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自動運転とその先 — 車の未来

人が運転しない車、つながり続ける車、そして持つのではなく使う車。自動運転、コネクテッド、MaaSという三つの潮流は、自動車が社会のなかで占めてきた意味そのものを揺さぶっている。安全と倫理の難問を抱えながら、車と私たちの関係はどこへ向かうのか。百二十年の物語を、答えを急がずに閉じる最終章。

2026年6月13日

前回、私たちは電気自動車が百年の眠りから覚め、テスラの挑戦と各国の規制、中国の台頭のなかで、自動車の心臓が静かに置き換わっていく様子を見た。けれども動力が電気に変わることは、この長い物語のクライマックスではない。電動化と並行して、もっと根本的な問いが立ち上がっていたからである。それは、車を「人が運転するもの」だと考えてきた、百二十年来の前提そのものを揺さぶる問いだった。

馬なき馬車の夢から始まったこの連載は、いよいよ最終章を迎える。自分で走る車、つながり続ける車、そして所有されない車――この三つの潮流が交わるところに、自動車と社会の未来が描かれようとしている。それは便利で安全な世界の約束であると同時に、これまで人類が経験したことのない難問をいくつも抱えてもう。答えを急がず、その風景を見渡してみよう。

人が運転しない車

自動運転という言葉は、いまや一様ではない。どこまでをシステムが担い、どこからを人が担うのか。その度合いを整理するために、自動運転には段階を示す考え方が広く使われている。

一般に、システムが運転を支援するだけで責任は人にある段階から、特定の条件下では人がハンドルから手を離せる段階、さらにある範囲では人がまったく運転に関わらない段階、そして最終的にはあらゆる状況で人を必要としない段階へと、レベルが整理されている。運転を支援する技術はすでに多くの市販車に搭載され、一部の車では限られた条件下でシステムが運転を担う段階に達したとされる。さらに、運転席に人のいないロボタクシーが、特定の都市で実際に客を乗せて走るサービスも現れた。グーグル系のWaymoはその代表例として知られている。

人が運転しない車が約束するものは、決して小さくない。世界の交通事故の多くが人の不注意に起因するとされるなか、安定したシステムが運転を担えば事故を減らせるかもしれない。高齢者や、運転できない人にも移動の自由が広がるかもしれない。けれども、その約束を手にするためには、一台の車が単独で賢くなるだけでは足りなかった。

つながる車

自動運転を支えるもう一つの潮流が、車が通信ネットワークにつながる、いわゆるコネクテッドカーの広がりである。

つねに外部とつながる車は、渋滞や事故の情報をリアルタイムで受け取り、地図を更新し、ときに車の機能そのものを通信で書き換えていく。一台一台が走りながら得た情報を共有すれば、車の群れ全体が賢くなっていく。こうしたつながりは、自動運転の精度を高めるだけでなく、車を「買ったときが完成形の機械」から「使いながら更新されていく製品」へと変えつつある。

しかし、つながることには影もある。車が膨大なデータを集め、送り続けるということは、私たちがいつ・どこへ・どのように移動したかが、記録され、束ねられうるということである。便利さの源泉が、同時に監視への不安の源泉にもなる。さらに、外部とつながる車はサイバー攻撃の対象にもなりえる。動力源やソフトウェアの安全性とは別に、誰がデータを握り、何に使うのかという問いが、つながる車には付きまとう。

  1. 1886年

    ベンツが特許自動車を生み出し、馬なき馬車の歴史が始まったとされる。

  2. 1908年

    T型フォードが登場し、やがて大量生産で自動車が大衆のものになる。

  3. 2010年代

    運転支援技術が市販車に広く普及し、自動運転への議論が本格化する。

  4. 2020年代

    一部都市で運転席に人のいないロボタクシーのサービスが現れたと報じられる。

つながる車は、自動車という一台のモノを、巨大な情報の網の一部へと変えていく。そして網の一部になった車は、もはや個人が所有する道具である必要すらないのではないか――そんな問いを呼び起こする。

持つから使うへ

自動車は長いあいだ、豊かさや自由の象徴だった。自分の車を持つことは、多くの人にとって一つの達成であり、暮らしの中心でもあった。けれども、その「持つ」という関係そのものが、ゆっくりと問い直されている。

カーシェアリングやライドシェア、そして移動そのものをサービスとして捉えるMaaS(マース、Mobility as a Service)という考え方の広がりである。MaaSは、電車・バス・タクシー・シェア車などさまざまな移動手段を、一つのサービスとしてつなぎ、必要なときに必要なだけ使えるようにしようとする発想だとされる。都市に住み、車を持たずに暮らす人が増えるなかで、移動は「所有するもの」から「利用するもの」へと、少しずつ重心を移しつつある。

そして、これらの潮流が交わるところに、避けて通れない難問が待っている。人が運転しない車が、どうしても事故を避けられない瞬間に直面したとき、何を基準に、誰を守るよう判断すべきなのか。古くから哲学が論じてきたこの種の問いに、いまや機械の設計者が答えを出さねばならなくなった。正解のない問いに、社会としてどう向き合うのか。事故が起きたとき責任は誰にあるのか。便利さと安全、自由とプライバシーのあいだで、私たちはまだ多くの線引きを終えていない。

旅の終わりに

馬なき馬車という荒唐無稽な夢から始まったこの物語を、ここまでたどってきた。一台の発明は、大量生産で大衆の足となり、国ごとの個性を映し、戦後の日本でものづくりの思想を磨き、石油危機を越え、安全と環境の代償を問われ、国境を越えて再編され、そしていま、動力と運転と所有のすべてを問い直されようとしている。

自動車は、人類にかつてない移動の自由をもたらした。同時に、事故で多くの命を奪い、大気を汚し、都市の姿を作り替えてもいた。光と影は、いつも同じ一台の車のなかに同居していた。その両面を見つめてきた私たちに、未来がどうなるかを言い当てることはできない。自動運転が約束を果たすのか、所有という関係が本当に薄れるのか、内燃機関の音はいつ静かになるのか――それは、これから私たちがどんな選択を積み重ねるかにかかっている。

確かなのは、車がただの移動手段ではなく、その時代の夢と矛盾を映す鏡であり続けたということである。次にあなたが車に乗るとき、あるいは車を持たずに街を歩くとき、その一歩の先に、この百二十年の物語が静かに続いていることを思い出していただけたら、これにまさる喜びはない。長い旅にお付き合いくださった読者のみなさまに、心より感謝を申し上げる。

【車の歴史 ― 自動車が変えた世界・完】

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