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洋食の誕生 ― 和魂洋才の味

カレーライス、トンカツ、コロッケ、オムライス。西洋から来た料理は、ごはんに合い、箸で食べられる味へと作り変えられていった。本格的な西洋料理とは別に「洋食」という日本独自のジャンルが生まれるまでを、起源の諸説とともにたどる第4話。

2026年6月13日

牛鍋の湯気が文明開化を告げてから数十年。日本の食卓には、西洋から来たはずなのに、どこか日本のものとしか思えない料理が次々と並ぶようになる。とろりと茶色いカレーライス、衣の立ったトンカツ、ほくほくのコロッケ、ふんわりと卵に包まれたオムライス。これらは本場の西洋料理をそのまま運んできたものではない。ごはんに合うように、箸で食べられるように、そして庶民の財布で楽しめるように、日本人の手で作り変えられた味である。やがてこうした料理は、本格的な西洋料理とは区別され、「洋食」という独自のジャンルとして名前を持つようになっていく。

  1. 1870年代

    明治の初め、西洋料理書や軍の献立を通じて、カレーやカツレツなど西洋由来の料理が紹介され始めたとされる。

  2. 1895年頃

    東京・銀座の煉瓦亭が、肉を油で揚げる「ポークカツレツ」を出したと伝えられる(年代や経緯には諸説あり)。

  3. 1903

    大阪の薬種問屋が国産のカレー粉を売り出したとされ、カレーが家庭へ近づく一歩になる。

  4. 1900〜1910年代

    コロッケやライスカレーが洋食店や屋台に広がり、都市の庶民に親しまれていったと言われる。

  5. 大正期

    カレーライス・トンカツ・コロッケが「三大洋食」と呼ばれ、洋食が大衆の食として定着していく。

ごはんに合う、という発明

西洋料理が日本に入ってきたとき、それはまず、ナイフとフォークで味わう異国の正餐だった。濃厚なソース、たっぷりのバター、皿の上で完結する一品。けれど、その味をそのまま暮らしに取り入れるのは、多くの日本人にとって容易ではなかった。そこで料理人たちが見つけた答えが、「ごはんに合わせる」という工夫である。

考えてみれば、これは小さな発明だった。日本人の食卓の中心には、いつもごはんがある。おかずは、ごはんを進めるためにある。この関係に西洋の味を組み込めば、見知らぬ料理も一気になじみのものになる。カレーは、ごはんにかけることで一皿の食事になった。カツレツやコロッケは、ごはんのおかずとして、あるいはソースをまとった主役として並んだ。西洋の素材や技法を、ごはんを中心とする日本の食の論理へと引き入れる――この発想こそが、洋食という料理を成り立たせた背骨だったと言える。

カレーライスがたどった道

洋食の代表格であるカレーライスの来歴には、いくつもの説が重なっている。広く語られるのは、インドを支配していたイギリス人が香辛料の料理を自国に持ち帰り、イギリス風に整えたものが、明治のはじめに日本へ伝わったという筋道である。つまり日本のカレーは、インドから直接ではなく、イギリスを経由してやってきたとされるのが一般的な理解である。

明治の初期には、西洋料理を紹介する書物のなかにカレーの作り方が記され、当初は牛肉や鶏肉に小麦粉でとろみをつけるといった調理が紹介されたと伝えられる。やがて一九〇三年には、大阪の薬種問屋が国産のカレー粉を売り出したとされ、それまで高価な輸入品に頼っていたカレーが、少しずつ家庭の手に届くものへ近づいていった。じゃがいも、玉ねぎ、にんじんをごろごろと煮込み、とろりとしたルウをごはんにかける――こうしたスタイルは、本場のインド料理にもイギリスのカレーにも見られない、日本で育った独自の形だと言われている。なお、最初にカレーを口にした日本人が誰かといった点には逸話が多く、はっきりと一人に定めるのは難しいことも、あわせて記しておきたいところである。

トンカツ、コロッケ、オムライス

肉を揚げる料理もまた、日本の食卓で独自の進化をとげた。西洋のカツレツは、薄い肉に衣をつけて少量の油で焼くものでしたが、これが日本では、厚みのある肉をたっぷりの油で揚げる料理へと姿を変えていく。その転機をつくったとされるのが、東京・銀座の洋食店、煉瓦亭である。豚肉を使った「ポークカツレツ」を考案し、温野菜のかわりに生のキャベツの千切りを添えたと伝えられる。ただし、その年代や経緯、誰を考案者とみなすかについては諸説があり、のちに分厚い肉を揚げる「トンカツ」として完成していく過程にも、複数の店や人物がかかわったと考えられている。

コロッケもまた、フランス料理のクロケットを下敷きにしながら、じゃがいもを主役にした日本ならではの惣菜として広まった。安価で腹持ちがよく、肉屋の店先でも売られたコロッケは、庶民の食卓に手軽な洋食をもたらしたと言われる。オムライスは、薄焼き卵でケチャップ味のごはんを包んだ料理で、これもまた洋食店から生まれたとされるが、発祥の店については複数の説が語り継がれ、一つに定まってはわない。料理の起源とは、しばしばこのように、いくつもの店と人の記憶が重なり合ったものなのだ。

「洋食」という名のジャンルが生まれた

こうしてカレーライス、トンカツ、コロッケといった料理が出そろい、大正のころには「三大洋食」と呼ばれるまでになる。重要なのは、これらが単なる個々のメニューにとどまらず、「洋食」という一つのジャンルとしてまとめて意識されるようになったことである。本格的な西洋料理――いわゆる西洋料理店のフルコース――とは別に、ごはんに合い、箸で食べられ、庶民が楽しめる日本独自の料理群が、はっきりとした輪郭を持って立ち上がったのだ。

このジャンルの誕生は、しばしば「和魂洋才」という言葉で語られる。西洋の技術や素材という「才」を取り入れながら、ごはんを中心とする日本の食の「魂」は手放さない。洋食は、その精神が食卓のうえに結晶したものだと言えるだろう。それは外来のものをただ模倣するのでも、頑なに拒むのでもなく、自分たちの暮らしに引き寄せて作り変える、日本の食文化の柔らかなしたたかさを映している。

もっとも、この新しい味が津々浦々の食卓に届くには、町の洋食店だけでは足りなかった。カレーやカツレツが、都市の一部の楽しみから国民みなの味へと広がっていく背景には、もう一つの大きな力が働く。それは、軍隊と学校という、近代国家のしくみそのものだった。生まれたばかりの洋食は、これから国家の手によって、日本中へと運ばれていくことになる。

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