手首の革命 ― 戦争が、男に腕時計を巻かせた
腕時計はかつて女性の装身具と見なされ、男が手首に巻くのは恥とすら言われた。空を飛ぶ青年のために生まれた「サントス」、塹壕で命をつないだ軍用時計、そして時計が懐中から手首へと居場所を移すまでを描く第4話。実用品としての腕時計の誕生をたどる。
2026年6月13日
いまでこそ、腕に時計を巻くことは男女を問わず当たり前の光景である。けれど20世紀のはじめ、もし大の男が手首に時計を巻いて街を歩けば、奇異の目で見られたかもしれない。当時、腕に巻く小さな時計は「リストレット」などと呼ばれ、多くは女性の装身具と見なされていたからである。きちんとした紳士の時計といえば、ベストのポケットに収め、鎖でつないだ懐中時計こそが本物だった。手首の時計は、ひ弱で、壊れやすく、男のものではない——そんな空気が確かにあったのだ。本話は、その常識をひっくり返した二つの力、すなわち「空」と「戦争」の物語である。
- 1880
ドイツ海軍が艦上で使う実用的な腕時計を、スイスのジラール・ペルゴに発注したと伝えられ、男性用腕時計の早い例として語られる。
- 1904
パリの宝飾商ルイ・カルティエが、飛行家サントス・デュモンのために手首で読める時計サントスを考案したとされる。
- 1911
サントスが一般向けに発売されたと伝えられ、腕時計が紳士の持ち物へと近づいていく。
- 1914
あるメーカーの婦人用腕時計が英キュー天文台の高位の精度認定を得たとされ、腕時計の精度への偏見が揺らぎ始める。
- 1914
第一次世界大戦が始まり、塹壕で戦う兵士のあいだに、片手で時刻を読める腕時計が急速に広まっていく。
空を飛ぶために生まれた「サントス」
腕時計を紳士の世界へ引き上げた最初のきっかけは、地上ではなく空にあった。20世紀初頭、パリの社交界の花形だったのが、ブラジル出身の飛行家アルベルト・サントス・デュモンである。飛行機械の操縦に挑んでいた彼には、切実な悩みがあった。操縦中は両手がふさがり、ポケットから懐中時計を取り出して時刻を確かめることなど、とてもできなかったのだ。
その相談を受けたのが、彼の友人で宝飾商の「カルティエ」を率いるルイ・カルティエだった。1904年ごろ、カルティエは飛行家のために、手首に巻いたまま時刻を読める時計を考案したと伝えられる。これが、後に「サントス」と呼ばれる時計である。四角い文字盤に、ベゼルへ覗く飾りねじという独特の意匠は、当時の飛行機械の鋲を思わせるとも語られ、空の時代の空気をまとっていた。そして1906年、サントス・デュモンが衆人環視のなかで飛行に成功した際、その手首には腕時計があったとされ、これが世に知られた早い「飛行士の腕時計」の一例として語られている。
ただし、サントスが世に出た当初、それを身につけられたのはごく限られた人々だった。一般への発売は1911年ごろまで待つことになり、しかも貴金属でつくられた高価な品だった。空という新しい時代の象徴ではあっても、腕時計はまだ、男のための実用品として広く根づいたわけではなかったのだ。その壁を一気に押し倒したのは、はるかに過酷な出来事だった。
塹壕が、腕時計を必需品に変えた
腕時計を男たちの必需品へと変えたのは、1914年に始まった第一次世界大戦だった。泥にまみれた塹壕での戦いは、それまでの戦争とは時間の使い方そのものが違った。砲撃を一斉に始める、味方が前進する瞬間に攻撃を止める——こうした連携には、兵士たちが秒単位で同じ時刻を共有する必要があったのだ。
ところが、懐中時計は戦場ではあまりにも不便だった。ポケットから取り出すのに片手がふさがり、蓋を開けて時刻を読み、しまうまでに、もう一方の手も使うことになる。銃を握ったまま、走りながら、瞬時に時刻を確かめなければならない兵士にとって、その動作は許されないものだった。手首に巻いておけば、一瞥で時刻が分かる腕時計の優位は、誰の目にも明らかだった。
兵士たちは、懐中時計に取り付け金具を付けて手首に巻いたり、はじめから手首用につくられた時計を求めたりするようになる。塹壕の過酷さに耐えるための工夫も生まれた。割れやすいガラスの風防を守るため、格子状の金属カバー、いわゆる「シュラプネル・ガード」を取り付けた時計が広まったのも、この時代の特徴である。スイスの時計メーカーは、こうした需要に応えて、ケースに留め具を付けた腕時計用のケースを次々と供給していったとされる。前話までに育っていたスイス時計産業の地力が、ここで戦場の要請と結びついたのだ。
戦地から帰った兵士たちは、塹壕で命をつないだ腕時計を、もはや手放しなかった。かつて女性の装身具と見なされた手首の時計は、戦火をくぐった実用品として、男たちの誇りの品に変わっていたのだ。戦後、腕時計は急速に大衆へと広がり、懐中時計はゆっくりと表舞台を去っていった。
「ひ弱な時計」という偏見を超えて
それでも、腕時計が紳士の世界で完全に市民権を得るには、もう一つの壁を越えねばなりなかった。「手首の時計は精度が出ない、ひ弱な代物だ」という根強い偏見である。腕は絶えず動き、衝撃や汗、温度の変化にさらされる。ポケットのなかで静かに時を刻む懐中時計に比べ、過酷な環境に置かれる腕時計は信頼できない——多くの人がそう考えていた。
この偏見に、一つの反証が突きつけられる。1914年、ある時計メーカーが小さな婦人用の腕時計を英国のキュー天文台に持ち込み、当時もっとも厳しいとされた精度の認定を得たと伝えられている。海軍の時計の精度を試すこの権威ある機関が、小さな腕時計に最高位の評価を与えたという事実は、腕時計でも一流の精度を実現できることを示す出来事として語られている。これを手がけたメーカーは、後に防水や自動巻きで時計の歴史を塗り替えていくことになるが、その物語は、この連載のもう少し先で詳しく扱う。
なお、男性用の実用的な腕時計の試みは、必ずしも20世紀になって突然始まったわけではない。一説には、1880年ごろ、ドイツ海軍が艦上で使う腕時計をスイスのメーカーに発注したとも伝えられ、軍隊という現場が早くから腕時計の実用性に注目していたことがうかがえる。腕時計の歴史は、誰か一人の発明というより、空・海・戦場という「両手を自由にしたい現場」が積み重ねた必要から、少しずつ形づくられていったのだ。
こうして腕時計は、装身具という出自を脱ぎ捨て、空を飛び、戦場を生き延び、精度の偏見を乗り越えて、20世紀を代表する道具へと駆け上がっていった。けれど、時計の物語はここで実用一辺倒に向かったわけではない。同じ頃、スイスのジュネーブでは、まったく別の方向へ——時計を芸術の高みへと押し上げようとする、職人たちの静かな情熱が燃え上がっていた。
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