様のチューリップ球根が人気を集め、価格が急速に高騰していく。

  2. 1637

    チューリップ球根の値が突如崩れ、買い手が消える。最初の投機バブルの崩壊とされる。

  3. 1716

    フランスでジョン・ローが銀行を設立し、紙幣とミシシッピ会社を軸とした壮大な計画を進める。

  4. 1720

    イギリスで南海会社の株が額面の十倍以上に高騰し、夏に泡沫会社禁止法をきっかけに暴落する。

  5. 1720

    フランスでもミシシッピ会社の株価が崩れ、ジョン・ローは国外へ去る。

チューリップが、屋敷の値段になった

17世紀のオランダは、東インド会社の交易で富み栄え、裕福な市民が暮らしを彩る品を求めた時代だった。そのひとつが、トルコ方面から伝わったチューリップである。とりわけ、花弁に炎のような筋模様の入った珍しい品種が珍重された。後の研究では、この美しい模様はある種のウイルスによって生まれていたとされるが、当時の人々はその理由を知らず、ただ手に入りにくい花として熱狂したのだ。

球根は育てて増やすのに時間がかかる。供給が限られるなか、人気の品種には次々と高い値が付いていった。やがて取り引きは、花そのものよりも、まだ土の中にある球根や、来季に渡される約束の証文をめぐるものへと変わっていく。実物を見ないまま、値上がりを当て込んで証文が売り買いされる——熟練の園芸家でなくとも、職人や商人までが参加できる投機の場が生まれていた。

価格は天井知らずに上がり、ある珍しい品種の球根が、熟練職人の何年分もの収入や、立派な屋敷に匹敵する値で取り引きされたとも伝えられる。誰もが「明日にはもっと高く売れる」と信じていた。けれど、その信頼は一枚の薄い氷のようなものだった。1637年の初め、ある競りで、ついに高値に見合う買い手が現れなくなる。「次に買う人がいる」という前提が崩れた瞬間、値は雪崩のように崩落した。昨日まで屋敷一軒の価値があった証文が、ほとんど紙くずと化したのだ。

紙幣と夢 ― ジョン・ローのミシシッピ計画

チューリップから約八十年後、舞台はフランスへ移る。当時のフランスは、度重なる戦争で国家財政が破綻寸前にあった。そこへ現れたのが、スコットランド出身の金融家ジョン・ローである。彼は、金貨や銀貨ではなく、銀行が発行する紙幣を広く使えば、経済はもっと活発に動くという、当時としては斬新な考えの持ち主だった。

ローは1716年に銀行を設立し、フランスが北米に持つ広大なルイジアナ植民地の開発を担う会社——いわゆるミシシッピ会社の経営を握る。彼は、新大陸に眠るとされた莫大な富への期待を語り、会社の株を人々に買わせた。そして、その株を買うために銀行が刷った紙幣が使われ、紙幣で株が買われ、株高がさらに紙幣への信頼を演出する。期待と紙幣が互いを支え合い、株価は天井知らずに駆け上がった。パリには株を買い求める群衆があふれ、にわかに財をなす者が続出したと伝えられる。

しかし、新大陸の富は語られたほどには実在しなかった。実態への疑念が広がると、人々は我先にと株を手放し、紙幣を金貨に換えようと殺到する。1720年、株価は崩壊し、紙幣への信頼もろとも計画は崩れ去った。ジョン・ローはフランスを追われ、後にこの混乱は、フランスの人々が紙の金融そのものを長く警戒する遠因になったとも言われる。

「バブル」という言葉が生まれた夏

同じ1720年、海をへだてたイギリスでも、よく似た熱狂が膨らんでいた。主役は、1711年に設立された南海会社である。この会社は、中南米方面との貿易の特権を背景に、巨額の国家債務を引き受ける見返りに株を発行した。やがて株価は、政府要人をも巻き込んだ思惑とともに急騰し、夏のピークには額面百ポンドの株が千ポンドを超える水準にまで跳ね上がったと伝えられる。

熱狂は南海会社だけにとどまりなかった。「これさえあれば必ず儲かる」とうたう、実体のあやしい会社が次々と設立され、人々はその株にも群がる。中身のない、ふくらむだけの会社——人々はそれを、すぐにはじける「泡(バブル)」になぞらえて呼んだ。これが、後の世まで使われる「バブル」という言葉の由来になったとされる。

その泡を抑えようと、議会は無許可の会社設立を取り締まる法律、いわゆる泡沫会社禁止法を1720年6月に成立させる。ところが、この規制が引き金となって、ふくらみきった株価はあっけなく崩れ落った。多くの人が財産を失い、信用は地に落つ。この崩落で大きな損を被った一人に、万有引力を解き明かした科学者アイザック・ニュートンがいたと伝えられる。彼は「天体の動きは計算できても、人間の狂気までは計算できなかった」という意味の言葉を残したと語り継がれている。事実かどうかには諸説あるが、この逸話は、市場の不可解さを言い当てる言葉として、いまも引かれ続けている。

こうして17世紀から18世紀にかけて、人類は市場のもうひとつの顔——熱狂と崩壊を、繰り返し目の当たりにした。値段が値段を呼ぶ仕組みも、はじけたあとに残る痛みも、すでにこの時代に出そろっていたと言える。やがて投機の舞台は、古い大陸を離れていく。大西洋の向こう、独立を勝ち取ったばかりの新しい共和国で、一本の木の下に商人たちが集い、近代の金融の中心となる市場が静かに産声をあげようとしていた。

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