推しと初音ミクと、世界へ ― ニッポンの歌のいま
形を失った音楽は、誰のものになったのか。電子の歌姫・初音ミクが灯した創作の連鎖、握手券文化と定額配信のせめぎ合い、推し活という新しい関わり方、K-POPの衝撃、そして海を越えていくYOASOBIたち。100年の旅の終着点で、ニッポンの歌のいまと、これからを見つめる最終話。
2026年6月13日
前回、私たちは音楽が「モノ」であることをやめ、形を失いながら新しい器を探していく十数年を見た。所有から、ダウンロードへ、そしてその先へ——主役がふたたび入れ替わろうとしていたところで、物語はいったん途切れていた。この最終話で見るのは、形を失ったはずの音楽が、思いもよらないかたちで新しい主を見つけ、ついには海を越えていくまでの道のりである。電子の歌声、画面の向こうの推し、定額で聴き放題の世界、そして世界へ届いた日本の歌。100年の旅は、いま私たちが立っている地点へと近づいていく。
- 2007
歌声合成ソフト「初音ミク」が発売され、動画共有サービスを舞台にボーカロイド文化が広がったとされる。
- 2010前後
握手券などを付したCD商法が広がり、日本独自の販売形態が定着したと指摘される。
- 2015前後
定額制の音楽聴き放題サービスが国内で本格化していく。
- 2019
YOASOBI「夜に駆ける」が動画サイトで公開され、後に世界的な再生数を記録したと伝えられる。
- 2020年代
J-POPの世界的な広がりが、海外の音楽関係者からも注目されるようになったとされる。
電子の歌姫が灯した火 ― 初音ミクとボカロ文化
2000年代の後半、日本の音楽に、これまでの歴史にはなかった種類の声が加わる。2007年、ある企業が発売した歌声合成ソフト「初音ミク」は、歌詞とメロディを打ち込めば、人間ではない声で歌わせることができるものだった。
その本当の革新は、声そのものよりも、それが生み出した「創作の連鎖」にあった。ソフトを手にした無数の人々が、自作の曲を歌わせ、動画共有サービスに投稿しはじめる。曲をつくる人、それにイラストを添える人、踊りをつける人、歌い手として自らの声で歌い直す人——ひとつの楽曲を起点に、役割の異なる作り手たちが次々と参加し、作品が枝分かれしながら育っていった。権利のガイドラインが非営利の創作を後押ししたことも、この爆発的な広がりを支えたとされる。プロの制作会社を経ずとも、一人の個人が世に問うた歌が、多くの人を巻き込んでいく——「ボカロ」と呼ばれる文化は、つくり手と聴き手の境界そのものをやわらかく溶かしていったのだ。
握手券と聴き放題 ― 二つの世界が同居した
一方、CDというモノを売る世界も、形を変えて生き延びようとしていた。
2010年前後、CDに握手会の参加券や投票券などの特典を付して販売する手法が広がる。音源そのものより、アーティストと直接会える体験や、応援する気持ちを示す行為に価値が置かれ、熱心なファンが複数枚を買い求めることもあった。これにより、世界的にはCDが急速に過去のものになるなか、日本ではパッケージの売上が比較的長く保たれたといわれる。音楽が「音源」であると同時に「ファングッズ」でもある——そうした受け止め方が、この国には根強く残っていたとも指摘される。
その裏返しとして、日本は定額制の聴き放題サービスの普及で、世界からやや遅れをとったと報じられている。携帯電話の着うたという独自の成功体験や、握手券に代表されるパッケージ重視の商習慣が、新しい仕組みへの移行を慎重にさせた面があったとされる。それでも2010年代の半ばには国内でも聴き放題サービスが本格的に広がり、人々は月ぎめの料金で膨大な楽曲に触れられるようになる。買って所有する世界と、定額で流し聴く世界。日本の音楽は、しばらくのあいだ、この二つの流儀を同居させながら進んでいったのだ。
推し活という新しい関わり ― そして海の向こうから
