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スマートウォッチ時代に、なぜ機械式は売れ続けるのか

アップルウォッチが登場し、腕時計はふたたび姿を変えた。それでも機械式は売れ、二次流通市場は過熱したと報じられる。スマートウォッチの時代に高級時計が持つ意味とは何か。十話にわたる旅の最終章として、答えを急がず、時計と人の関係をそっと見渡す。

2026年6月13日

前回、私たちは機械式時計がよみがえった謎をたどった。正確さでクオーツに敗れた機械式が、資産価値やステータス、そして物語をまとうことで、ふたたび人々の手首と心を引き寄せていく——そんな復権の物語だった。

ところが、その手首のすぐ近くに、まったく新しい時計が現れる。時刻を表示するだけでなく、心拍を測り、メッセージを受け取り、決済までこなす小さな画面。スマートウォッチである。中でもアップルウォッチの登場は、腕時計とは何かという問いを、もう一度根本から揺さぶった。塔時計に始まり、スイスの家内工業、航海用クロノメーター、腕時計の誕生、御三家とロレックス、クオーツ・ショック、スウォッチの逆襲、そして機械式ルネサンス——長い旅をしてきた私たちは、この最終章で、時計が今どこに立っているのかを見渡する。答えを急がず、時計と人の関係を、もう一度静かに見つめ直してみよう。

手首に来たコンピューター

二〇一四年九月、アップルはアップルウォッチを発表した。発売は翌二〇一五年で、日本では同年四月に販売が始まったと報じられている。標準モデルやスポーツモデルのほかに、金を使った高価なモデルも用意され、価格には大きな幅があった。

スマートウォッチが時計の歴史にとって衝撃だったのは、それが時刻表示を「数ある機能の一つ」に格下げしてしまった点にある。塔時計から機械式、クオーツまで、時計はずっと「時間を知るための道具」だった。けれどスマートウォッチにとって、時刻はスマートフォンと同期して自動的に正される、当たり前すぎて意識すらされない情報である。代わりに前面へ出てきたのは、健康の記録や、通知、支払いといった機能だった。正確さで言えば、機械式どころかクオーツさえ過去のものにする精度を、スマートウォッチはこともなげに備えている。腕時計の主役が、また一つ入れ替わったかに見えた。

正確さの座をスマートウォッチに譲ってもなお、機械式時計は消えなかった。それどころか、奇妙なことが起きていく。

それでも、機械式は売れた

スマートウォッチが普及してもなお、高級機械式時計は売れ続けた。報じられているところによれば、スイス時計の輸出総額は近年に過去最高を更新したとされ、とりわけ高価格帯の時計が成長を強く牽引したと伝えられる。台数で見ればわずかな割合の高額時計が、金額の大きな部分を占めるという、はっきりとした高級化の構図が浮かび上がった。

なぜ、最も正確で多機能な時計が手に入る時代に、人はあえて機械式を選ぶのか。これまでの章で見てきたことが、ここで一つに結びつく。機械式時計は、もはや時刻を知る道具としてではなく、職人技の結晶として、世代を超えて受け継ぐものとして、自分を語る存在として選ばれている。スマートウォッチが数年で買い替えられていく一方で、機械式時計は手入れをしながら何十年も動き続け、ときに親から子へ渡される。便利さとは別の軸で、人は機械式に価値を見いだし続けたのだ。

  1. 2014年

    アップルがアップルウォッチを発表。腕時計に通知・健康記録・決済といった機能を持ち込む。

  2. 2015年

    アップルウォッチが発売され、日本でも販売が始まったと報じられる。スマートウォッチが広く普及していく。

  3. 2020年代

    スイス時計の輸出総額が過去最高を更新したと伝えられ、高価格帯が成長を牽引する高級化が鮮明になる。

  4. 近年

    人気モデルが二次流通市場で定価を上回る価格で取引され、品薄と投機的な動きが報じられる。

スマートウォッチと機械式時計は、同じ「腕に巻く時計」でありながら、まるで別のものを売っていた。一方は明日の便利さを、もう一方は時を超える物語を。両者が市場で共存しているという事実そのものが、時計という存在の奥行きを物語っている。

過熱と、時計の意味

機械式時計が選ばれ続けたことには、明るい面ばかりではない影もつきまとった。

報じられているところによれば、一部の人気モデルは正規店で手に入りにくくなり、中古市場では定価を大きく上回る価格で取引される時期があったとされる。ある時期には、人気のスポーツモデルが定価の二倍を超える値で売買されることも珍しくなかったと伝えられ、時計としての価値よりも、短期の値上がりを期待した動きが目立ったと指摘された。その後、世界的な金融環境の変化などを背景に、過度なプレミア価格は見直しの局面に入ったとも報じられている。欲しい人が買えず、転売を目的とした買い手が市場を動かす——この過熱は、時計を愛する人々にとって、喜ばしいとは言い切れない現象だった。

そして、私たちは最初の問いへ戻る。なぜ人は、時代遅れの機械に大金を払うのか。十の章をたどってきた今も、その問いに一つの答えを出すことはできない。資産だから、ステータスだから、美しいから、受け継ぎたいから——理由はいくつもあり、人の数だけ違う物語がある。ただ、こうは言えるかもしれない。時計は、目に見えない時間を、手で触れられる形にしてくれる、数少ない道具である。塔の上で街に時を告げた鐘から、手首の上で時を刻み続ける機械まで、人はずっと、過ぎていく時間を何とかして手元に留めようとしてきた。機械式時計に払われる大金は、もしかしたら、その願いの大きさそのものなのかもしれない。

正確さなら、スマートフォンで十分である。それでも私たちが、歯車の鼓動する小さな機械に惹かれるとき——そこにあるのは、時間という、誰にも等しく流れ、決して取り戻せないものへの、静かな敬意なのだと思う。時を刻む者たちの物語は、まだ手首の上で続いている。あなたの腕の時計も、いつか誰かの物語になるのかもしれない。

長い旅にお付き合いいただき、ありがとうござった。塔時計から始まったこの物語が、あなたの手元の一本を、少しだけ違って見せてくれたなら幸いである。

【時を刻む者たち ― 高級時計の世界史・完】

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