クロニカ クロニカ
← 映画史 ― スクリーンが映した世界 の目次へ

ブロックバスターの誕生

1975年の『ジョーズ』、1977年の『スター・ウォーズ』。スピルバーグとルーカスという若き才能が、夏の大作と全国一斉公開、そして商品展開という新しいヒットの方程式を打ち立てた。作家の時代から再び巨大娯楽産業へと舵を切る1970年代後半のハリウッドを、史実ベースで描く。

2026年6月13日

前話で見たように、1960年代から70年代の初めにかけて、ハリウッドは若き作家たちの時代を迎えていた。スタジオの統制がゆるみ、監督が自分の表現を追い求める余地が広がっていた。だが、自由には別の顔もあった。経営の側から見れば、ヒットの読みにくい作品が続けば、会社の屋台骨は揺らぐ。芸術の冒険と、産業としての安定――そのあいだで、ハリウッドは答えを探していた。

その答えのひとつが、思いがけない形でやってくる。一頭のサメと、遠い銀河の物語から。それは、現代の娯楽映画のかたちそのものを変える出来事だった。

海の底からやってきた夏

1975年の夏、一本の映画がアメリカの映画館に押し寄せた。スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』である。

物語は、海辺の町を襲う巨大な人食いザメと、それに立ち向かう人々を描いたものだった。撮影は難航し、機械仕掛けのサメは思うように動かず、予算も日程も大きく膨らんだとされる。だが完成した作品は、観客を席に縛りつけた。姿を見せないサメの恐怖、忍び寄る音楽、そして海という日常のすぐ隣にある脅威――人々は息をのみ、そして何度も映画館に足を運んだ。

注目すべきは、その公開のしかただった。当時、夏という季節は映画興行にとって稼ぎどきとは見なされていなかった。人々は屋外へ出かけ、映画館から足が遠のく時期と考えられていたのだ。ところが配給元は、その常識に逆らった。1975年6月、『ジョーズ』を全米の数百館で一斉に公開し、大規模なテレビ広告を打ったのである。それまでの大作は、都市の一館で先行公開し、評判を確かめながらじわじわと館数を広げていくのが普通だった。『ジョーズ』はその段取りを飛び越え、初めから広く、一気に観客の前に差し出された。

結果は劇的だった。公開からわずかな期間で、『ジョーズ』はそれまでの興行記録を塗り替えていく。最終的に、史上もっとも多くの興行収入を上げた映画のひとつとなり、夏が映画にとって大きな商機になりうることを、業界に強く印象づけた。

ただし、この成功を『ジョーズ』一本の手柄とするのは正確ではない。夏の大作という型が決定的になるには、もう一本、二年後に現れる作品の力が必要だった。

遠い銀河からの衝撃

1977年5月、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』が公開された。遠い宇宙を舞台にした冒険活劇である。

この作品も、その登場のしかたが独特だった。当初は比較的少ない館数での公開だったとされるが、口コミと熱狂が瞬く間に広がり、館数は急速に拡大していった。観客は長い列をつくり、同じ作品を何度も見るために映画館へ通った。最終的に、『スター・ウォーズ』は『ジョーズ』を上回る興行収入を記録し、当時の最高記録を打ち立てたと伝えられる。

だが『スター・ウォーズ』がのちの映画産業に残した最大の刻印は、興行収入そのものよりも、その先にあった。商品展開、すなわちマーチャンダイジングである。

  1. 1975

    6月、スピルバーグの『ジョーズ』が全米数百館で一斉公開され、夏の大作という型を示す

  2. 1977

    5月、ルーカスの『スター・ウォーズ』が公開。口コミで熱狂が広がり、当時の興行記録を更新する

  3. 1977

    玩具をはじめとする関連商品が爆発的に売れ、映画の収益構造に新しい柱が加わる

  4. 1980

    続編が公開され、シリーズ化と商品展開を組み合わせたヒットの方程式が定着していく

ルーカスは契約の際、監督料の一部を抑える代わりに、続編をつくる権利と関連商品の権利を自らの手に確保していたとされる。当時、映画の付随商品が大きな利益を生むとは広く考えられておらず、この判断は異例だった。ところが蓋を開けてみると、玩具をはじめとする『スター・ウォーズ』関連商品は爆発的に売れ、映画本編の興行収入に匹敵しうる規模の収益を生み出していく。映画は、スクリーンの中で完結するものから、玩具や衣類や様々な品物となって人々の暮らしに入り込むものへと、その姿を広げたのである。

ヒット映画モデルという方程式

『ジョーズ』と『スター・ウォーズ』。この二本が二年の間隔で示したものは、やがて一つの方程式へとまとまっていく。それはしばしば、ブロックバスターと呼ばれる。もともとは強力な爆弾を指す言葉だったが、映画の世界では、桁外れの大ヒット作を意味するようになった。

その方程式の要素は、いくつかに整理できる。誰もが分かりやすく胸を躍らせる題材であること。夏のような商機に合わせて公開すること。全国規模で一斉に封切り、大量の広告で一気に観客を呼ぶこと。そして、続編や関連商品によって、一本の映画を長く広く稼げる仕組みに育てること――。スタジオは、当たれば桁違いに大きい一本に資源を集中し、その回収を映画本編の外側にまで広げていく道を見出した。

もっとも、この変化を一方的な後退と見るのは公平ではないだろう。スピルバーグもルーカスも、単に商業的な計算だけで作品をつくったわけではない。彼らは映画への深い愛着と、観客を心から楽しませたいという思いを持った作り手でもあった。娯楽として優れていることと、芸術として価値があることは、必ずしも対立しない。評価が分かれる点はあるにせよ、彼らの作品が映画の表現と技術を押し広げた面は確かにあった。

こうして1970年代後半、ハリウッドは作家の時代から、再び巨大な娯楽産業の時代へと舵を切っていった。世界中の観客が、同じ夏に同じ大作を共有する――その光景は、映画が築き上げた一つの達成だった。

だが、世界の映画はハリウッドだけではない。同じ頃、いや、それよりも前から、海の向こうの島国でつくられた作品が、静かに、しかし確かに世界の人々の心を捉えていた。次回は、世界が驚きをもって迎えた日本映画の達成へと、目を向けてみたい。

この記事は役に立ちましたか?

この物語が面白かったら——

X LINE

参考ソース・元動画