アルゴリズムの時代
リーマン・ショックのあと、市場のかたちそのものが変わっていった。注文を出すのは人ではなくプログラムになり、勝負は1000分の1秒を争うようになる。同じころ、指数に連動するだけの地味な投資が静かに広がり、ネット証券が個人を市場に呼び戻した。見えなくなった市場の主役をたどる第9話。
2026年6月13日
前回、私たちはドットコム・バブルの熱狂と崩壊を見届け、さらに2008年のリーマン・ショックが、証券化という金融の魔法の暴走とともに世界を揺らした様子をたどった。危機が過ぎ去ったあと、市場には深い不信と、二度と同じ轍を踏むまいという反省が残された。
けれども、危機のあとで変わったのは、ルールや規制だけではなかった。市場そのものの「動き方」が、私たちの目に見えないところで、静かに、しかし根底から変わっていったのだ。注文を出すのは人間ではなくなり、勝負の単位は秒よりずっと短くなった。その一方で、難しいことを何も考えない地味な投資が、ゆっくりと世界を覆っていく。この章では、主役が人から機械へと移り変わっていく、奇妙で新しい市場の姿を見ていきよう。
1000分の1秒の戦場 ― 高頻度取引の登場
かつて株の売買は、取引所の立会場で人々が大声を上げ、身ぶり手ぶりで注文をやり取りするものだった。やがて取引は電子化され、注文は通信回線を通じてコンピュータが処理するようになる。すると、その速さを極限まで突き詰める者たちが現れた。高頻度取引、いわゆるHFT(ハイ・フリークエンシー・トレーディング)と呼ばれる手法である。
高頻度取引とは、高速なコンピュータと回線を使い、ごくわずかな価格差をとらえて、1000分の1秒という単位で大量の注文を自動でくり返す取引を指する。人間が画面を見て判断していたのでは、とうてい追いつけない世界である。一つひとつの利益はごく小さくても、それを膨大な回数くり返すことで利益を積み上げていく――そうした仕組みだとされる。取引所のすぐ近くにコンピュータを置き、わずかな通信の遅れさえ削り取ろうとする競争まで生まれた。
そのもろさが露わになった出来事が、2010年5月6日に起いた。アメリカの株価が、わずか数分のうちに急落し、ほどなく回復するという異常な値動きが記録されたのだ。のちに「フラッシュ・クラッシュ」と呼ばれるこの瞬間的な暴落は、巨額の自動売り注文をきっかけに、自動取引どうしが連鎖して買い手が一瞬で消え、流動性が枯渇したことが一因とされる。人の手を離れた市場が、人の意図しない形で暴れうること。それを世界に突きつけた事件だった。この出来事を受けて、急激な値動きに歯止めをかける仕組みが各市場で整えられていく。
考えない投資が世界を覆う ― インデックスの静かな革命
機械が市場の表舞台で速さを競っていたころ、もう一つのまったく異なる潮流が、地味に、しかし確実に広がっていた。インデックス投資である。
その源流は、危機よりはるか前にさかのぼる。市場の平均的な動きを示す指数(インデックス)に、ただ連動することだけを目指す――そんな投資信託の考え方を世に広めたのが、アメリカのジョン・ボーグルだった。彼は1976年、個人投資家向けに、指数に連動する投資信託を世に送り出したとされる。当初は「市場に勝つことをはじめからあきらめる、アメリカらしくない発想だ」と業界から嘲笑され、集まった資金もごくわずかだったと伝えられている。
- 1976年
ジョン・ボーグルが個人向けに指数連動型の投資信託を設定したとされる。当初は業界から冷笑された。
- 1998年
日本で松井証券がインターネット取引の先駆けとなるサービスを開始したとされる。
- 1999年
日本で株式売買委託手数料が完全に自由化され、ネット証券の手数料競争が本格化したとされる。
- 2010年
アメリカで瞬間的な急落「フラッシュ・クラッシュ」が発生。自動取引の連鎖が一因とされる。
- 2024年
日本で制度が刷新された新しいNISAが始まり、少額からの分散投資への関心がいっそう高まる。
なぜ、勝つことを目指さない投資が支持を集めたのか。一つには、運用の手間を抑えることで、投資家が負担する費用を低く保てる点が挙げられる。多くの専門家が市場平均を上回ろうと努力しても、長い目で見れば平均に勝ち続けるのは難しい――そうした見方が広がるなかで、ならば平均そのものを安く買えばよい、という発想が説得力を持つようになった。もっとも、平均に連動するということは、市場全体が下げれば一緒に下げるということでもあり、万能の手法というわけではない。それでも、この「考えない投資」は時間をかけて世界に浸透していった。
個人が市場に帰ってくる ― ネット証券の時代
高頻度取引のような最先端の技術が、一部の専門家集団のものだったとすれば、同じ情報技術は、まったく逆の方向にも作用した。ふつうの個人を、ふたたび市場へと招き入れたのだ。その立役者が、ネット証券だった。
日本では1990年代の終わりに、大きな転機が重なる。1998年にはインターネットを通じた株取引の先駆けとなるサービスが登場し、翌1999年には、それまで決まっていた株式の売買手数料が完全に自由化されたとされる。これによって、各社が手数料を競って引き下げる時代が始まった。証券会社の窓口に足を運び、担当者を介して注文していた取引が、自宅のパソコン、やがてスマートフォンの画面から、わずかな手数料で誰でも行えるようになっていったのだ。
かつて株式投資は、まとまった資金と専門知識を持つ人々のものという面があった。それが、少額から、手数料を気にせず、自分の判断で売買できるものへと変わっていく。インデックス投資のような分かりやすい選択肢が広がっていたことも、この流れを後押しした。難しい銘柄選びをしなくても、指数に連動する商品を少しずつ積み立てていく――そんな投資の入り口が、多くの人に開かれたのだ。
こうして市場には、奇妙な二層構造が生まれた。表の最前線では、人の目に映らない超高速の機械どうしが、1000分の1秒を削り合っている。その裏側では、画面の前の無数の個人が、長い時間をかけて少しずつ資産を積み上げている。市場の主役は、もはや立会場で叫ぶトレーダーではなく、見えないアルゴリズムと、見えない一人ひとりの個人へと移り変わっていた。速さを極めた機械と、ゆっくり育てる個人。正反対に見えるこの二つが同じ市場に同居しているところに、いまの時代の不思議さがある。
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