聴き放題が広がる一方で、音楽との関わり方そのものも変わっていく。その象徴が「推し活」という言葉だった。
特定のアーティストやアイドルを「推し」と呼び、その活動を応援し、グッズを集め、ライブに通い、仲間とその喜びを分かち合う——音楽は、ただ聴くものから、生活を彩り、自分が何者かを表す営みへと広がっていった。この感覚を日本に強く根づかせたものの一つが、海を越えてきたK-POPの存在だったとされる。緻密に設計された映像、ファンと双方向につながる仕組み、世界市場を初めから見据えた戦略——その新しい流儀は、日本のファンや作り手にも大きな刺激を与えたといわれる。かつて黒船が西洋音楽を運んできたように、隣国からの波が、この国の音楽の風景をまた一つ動かしていったのだ。
海を越えるニッポンの歌
そして、形を失ったはずの音楽は、形がないからこそ、国境を軽々と越えていった。
定額配信や動画サービスは、世界中の人々を同じプラットフォームの上に並べた。言葉の壁はなお高いものの、配信のチャートやおすすめの仕組みを通じて、日本の歌が思いがけない国のリスナーに届くようになる。2019年に動画サイトで公開された「夜に駆ける」が後に世界的な再生数を記録したと伝えられるYOASOBI のように、最初から配信を軸に据え、英語版もつくって世界に開いていく作り手が現れた。リスナーの相当数が海外だったという調査もあったと報じられている。米津玄師やAdo といった名も、海外での公演や配信を通じて知られていった。これらの作り手の多くが、かつてのボカロ文化やネット発の創作の流れと地続きにあることは、見逃せない点である。
興味深いのは、彼らの音楽が、配信という器のかたちそのものに影響を受けていることである。冒頭の数十秒で聴き手をつかむために前奏を短くしたり、合成された声を思わせる速く詰め込まれた歌い回しを人間の声で再現したり——技術と器の変化が、歌の作り方までを静かに変えていった。100年前、西洋の楽器と楽譜が日本の歌を変えたように、配信という新しい器もまた、歌のかたちを内側から作り変えているのだ。
100年の旅を終えて
黒船が運んだ西洋の音から、レコードに乗った流行歌、国家に動員された軍歌、焼け跡のブギウギ、若者が反乱したフォーク、きらめくアイドルと歌謡曲の黄金期、J-POPの誕生、国民が同じ歌を歌ったミリオンの時代、そして形を失い、ふたたび世界へ開かれていく音楽——私たちは、ニッポンの歌の100年を駆け抜けてきた。
この長い旅を振り返ると、歌はいつも、その時代の社会を映す鏡であり続けたことが分かる。豊かさも、貧しさも、自由も、不自由も、希望も、迷いも、歌のなかに刻まれてきた。技術が変わり、器が変わり、聴き方が変わっても、人が誰かに何かを伝えたい、誰かとつながりたいという願いは、少しも変わっていない。器が変わるたびに失われるものを惜しむ声があり、同時に、新しい器だからこそ生まれる歌があった。そのどちらもが、この国の音楽の歴史だった。
だから、いまの音楽がどこへ向かうのか、ここで安易な結論を出すのはやめておきよう。形を失った音楽が幸福なのか不幸なのか、世界へ開かれた歌がこの国に何をもたらすのか——その答えは、これからを生きる作り手と、聴き手であるあなた自身が、これから歌いながら確かめていくものだ。100年前の人々が、黒船の音をどう受け止めるか分からなかったように、私たちもまた、いまの音をまだ十分には知らないのかもしれない。
ここまで長い旅にお付き合いくださり、ありがとうござった。次にあなたが何気なく口ずさむその歌も、いつか誰かにとっての「あの時代の歌」になるのだろう。ニッポンの歌は、これからも鳴り続ける。
【ニッポンの歌 ― 音楽が映した日本の100年・完】
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