配信時代の映画 ― スクリーンのゆくえ
映画は、暗い客席に集う体験から、手のひらの画面へと広がった。ストリーミングの台頭、コロナ禍が突きつけた映画館の危機、劇場と配信のせめぎ合い。百二十年の旅の終わりに、映画がこれからどこへ向かうのかを、答えを急がず静かに見渡す最終章。
2026年6月13日
前回、私たちはCGとデジタルが映画づくりそのものを作り替える様子を見た。撮るものから作るものへ、フィルムからデータへ。映画はその姿を大きく変えながら、それでも一つのことだけは守り続けてきた。暗い部屋に見知らぬ者どうしが集い、大きなスクリーンを一緒に見上げる――その体験である。
ところがこの最後の砦も、二十一世紀に入って揺らぎ始める。映画は、劇場という器を離れ、家庭のテレビへ、そして手のひらの画面へと流れ出していった。いつでも、どこでも、好きなだけ。その便利さは、映画と私たちの距離を一変させた。この最終章では、ストリーミングの台頭と、それがもたらした問いを、急いで結論づけることなくたどってむ。映画は、これからどこへ向かうのだろうか。
郵便から、配信へ
物語は、意外なほど地味なところから始まる。一九九七年に創業したネットフリックスは、当初、DVDを郵便で貸し出す会社だった。店舗に出向かなくても、観たい作品が家のポストに届く。その仕組みが支持を集め、やがて会社は次の一手へと踏み出する。
二〇〇七年、ネットフリックスはインターネット越しに映像を流す配信(ストリーミング)を始めた。通信が速くなり、円盤を送り合う必要すらなくなったのだ。さらに二〇一三年には、自社で作る連続ドラマの配信に乗り出し、作品を「届ける会社」から「生み出す会社」へと姿を変えていった。映画やドラマは、もはや映画館やテレビ局だけのものではなくなったのだ。
ネットフリックスはやがて、オリジナルの映画づくりにも本格的に乗り出する。二〇一五年の『ビースト・オブ・ノー・ネーション』は、配信と限定的な劇場公開を同時に行う、当時としては異例の形で世に出た。映画は劇場で初めて公開されるもの――その長年の常識に、最初のひびが入った瞬間だった。
賞レースと、劇場という線引き
配信会社が作る映画が増えるにつれ、映画界には新たな緊張が走った。劇場で十分に上映されない作品を、果たして「映画」として認め、賞を与えてよいのか。この問いは、世界の映画祭や賞レースを揺さぶる。
二〇一八年、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』が、ネットフリックス作品として高い評価を受け、アカデミー賞でも複数の部門を制しました(授賞式は二〇一九年)。劇場での公開が限られていたことをめぐり、配信と劇場のどちらを映画の本来の姿とするのか、議論が燃え上がった。同じ頃の『アイリッシュマン』のように、長尺を許す配信の自由が名匠の表現を支えた例もあり、評価は一筋縄ではいかない。
- 1997年
ネットフリックスがDVD郵送レンタル会社として創業する。
- 2007年
ネットフリックスがインターネット配信(ストリーミング)を開始する。
- 2018年
『ROMA/ローマ』が配信作品として高い評価を集め、劇場と配信をめぐる議論を呼ぶ(アカデミー賞授賞式は2019年)。
- 2020年
新型コロナの世界的流行で映画館が相次いで休業し、世界の興行収入が前年から大きく落ち込んだとされる。
- 2022年
配信で公開された『コーダ あいのうた』がアカデミー作品賞を受賞したと報じられた。
線引きをめぐる対立は、世界最高峰とされるカンヌ国際映画祭でも起いた。二〇一七年にネットフリックス作品がコンペティション部門に選ばれると、フランスの映画界が反発する。翌二〇一八年、映画祭はコンペ出品作にフランスでの劇場公開を義務づけ、配信を前提とするネットフリックスは事実上、コンペから退くことになったと伝えられる。劇場での公開こそが映画である――その伝統と、新しい配信の論理とが、正面からぶつかった出来事だった。スティーブン・スピルバーグら、劇場体験の価値を強く訴える映画人もおり、立場は今も分かれている。
客席が、空になった日
そして二〇二〇年、誰も予想しなかった出来事が、映画館を直撃する。新型コロナウイルスの世界的な流行である。感染を防ぐため、各地の映画館が休業を余儀なくされ、暗い客席から人の姿が消えた。世界の興行収入は前年から大きく落ち込んだとされ、映画館という事業そのものの存続が危ぶまれる事態となった。
劇場が閉ざされる中、作品を届ける場は配信へと一気に傾く。あるスタジオは、二〇二一年に公開する作品を劇場と配信で同時に出すと発表し、業界に衝撃を与えた。劇場での独占公開を惜しむ監督たちからは強い反発の声も上がった。話題作の中には、劇場公開と有料配信を同時に行ったことをめぐり、出演俳優が契約上の争いを起こし、後に和解に至ったと報じられたものもある。混乱の中で、長年の慣行が次々と崩れていった。
危機をめぐる慣行の見直しも進んだ。かつては劇場公開から配信まで数か月の間隔を空けるのが当たり前でしたが、その期間は大きく縮まったとされる。どのくらいが適切なのかをめぐっては、スタジオや映画館の間で今も綱引きが続いており、確たる新しい基準が定まったとは言いにくい状況である。
それでも、人は集まる
配信に押されてもなお、劇場には底力が残っていた。コロナ禍を経た二〇二二年の『トップガン マーヴェリック』、そして二〇二三年に同じ日に公開され、社会現象となった『バービー』と『オッペンハイマー』。これらの作品は、劇場でこそ味わいたいと多くの人を映画館へ呼び戻し、大きな興行収入を記録した。スクリーンに集うという体験は、消えてはいなかったのだ。
ここに、映画の現在地がある。配信は、観る場所と時間の自由を私たちに与えた。世界中の作品が手元に届き、見過ごされてきた才能にも光が当たるようになった。けれど、その豊かさの裏では、無数の作品が情報の海に埋もれ、一本一本とじっくり向き合う時間が削られているのではないか、という懸念もある。便利さと、軽さ。選択肢の多さと、選びきれなさ。配信時代は、その両方を私たちに手渡した。
リュミエール兄弟が映し出した、一片の動く写真。そこから始まった旅は、笑いと涙の物語を生み、世界各地で固有の芸術を花開かせ、巨大な産業の浮き沈みをくぐり抜けて、いま手のひらの画面にまで広がった。映画がこれからどんな器に宿り、どんな体験になっていくのか、その答えを私はまだ持たない。けれど、暗がりの中で光に見入る人がいる限り、映画という営みは、きっと形を変えながら続いていくのだろう。スクリーンが映してきたのは、結局のところ、それを見つめてきた私たち自身の姿だったのかもしれない。
ここまで長い旅にお付き合いくださり、ありがとうござった。スクリーンが映した世界を、あなたと分かち合えたことに感謝する。
【映画史 ― スクリーンが映した世界・完】
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