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連立と再生 ― 宿敵と手を組んだ党

下野からわずか10カ月。自民党は長年の宿敵だった社会党と手を結び、村山富市を首相に担いで政権へ返り咲いた。橋本龍太郎、小渕恵三と続く時代に、銀行や証券会社が次々と破綻する金融危機が日本を襲う。連立を軸に変容しながら生き延びた党の姿を、史実に沿って描く。

2026年6月13日

前話で私たちは、リクルート事件と東京佐川急便事件に揺らいだ末に、自由民主党が結党38年で初めて野党に転落する姿を見た。非自民・非共産の8党派が「細川護熙」を首相に担ぎ、政治改革が動き出す。長く続いた一党優位の体制は、ついに崩れたかに見えた。

ところが、政権を失った自民党は、思いがけない速さで中枢へ戻ってくる。しかも、戦後政治のなかで最も激しく対立してきたはずの相手と、手を組むことによって。

この回で描くのは、連立という枠組みのなかで、自民党がどのように変容しながら生き延びたのか、という物語である。背景には、銀行や証券会社が次々と倒れる、戦後でも有数の金融危機があった。功罪の評価が分かれる論点が多いため、断定は避け、確定した事実と広く報道された範囲で静かにたどりたい。

宿敵と組む ― 自社さ連立

細川連立政権は、政治改革を一定程度進めた一方で、内部の路線の違いから不安定さを抱えていた。やがて政権は行き詰まり、後を継いだ「羽田孜」内閣も少数与党のまま短命に終わる。

ここで、誰も予想しなかった組み合わせが生まれる。政権復帰をめざす自由民主党が、長年のライバルだった日本社会党、そして新党さきがけと手を結んだのである。1994年6月、社会党委員長の「村山富市」を首相とする、自民・社会・さきがけの3党連立政権が発足した。

これは、戦後政治の構図を考えると、きわめて異例の出来事だった。55年体制とは、突き詰めれば「保守の自民党」と「革新の社会党」が向かい合う構図でもあった。その二つが、政権という同じ船に乗ったのである。報道によれば、自民党総裁の「河野洋平」が副総理・外相を、新党さきがけ代表の「武村正義」が蔵相を務め、後に首相となる「橋本龍太郎」も通産相として入閣したとされる。

この連立をどう評価するかは、今も意見が分かれる。政権の安定を取り戻すための現実的な選択だったとする見方がある一方、理念を曲げた野合だとの批判もあった。確かなのは、自民党が「単独で政権を担う党」から「連立を組んで政権を維持する党」へと、立ち位置を変えていったことである。下野の経験は、党をしたたかに変えていた。

金融危機という激震

村山政権の後、1996年には「橋本龍太郎」が首相に就く。橋本内閣は、行政改革や財政構造改革など、いくつもの改革を旗印に掲げたことで知られる。だがこの時期、日本経済は、バブル崩壊の後始末という重い課題に直面していた。

問題の中心にあったのが、「不良債権」である。バブル期に膨らんだ土地や株への融資が、地価や株価の下落によって回収困難になり、金融機関の体力を内側から蝕んでいた。表面上は健全に見えても、帳簿の下に巨額の焦げ付きを抱える――その構造が、やがて連鎖的な破綻として噴き出していく。

1997年11月、衝撃が相次いだ。中堅証券会社が経営破綻したのに続き、北海道を地盤とする大手銀行「北海道拓殖銀行」が、業務を他行へ譲渡すると発表する。戦後初の大手銀行の破綻とされた。さらにその直後、四大証券の一角とされた「山一證券」が、自主廃業に追い込まれた。簿外の損失を抱えていたことなどが背景にあったと報じられている。

  1. 1994

    自民・社会・さきがけの連立で村山富市内閣が発足。宿敵だった両党が政権を組む

  2. 1996

    橋本龍太郎が首相に就任。行政改革・財政構造改革などを掲げる

  3. 1997

    北海道拓殖銀行が経営破綻、山一證券が自主廃業。金融危機が深刻化

  4. 1998

    参院選で自民党が大敗し、橋本が退陣。後継に小渕恵三が就く

  5. 1999

    小渕内閣のもとで自由党・公明党と連立を組み、政権基盤を立て直す

長く安全とされてきた銀行や証券会社が次々と倒れる光景は、人々の信頼を大きく揺さぶった。テレビには、廃業を発表する経営者の姿が映し出された。経済の土台が軋む音が、日本中に響いた時代である。

橋本から小渕へ ― 立て直しの模索

金融不安が広がるなか、1998年7月の参議院選挙で、自民党は事前の予想を大きく下回る敗北を喫した。報道によれば、議席は事前に見込まれた水準を大幅に割り込み、大敗とされる結果になった。減税をめぐる首相の発言が揺れたことなどが、有権者の離反を招いたとも指摘される。選挙の責任を取る形で「橋本龍太郎」は退陣し、内閣は総辞職した。

後を継いだのが「小渕恵三」である。小渕内閣は、深刻化する金融危機への対応を最優先の課題とした。破綻した金融機関の処理や、金融システムを安定させるための枠組みづくりが、与野党の激しい論議のなかで進められていく。公的な資金を金融機関に投じることの是非など、評価が分かれる論点も多く、その当否は今も議論の対象である。

参議院で過半数を持たない小渕内閣は、政権を安定させるために連立の組み替えを模索した。1999年には自由党、さらに公明党との連立へと進み、いわゆる自自公連立と呼ばれる枠組みが形づくられていく。ここでも自民党は、単独ではなく、複数の政党と組むことで政権を維持する道を選んだ。

こうして自民党は、下野というかつてない経験を経て、連立を軸とする新しい姿で政権の座へ戻っていった。だがそれは、かつての一強の自信に満ちた党とは、どこか違っていた。経済の停滞は長引き、政治への不満もくすぶり続けていた。

そんな空気のなかから、やがて異色の政治家が現れる。自分が所属する自民党を「ぶっ壊す」と叫び、改革を掲げて国民の熱狂を集める男――次話は、劇場型政治と呼ばれた時代と、その光と影の物語である。

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