失われた30年は終わったのか ― 日本の現在地
三十数年ぶりの株価最高値、33年ぶりの大幅賃上げ、長く続いたデフレからの転機とされる物価上昇。再生の兆しと報じられる動きの一方で、実質賃金や財政、人口という重い課題は残る。失われた30年は終わったのか――性急に断じず、複数の角度から日本の現在地を見つめ、この長い連載を静かに閉じる。
2026年6月13日
前回まで、私たちは長い坂道を一緒に下ってきた。はじけたバブル、銀行を蝕んだ不良債権、物価が下がり続けたデフレの罠、就職に苦しんだ世代、評価の割れた構造改革、二度目の崖となったリーマン・ショック、異次元と呼ばれた金融緩和、上がらない賃金、そして縮みゆく人口。三十年あまりにわたる停滞の物語を、できるかぎり中立にたどってきた。
そして今、私たちは最後の問いの前に立っている。失われた三十年は、もう終わったのか。近年、日本経済には、明るい兆しと報じられる出来事がいくつも重なった。けれども同時に、長く積み残されてきた重い課題も、消えてはわない。この最終章では、どちらか一方の物語に飛びつくことなく、いくつもの角度から日本の現在地を見つめ、この連載を静かに閉じたいと思う。
兆しと呼ばれる出来事
近年、最も象徴的だと報じられたのは、株価の動きだった。日経平均株価は、二〇二四年二月に、長く越えられなかった一九八九年末の最高値をおよそ三十四年ぶりに更新したと伝えられ、続く三月には初めて四万円の大台に乗せたと報じられた。バブルの絶頂でつけた数字を、停滞の三十年を経てようやく塗り替えた――その節目は、多くのニュースで大きく取り上げられた。
賃金にも、変化の兆しが見えた。労働組合の中央組織である「連合」の集計によれば、二〇二四年の春闘での賃上げ率は平均で五パーセントを超え、一九九一年以来およそ三十三年ぶりの高い水準になったとされる。続く二〇二五年も、二年連続で五パーセント台の賃上げが報じられ、長く動かなかった日本の賃金が、ようやく上がりはじめたのではないかという期待が語られた。
物価もまた、長いデフレの時代とは様相を変えた。エネルギーや食料の価格上昇などを背景に物価が上がり、日本銀行は二〇二四年三月に、長く続けてきたマイナス金利政策を解除したと報じられる。物価が下がり続ける国から、物価が上がる国へ。その転換点として、この決定は受け止められた。
数字が明るく動いたことは、確かな事実である。けれども、その数字が何を意味するのか、どこまで続くのかは、もう少し時間が経たなければ見えてかない。私たちは今、その判断のただ中にう。
残された重い宿題
明るい兆しの裏側で、積み残された課題は、依然として重いままである。
たとえば、実質賃金である。名目の賃金が上がっても、物価がそれ以上に上がれば、私たちの暮らし向きはむしろ苦しくなる。賃金の伸びが物価の上昇に追いつくかどうかは、長く綱引きが続き、実質的な豊かさが安定して増えていくには、なお時間がかかるとの見方が報じられてきた。賃金が上がったという実感を、人々が日々の暮らしのなかで持てるようになるかどうかが、一つの試金石になる。
財政の問題も、解かれてはわない。長い景気対策や、膨らみ続ける社会保障費を背景に、国の借金は積み重なってきた。低金利の時代には支えられてきた重荷が、金利が動きはじめる局面でどう扱われるのか。将来世代への負担をどう考えるのか。難しい問いが残されている。そして前章で見たように、人口の減少と高齢化という最も長い射程の課題は、これからも静かに働き続ける。
- 2024年2月
日経平均株価が約34年ぶりに1989年末の最高値を更新したと報じられる。
- 2024年3月
日銀がマイナス金利政策の解除を決定。日経平均は初めて4万円台に乗せたと報じられる。
- 2024年
春闘の賃上げ率が平均で約5%と、33年ぶりの高水準になったとされる。
- 2025年
春闘の賃上げ率が2年連続で5%台と報じられる一方、実質賃金の安定的な改善には時間を要するとの見方も。
兆しと宿題は、どちらか一方だけが本物なのではない。両方が、同時に、今の日本に存在している。明るい数字を喜ぶことと、残された課題から目をそらさないことは、矛盾しないのだ。
終わったのか、という問いそのものについて
ここまで見てきて、最初の問いに戻りよう。失われた三十年は、終わったのか。
正直に言えば、この連載は、その問いに一つの答えを出すことはできない。いえ、出すべきではない、と考えている。「終わった」と宣言すれば、残された課題から目をそらすことになりかねない。「まだ終わっていない」と断じれば、足元で起きている変化や、それを生み出そうと努力してきた人々の歩みを見えなくしてしまう。歴史の渦中にいる私たちには、今がどんな時代だったのかを、後から振り返るようには言い当てられないのだ。
一つだけ、この長い物語からくみ取れることがあるとすれば、それはおそらく、経済は数字の集まりであると同時に、人々の暮らしと選択の積み重ねだ、ということである。バブルも、デフレも、賃金の停滞も、人口の変化も、すべては誰かの判断と、その時々の社会の空気のなかで形づくられてきた。であれば、これからの日本の経済もまた、私たち一人ひとりの選択の先に立ち現れていくはずである。失われたのか、取り戻すのか――その問いは、過去への評価であると同時に、未来への問いかけでもあるのだ。
ここまで、全十話の長い旅にお付き合いいただき、ありがとうござった。三十年あまりの停滞を、できるかぎり中立に、複数の見方を残しながらたどってきたつもりである。それでも語り尽くせなかったこと、見落としたことは、きっと数多くあるだろう。この物語が、日本経済のこれまでとこれからを、あなた自身の目で考えてみるための、ささやかな手がかりになれば幸いである。性急な結論はあえて避け、開かれた問いのまま、この連載を閉じることにする。
【失われた30年 ― 日本はなぜ立ち止まったのか・完】
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