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世界の映画芸術 ― 各国の創造

映画はハリウッドだけのものではなかった。歪んだ影で不安を描いたドイツ表現主義、編集に意味を見いだしたソ連のモンタージュ理論、人間味あふれるフランス。そして戦争は、映画を国家の宣伝へと動員した。各国が育てた映画芸術の創造と、政治に巻き込まれた影を中立にたどる。

2026年6月13日

前回、私たちは声を得て黄金期を迎えたハリウッドを見てきた。けれど、映画という若い芸術はアメリカだけが育てたものではない。同じ時代、ヨーロッパの国々では、それぞれの歴史や思想、傷を背負った映画人たちが、まったく異なる美意識で銀幕に挑んでいた。歪んだ影に不安を込めたドイツ、編集そのものに意味を見いだしたソ連、人間の機微を見つめたフランス。そしてやがて、映画は国家の手に取られ、宣伝の道具にもなっていく。この回では、各国が生み出した創造の輝きと、それが政治に巻き込まれていく影の両方を、中立にたどる。

  1. 1920

    ドイツで「カリガリ博士」が公開。歪んだ書き割りと濃い影で内面の不安を描き、表現主義映画の代表作とされる。

  2. 1925

    ソ連でエイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を発表。ショットのつなぎ方で感情を生むモンタージュ理論を世に示した。

  3. 1935

    ナチス・ドイツの党大会を記録した「意志の勝利」が公開。芸術性と宣伝が分かちがたく結びついた作品として、後年に評価が大きく分かれる。

歪んだ影の国 ― ドイツ表現主義

第一次世界大戦に敗れたドイツは、社会の動揺と人々の不安の中にあった。その時代の空気を、独特のかたちで映し出したのがドイツ表現主義の映画である。

その代表作としてしばしば挙げられるのが、1920年に公開された「カリガリ博士」である。この映画の画面は、現実をそのまま写すものではなかった。建物や道は不自然にねじ曲がり、壁には鋭い影が描き込まれ、世界そのものが歪んで見える。これは登場人物の乱れた内面や、社会を覆う得体の知れない不安を、目に見えるかたちにしようとする試みだったとされる。外の現実ではなく、心の中の真実を画面に投影する——表現主義という言葉が示すこの発想は、絵画や演劇から映画へと受け継がれたものだった。

光と影を強く対比させ、不穏な空気を醸し出すこの手法は、後の映画に長く影響を残する。とりわけ、暗い犯罪の世界を陰影豊かに描く後年のジャンルには、表現主義の遺伝子が流れ込んだと指摘されることが多くある。一国の不安から生まれた美意識が、国境と時代を越えて受け継がれていったのだ。

つなぎが意味を生む ― ソ連のモンタージュ理論

ドイツが影に内面を託したころ、革命を経たばかりのソ連では、まったく別の方向から映画の本質が問われていた。一つひとつのショットそのものよりも、それらをどうつなぐかにこそ映画の力が宿る、という考え方である。これがモンタージュ理論と呼ばれるものだ。

この理論を象徴する作品が、1925年にセルゲイ・エイゼンシュテインが手がけた「戦艦ポチョムキン」である。とりわけ、市民が軍に追い詰められる場面は、数多くの短いショットを緊張感のあるリズムでつなぎ、観客の胸に強い衝撃を刻むものとして、映画史で繰り返し語られてきた。ばらばらの断片を並べることで、そのどれにも単独では含まれていなかった感情や意味が立ち上がる——エイゼンシュテインたちは、編集を映画ならではの表現の核心としてとらえたのだ。

人間を見つめる目 ― フランスの映画

ドイツやソ連が様式や理論を先鋭化させたのに対し、フランスの映画は、また違った持ち味を育てていった。とりわけ1930年代には、市井の人々の暮らしや感情を、しっとりとした情感とともに描く作風が花開いたとされる。後に詩的リアリズムとも呼ばれるこの傾向である。

そこに映し出されたのは、英雄でも怪物でもない、ふつうの人間だった。報われない恋、社会のすみで生きる人々のささやかな願いと挫折——そうした人生の機微を、陰影のある映像と抑えた語り口ですくい取る作品が生まれた。ジャン・ルノワールをはじめとする監督たちは、立場の異なる人間どうしのつながりや断絶を、温かくも醒めたまなざしで見つめたと評される。様式の強さで圧倒するのではなく、人間そのものへの関心を深めていったところに、フランス映画の一つの個性があった。この人間を見つめる伝統は、戦後にフランスから起こる新しい映画の波へと、形を変えて受け継がれていく。

映画が国家に取られるとき ― 戦時下のプロパガンダ

各国が独自の芸術を育てる一方で、1930年代から1940年代にかけて、映画はもう一つの顔を強めていく。国家が人々の心を一つの方向へ導くための、宣伝の道具という顔である。

その最もよく知られた例が、1935年に公開された「意志の勝利」である。レニ・リーフェンシュタールが監督したこの作品は、前年に開かれたナチス・ドイツの大規模な党大会を記録したものだった。壮大な構図や、当時としては斬新なカメラワークによって、指導者と群衆を圧倒的なスケールで描き出し、芸術性の面では一部で高い評価を受けたとも伝えられる。しかし、その目的は、政権の力と指導者の威光を国民に印象づけることにあった。優れた技術が、特定の体制を称える宣伝のために用いられたのだ。戦後、この作品の評価は大きく転じ、芸術として論じるべきか、宣伝として断罪すべきか、いまも議論が続いている。

こうして1930年代から戦時下にかけて、世界の映画はそれぞれの土地で独自の芸術を育てながら、同時に時代の政治と深く絡み合っていった。芸術としての創造の輝きと、宣伝に取られていく影。映画が国の文化と政治を映す鏡であったという事実は、そのどちらをも含んでいる。やがて戦争が終わり、世界は再建へと向かう。繁栄を取り戻したかに見えたハリウッドの前に、しかし、思いもよらない強敵が現れることになる。それは、人々の家庭の中から静かにやってくる、小さな箱だった。

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