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デジタルとCGの革命 ― ピクセルが描いた夢

一九九五年、世界は人形が自ら動き出す映画を観た。フィルムに代わってコンピュータが絵を描き、撮影も上映も数字へと姿を変える。CGとデジタルが映画づくりそのものを作り替えた約二十年を、光と影の両面から中立にたどる。

2026年6月13日

前回、私たちは黒澤明や小津安二郎の映画が海を越え、世界の人々を魅了していく様子を見た。フィルムに焼きつけられた光と影が、国境を越えて人の心を動かす――映画は、その百年を、銀の粒子が並ぶ一本のフィルムとともに歩んできた。

ところが世紀の変わり目に、映画はその土台そのものを静かに入れ替えていく。絵を描くのは、もはやレンズが捉えた現実だけではない。コンピュータが計算し、画面の上に一つひとつの点(ピクセル)を置いていく。撮影も、上映も、やがてフィルムを離れ、数字の連なりへと姿を変えていく。この章では、CGとデジタルという二つの波が、映画づくりそのものをどう作り替えたのかを、その輝きと、失われたものの両面からたどる。

人形が、自ら動き出した

一九九五年、一本の映画が映画史の節目になった。ピクサーが製作し、ディズニーが配給した『トイ・ストーリー』です(日本公開は一九九六年)。おもちゃたちが人の見ていないところで動き、語り合うこの物語は、世界で初めて、全編をコンピュータグラフィックスだけで作り上げた長編映画とされる。監督のジョン・ラセターは、その業績によりアカデミー特別業績賞を受けた。

それまでのアニメーションは、一枚一枚を人の手で描く、気の遠くなるような作業の積み重ねだった。『トイ・ストーリー』は、その絵筆をコンピュータに持ち替えたのだ。立体的に作られた人形の像が、光を浴び、影を落とし、画面の中を駆けまわる。観客が目にしたのは、手描きとも実写とも違う、まったく新しい質感の映像だった。

この一本の背後には、長い助走があった。ピクサーの前身は、一九七〇年代末に作られたルーカスフィルムのコンピュータ部門にさかのぼる。一九八六年、その部門をアップルを去ったばかりのスティーブ・ジョブズが買い取り、独立した会社として歩み始めた。レンダリングと呼ばれる画像生成の技術を磨き続けた十年あまりの蓄積が、あの動き出すおもちゃたちに結実したのだ。

現実に、描き足す技術

CGが力を発揮したのは、まるごと作られたアニメーションの世界だけではない。実写の映像に、本物としか見えない何かを描き加える――その技術もまた、急速に進歩していった。視覚効果、いわゆるVFXの世界である。

一九九一年の『ターミネーター2』では、液体金属でできた敵が、人の姿になったり刃物になったりと自在に形を変えた。一九九三年の『ジュラシック・パーク』では、絶滅したはずの恐竜が、重みと体温を感じさせる生き物として画面を歩いた。それまで模型やコマ撮りで表現していたものを、CGが本物と見分けのつかない映像へと置き換えていったのだ。

  1. 1986年

    スティーブ・ジョブズがルーカスフィルムのコンピュータ部門を買い取り、ピクサーが独立企業として始動する。

  2. 1993年

    『ジュラシック・パーク』が、フォトリアルなCG恐竜で実写VFXの転換点となる。

  3. 1995年

    世界初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』が公開される(日本公開は1996年)。

  4. 1999年

    『スター・ウォーズ エピソード1』が一部デジタル撮影を試み、同年デジタルでの試験上映も行われる。

  5. 2009年

    『アバター』が独自のパフォーマンスキャプチャと3Dで、世界的な3Dブームの引き金となる。

俳優の演技そのものを、CGのキャラクターに移し替える試みも進んだ。二〇〇〇年代初頭の『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズでは、俳優アンディ・サーキスの動きと表情を読み取り、ゴラムという架空の生き物に重ね合わせる手法が大きな注目を集めた。生身の演技と、コンピュータが作る姿とが溶け合う。俳優という存在の意味さえ、少しずつ揺らぎ始めたのだ。

フィルムを離れる撮影と上映

CGが「描く」技術なら、もう一つの波は「記録し、映す」仕組みそのものを変えた。百年以上にわたり映画を支えてきたフィルムが、デジタルのデータへと置き換わっていったのだ。

撮影の現場では、ジョージ・ルーカスが先頭に立った。一九九九年の『スター・ウォーズ エピソード1』で一部にデジタル撮影を試み、二〇〇二年の続編『クローンの攻撃』では、大作映画としては異例なほど大半をデジタルのカメラで撮影したと伝えられる。フィルムの箱を運び、現像所で薬品に浸す工程が消え、撮った映像をその場で確認できるようになった。仕上げの段階でも、画面の色合いをコンピュータ上で自在に整える手法(デジタル・インターミディエイト)が広まり、二〇〇〇年の『オー・ブラザー!』はその初期の代表例としてしばしば挙げられる。

上映の側でも転換が起いた。世界で初めてのデジタル上映の一つは一九九九年に行われ、二〇〇〇年には日本でもデジタル方式での劇場上映が始まったとされる。重いフィルムの缶を映画館へ配り、傷や色あせと闘う日々は、データの送信へと置き換わっていった。移行は二〇〇〇年代後半から二〇一〇年代にかけて、世界の劇場で一気に進んだ。

二〇〇九年には、ジェームズ・キャメロンの『アバター』が公開された。俳優の演技を緻密に読み取るパフォーマンスキャプチャと、立体的に見える3Dの映像とを組み合わせたこの作品は、世界的な大ヒットとなり、各地の映画館に3D上映の波を呼び込んだ。映画は、ますます「体験」としての厚みを競うようになっていく。

失われたものと、残ったもの

デジタルとCGの革命は、映画に計り知れない自由をもたらした。想像したものは、ほとんど何でも画面に描ける。現実の制約から解き放たれた表現は、観客をかつてない世界へと連れ出した。けれども、その光のそばには、いくつもの影も伸びている。

フィルムを支えてきた産業は、急速に縮んだ。映画用フィルムの代名詞だったコダックは、デジタル化の波に乗り遅れ、二〇一二年に経営破綻に追い込まれる。長く培われた現像や映写の技術、それを担ってきた人々の仕事の多くが、行き場を失っていった。技術の交代は、いつも誰かの暮らしの上に起きるのだ。

表現の現場にも、戸惑いがあった。何でも描けるという自由は、ときに過剰な映像へと向かい、物語の核を見えにくくすることもある。フィルムでしか得られない質感を求めて、あえて旧来の方法を守り続ける監督たちもった。彼らの抵抗は懐古趣味とも評されるが、表現の選択肢を一つの規格に統一させまいとする、静かな意思とも読める。評価は分かれるところだろう。

数字とピクセルを手に入れた映画は、現実の重力から自由になり、同時にフィルムという拠り所を手放した。作る道具が変わり、映す仕組みが変わったとき、次に変わるのは、観る場所そのものだった。スクリーンの前に集うという、百年続いた習慣はどうなるのか。そして映画は、劇場を離れて家庭へと向かう。

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