EVの衝撃 — テスラと電動化
電気自動車は、じつは百年以上前に一度栄え、そして敗れていた。リチウムイオン電池の登場、テスラの挑戦、脱炭素を掲げる各国の規制、そして中国EVの台頭。内燃機関の終わりは本当に来るのか――賛否の分かれる現在地を、報じられた範囲で中立にたどる。
2026年6月13日
前回、私たちは自動車産業が国境を越えて再編され、巨人たちが手を結びながら世界規模で競い合う時代を見た。提携も合併も、つまるところはガソリンで走る車をいかに効率よく、いかに広く売るかをめぐる競争だった。内燃機関――燃料を爆発させてピストンを動かすという仕組みは、百年以上にわたって自動車の心臓であり続け、それを疑う人はほとんどいなかった。
ところが、その当たり前の心臓そのものを否定しようとする動きが、二十一世紀に入って急速に勢いを増していく。電気で走る車、すなわち電気自動車(EV)である。多くの人にとってEVは真新しい未来の乗り物に見えるが、じつはその歴史は自動車そのものと同じくらい古い。一度は栄え、一度は敗れ、そして百年の眠りから覚めようとしている――この章では、その長い物語と、いま起きている変化を、賛否の分かれる論点も含めて中立にたどる。
一度敗れた電気自動車
自動車の黎明期、動力源は一つではなかった。蒸気・ガソリン・電気という三つの方式が競い合い、それぞれに支持者がいた時代があったのだ。
意外に思われるかもしれませんが、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、電気自動車はむしろ有力な選択肢だった。エンジンをかけるのにクランクを手で回す必要があったガソリン車に対し、電気自動車はスイッチひとつで静かに動き出する。振動も少なく、排気の臭いもない。一九〇〇年前後には、走っている自動車のかなりの割合を電気自動車が占めていたとも伝えられ、都市部では電気のタクシーが走っていたという。
しかし、その優位は長くは続きなかった。フォードのT型に代表される大量生産でガソリン車の価格が大きく下がり、油田の開発でガソリンが安く豊富に手に入るようになる。航続距離が短く、充電に時間がかかる電気自動車は、長距離を安く走れるガソリン車にしだいに押されていった。一九二〇年代にはほとんど街から姿を消し、電気自動車は長い忘却の時代に入る。
電気自動車を眠りから覚ますために必要だったのは、決定的に性能のよい電池だった。そしてその鍵は、自動車とはまったく別の世界から訪れる。
電池が変えた風景
二十世紀の後半、私たちの暮らしは持ち運べる電子機器であふれていった。携帯電話、ノートパソコン、ビデオカメラ。これらを支えたのが、小さくて軽く、繰り返し充電できるリチウムイオン電池だった。
この電池の実用化に大きく貢献したとして、二〇一九年のノーベル化学賞が、旭化成の吉野彰氏を含む三名の研究者に贈られている。リチウムイオン電池は一九九一年にソニーによって製品化されたとされ、モバイル機器の時代を切りひらいた。当初は手のひらの機器のための技術でしたが、性能が上がり、量産でコストが下がるにつれて、より大きな用途――自動車を動かすという用途が、現実味を帯びてくる。
- 1900年前後
蒸気・ガソリン・電気の三方式が競い合い、電気自動車も有力な選択肢だった。
- 1920年代
安価なガソリン車に押され、電気自動車は街からほぼ姿を消す。
- 1991年
リチウムイオン電池がソニーにより製品化されたとされ、モバイル機器の時代を支える。
- 2008年
テスラが最初の量産車ロードスターの納車を開始し、EVの可能性を示す。
- 2019年
リチウムイオン電池の開発をめぐり、吉野彰氏らにノーベル化学賞。
電池の進歩は、EVが抱えていた最大の弱点――短い航続距離と長い充電時間――を、完全にではないにせよ大きく和らげた。一度の充電で数百キロを走れる車が現実になり、電気で走るという選択は、もはや実用に堪えないものではなくなっていく。そしてこの可能性に賭けた、一つの新しい会社が現れた。
テスラという挑戦者
カリフォルニアで生まれたテスラは、既存の大手とはまるで違う発想で電気自動車に挑んだ。二〇〇三年に創業した同社は、二〇〇八年に最初の量産車ロードスターの納車を始める。それは英国のスポーツカーをベースに電動化した二人乗りで、電気自動車は退屈で非力だという思い込みを覆す、速く魅力的な車として注目を集めた。
経営の主役となったイーロン・マスク氏のもと、テスラはその後、四ドアセダンのモデルSなどを世に送り出していく。報じられるところでは、創業から軌道に乗るまでの道のりは資金繰りの危機の連続で、倒産寸前まで追い込まれた局面もあったとされる。その評価をめぐっては、自動車産業の常識を塗り替えた革新者と見る声がある一方、株価や経営者の言動への賛否も大きく、毀誉褒貶の激しい企業でもある。
テスラの登場は、長く電気自動車に消極的だった既存メーカーを刺激した。各社が相次いで電動化計画を打ち出し、EVは一部の先進ユーザーのものから、産業全体の主題へと変わっていく。ただし、その勢いを後押ししたのは、一企業の努力だけではなかった。
脱炭素・規制・そして中国
二十一世紀に入り、地球温暖化への危機感が世界の政策を動かしていく。温室効果ガスを減らす、いわゆる脱炭素の流れのなかで、走行中に排ガスを出さない電気自動車は、環境対策の切り札の一つと位置づけられるようになった。
欧州連合(EU)では、二〇三五年に向けて新車のCO2排出を実質ゼロにする方針が掲げられたと報じられ、ガソリン車の新車販売を将来的に大きく制限する流れが議論されてきた。各国が補助金や規制で電動化を後押しするなか、もう一つの巨大な変化が起く。中国の台頭である。中国メーカーのBYDなどが急成長し、世界の電気自動車販売で大きな存在感を示すようになったと伝えられ、安価な中国製EVの輸出は欧州市場でも無視できないものとなった。これに対しEU側が追加関税などの対抗策を検討したと報じられるなど、EVは環境問題であると同時に、国家間の産業競争の主戦場にもなっている。
もっとも、電動化への道は平坦ではない。EVの普及には充電設備の整備や電池に使う資源の確保が欠かせず、電気そのものをどう発電するかによって環境への効果は変わる。発電が化石燃料に頼っていれば、走行時に出さない排出を発電所が肩代わりしているにすぎない、という指摘もある。各国が一度掲げた規制の目標を見直す動きも伝えられ、内燃機関の終わりがいつ・どのように来るのかについては、専門家のあいだでも見方が分かれている。
電気で走る車は、百年の眠りから覚め、ふたたび自動車の中心に近づきつつある。けれども電動化は、車に起きている変化の半分にすがない。動力が電気に変わったその同じ車のなかで、もう一つの、もっと根本的な変化が静かに進んでいた。やがて電気で動く車は、人の手を離れ、自分で走りはじめようとしているのだ。
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