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株式会社の発明 ― リスクを分け合う知恵

大航海時代、海の向こうの富は莫大な利益と、船もろとも沈む危険を抱えていた。1602年、オランダの人々はその危険を多くの手で分け合う仕組みを編み出す。世界初の株式会社とされるオランダ東インド会社と、アムステルダム証券取引所。出資とリスク分散という静かな革命をたどる第1話。

2026年6月13日

スマートフォンの画面に、世界中の企業の株価が並ぶ時代になった。指先ひとつで、地球の裏側の会社の一部を持ち主になれる。あまりに当たり前すぎて忘れられがちであるが、この「会社の一部を、みんなで少しずつ持ち合う」という仕組みには、はっきりとした始まりの時代がある。それは、木造の帆船が未知の海へと漕ぎ出していった大航海時代、17世紀初めのオランダでのことだった。富への期待と、船もろとも消えるかもしれない恐れ。その二つを、たった一人で背負わずに、多くの手で分け合う——株式会社の物語は、この素朴で、けれど革命的な知恵から始まった。

  1. 1600

    イギリスで東インド会社が設立される。航海ごとに出資を募り清算する形で、アジア交易に乗り出した。

  2. 1602

    オランダで複数の貿易会社が連合し、オランダ東インド会社(VOC)が設立される。世界初の株式会社とされる。

  3. 1602

    VOC の株式を売買するため、アムステルダムに証券取引所の原型が生まれたとされる。

  4. 1609

    アムステルダム銀行が設立され、貿易と金融の都として街がいっそう栄えていく。

  5. 1799

    約二世紀にわたり海を支配したVOCが、経営難の末に解散する。

海の富と、ひとりでは背負えない危険

大航海時代、ヨーロッパの人々はアジアの香辛料に夢中になっていた。胡椒やナツメグ、丁子といった品は、はるか遠いインドや東南アジアでしか手に入らず、ヨーロッパに持ち帰れば莫大な富を生む。だからこそ、商人たちは危険を承知で船団を仕立て、何か月もかかる航海へと送り出した。

けれど、その航海はあまりに危ういものだった。嵐に呑まれ、暗礁に乗り上げ、病が船を襲い、ときには海賊の餌食になる。一隻が無事に戻れば商人は大きな利益を得るが、沈めば、つぎ込んだ財産はそのまま海の底に消える。富と破滅が、いつも背中合わせだったのだ。

この危うさを、たった一人の商人が背負うのは無理があった。そこで人々は、ひとつの航海ごとに何人かで資金を出し合い、戻ってきた利益を出資の割合に応じて分け、終われば解散する——そんな仕組みを工夫していく。これなら、たとえ一隻が沈んでも、損は出資者みんなで少しずつ分け合えばよい。危険を「分割する」という発想が、ここで芽生えた。1600年に設立されたイギリスの東インド会社も、当初はこうした航海ごとの出資という形をとっていたとされる。

1602年、オランダ東インド会社という発明

その発想を、もう一段おし進めたのがオランダだった。当時のオランダでは、各地の港町がそれぞれに貿易会社をつくり、互いに競い合っていた。しかし、ばらばらに船を出していては力が分散し、ポルトガルやスペインといった先行勢力に太刀打ちできない。そこで政治家ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルトらの主導で、これらの会社を一つに束ねる動きが起こる。

こうして1602年、オランダ東インド会社(VOC)が誕生した。後世、しばしば「世界初の株式会社」と呼ばれる会社である。その理由のひとつは、それまでの貿易会社の多くが航海のたびに出資を募って清算したのに対し、VOC は事業を続けることを前提とした、長く存続する企業だった点にあるとされる。一度の航海で解散するのではなく、何年にもわたって交易を続ける——出資されたお金は、会社という器のなかに留まり続けたのだ。

そしてVOC は、その出資の権利を細かく分けて「株式」と呼ばれる証券にした。大商人だけでなく、街の手工業者や使用人といった人々も、少額であれば出資に加われたと伝えられる。さらに重要だったのは、出資者が負う責任が、自分の出した金額の範囲にとどまる「有限責任」だったとされる点である。会社がどれほど大きな損を出しても、出資者が家屋敷まで失うことはない。この線引きが、人々を出資へと誘った。

証券取引所 ― 株が「いつでも売れる」場所

ところが、長く存続する会社には、ひとつ問題があった。航海ごとに解散していた頃は、終われば出資金が清算されて手元に戻ってきた。けれど、解散しない会社では、出資したお金はずっと会社の中に留まったまま。途中でお金が必要になっても、簡単には引き出せない。

そこで生まれたのが、株式そのものを他人に譲り渡せる仕組みだった。会社からお金を返してもらう代わりに、自分の持つ株を、それを欲しい誰かに売ればよい——この譲渡可能という性質が、株式に新しい命を吹き込む。そして、売りたい人と買いたい人が出会う場として、アムステルダムには証券取引所の原型ができたと伝えられる。VOC の株は、ここで日々、値をつけられ、手から手へと渡っていった。

これは静かな、しかし大きな革命だった。会社の一部を、いつでも、誰とでも、その時々の値段で交換できる。海の向こうの交易から生まれる富への期待が、紙の証券に値段となって表れ、街角で売り買いされる。土地や金貨とは違う、まったく新しい種類の財産が、人々の暮らしのなかに現れたのだ。やがてアムステルダムは、1609年に設立された銀行とともに、貿易と金融の中心地として黄金時代を迎えていく。

こうして17世紀初めのオランダで、株式会社と証券取引所という二つの装置が静かに動きはじめた。リスクを分け合う知恵は、確かに人々を未知の海へと後押しし、やがて世界の経済を形づくる土台になっていく。けれど、誰もが自由に株を売り買いできるということは、富への冷静な計算だけでなく、人間のもうひとつの顔——熱狂と欲望をも、市場へ招き入れることでもあった。その顔が初めて姿を現すのは、それから数十年後のこと。チューリップの花が、人々の理性を奪っていく時代が、すぐそこまで来ていたのだ。

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