クロニカ クロニカ
← 宗教と政治 ― 信仰が国家を動かすとき の目次へ

インドの信仰と国民 ― ヒンドゥー・ナショナリズム

宗教対立の悲劇のなかから、インドは世俗国家として独立した。だが多数派の信仰を国民意識と重ねる潮流が、その理念を静かに揺らしていく。世俗主義の建国理念とヒンドゥー・ナショナリズムの台頭を、賛否両論を併記しながら冷静にたどる第4話。

2026年6月13日

前回、中東では信仰が国家の形そのものをめぐる問いとして立ち現れる姿を見た。アジアの大国インドでは、宗教と政治はまた別の交わり方をしてきた。ここで問われるのは、国家が宗教国家になるかどうかではない。「インド人とは誰か」という、国民の輪郭そのものをめぐる問いである。インドは多くの宗教が共に暮らす社会として知られ、独立の出発点には、宗教の違いによって人が殺されることのない国を作るという誓いがあった。けれども、多数派であるヒンドゥー教徒の信仰を国民であることの中心に据えようとする潮流が、その理念を内側から揺らしてきたとされる。この回では、世俗国家として生まれたインドと、それを問い直す力とのあいだの緊張を、賛否の両面からたどる。

  1. 1925

    ヒンドゥーの民族・文化を重んじる思想を背景に、民族義勇団(RSS)が結成される。

  2. 1947

    インドが独立。宗教の違いをめぐる分離独立の混乱のなかで、世俗国家としての歩みが始まる。

  3. 1950

    施行された憲法のもと、インドは特定の宗教を国家と結びつけない世俗的な共和国として出発する。

  4. 1992

    アヨディヤで歴史的なモスクが群衆により破壊され、宗教間の緊張が全国的な衝撃となる。

  5. 2014

    ヒンドゥー・ナショナリズムを背景に持つインド人民党(BJP)が下院で単独過半数を得て政権に就く。

悲劇から生まれた世俗国家

1947年、インドはイギリスの支配から独立した。けれどその独立は、喜びだけのものではなかった。ヒンドゥー教徒を多く抱える地域とイスラーム教徒を多く抱える地域とが、インドとパキスタンという二つの国に分かれる、いわゆる分離独立という形をとったからである。このとき宗教の違いを理由とする激しい暴力が各地で起こり、おびただしい数の人々が命を落とし、故郷を追われたと伝えられる。

この悲劇は、新しい国の指導者たちに重い教訓を残した。初代首相ネルーは、宗教の違いによって人が殺されることのない国を作ることを、独立国家の根幹に据えたとされる。1950年に施行された憲法のもと、インドは特定の宗教を国家と結びつけない世俗的な共和国として出発した。多様な宗教が並び立つこの社会で国を一つにまとめるには、国家がどの信仰にも肩入れしないこと、すなわち政教分離こそが必要だ——それがインド建国の選んだ道だった。

ここで大切なのは、インドの世俗主義が、宗教を社会から追い出そうとするものではなかったという点である。むしろ、あらゆる信仰を等しく尊重し、どれか一つを国家の宗教としないことに重きが置かれたとされる。人々は篤く信仰を保ちながら、国家のレベルでは特定の宗教に偏らない——その繊細な均衡の上に、独立インドの統一は築かれていった。だからこそ、この均衡をどう保つかは、その後のインド政治の中心的な課題であり続けることになる。

「ヒンドゥーであること」と「インド人であること」

この世俗国家のあり方に、別の国民像を対置する潮流があった。ヒンドゥー・ナショナリズムと呼ばれる思想である。その中心には、ヒンドゥーの文化や伝統をインドという国の根幹とみなし、それを国民の一体感のよりどころとしようとする考え方があるとされる。インドらしさをヒンドゥーの伝統と重ねて捉えるこの見方は、ヒンドゥトヴァという言葉で語られることもある。

この潮流を担う組織として知られるのが、1925年に結成された民族義勇団、いわゆるRSSである。そして政治の舞台でこの理念を掲げてきたのが、1980年に結成されたインド人民党、BJPだった。彼らの主張をどう評価するかは、大きく分かれている。支持する人々は、長く軽んじられてきたヒンドゥーの文化や誇りを正当に取り戻すものだと捉え、国の一体感や活力の源と見る。一方で批判する人々は、多数派の信仰を国民の中心に据えることが、イスラーム教徒をはじめとする少数派を周縁に追いやり、建国以来の世俗主義の理念を損なうのではないかと懸念する。

この対立が最も鋭い形で表れた出来事のひとつが、1992年にアヨディヤで起きたモスクの破壊だった。その場所はヒンドゥー教で重んじられる神の生誕地とされ、信仰と歴史が複雑に絡む土地だった。動員された群衆によって歴史的なモスクが壊されたこの事件は、各地に深刻な対立を引き起こし、インド社会に長く影を落とすことになる。この出来事をめぐっても、その経緯や責任についての受け止め方は立場によって異なり、評価は今も定まっていない。

揺れる均衡のなかで

ヒンドゥー・ナショナリズムを背景に持つBJPは、その後しだいに政治的な存在感を増していった。1990年代後半には連立政権の中心となり、2014年の総選挙では下院で単独過半数を得て政権に就いたとされる。長く続いた世俗主義を掲げる政治への不満や、経済への期待など、その背景にはさまざまな要因が指摘されており、人々がこの潮流を選んだ理由は一様ではない。

この変化を、人々はそれぞれに受け止めている。支持する立場からは、停滞を脱し、国に自信と推進力をもたらした動きとして評価される。経済の成長や国際的な存在感の高まりを、その成果として挙げる声もある。他方で、世俗主義の後退を懸念する立場からは、少数派の不安が高まり、多様な社会の調和が損なわれることへの危惧が語られる。同じ出来事が、希望としても、不安としても受け止められている——これがインドの現在の姿だと言えるだろう。

ここで立ち止まって確かめておきたいのは、これはヒンドゥー教という信仰そのものの問題ではない、ということである。問われているのは、特定の信仰を国民であることの中心に据えるという政治の選択が、多くの宗教が共に暮らす社会にとって何をもたらすのか、という構造の問題である。ヒンドゥー教を信じる人々の多くは、こうした政治的な動きとは別に、日々の信仰を静かに営んでいる。信仰と、その名のもとに展開される政治とを、混同しないことが大切である。

インドの物語は、宗教と政治の関係が、国家が宗教国家になるかどうかという形だけでなく、「国民とは誰か」という輪郭の問いとしても現れることを教えてくれる。多様な信仰を抱えた社会が、その多様さをどう国の形に映していくのか——その問いに、唯一の正解はまだ見つかっていない。さて、視線をヨーロッパに移しよう。そこでは宗教が、革命や対立とは違うもっと穏やかな仕方で、戦後の政治に静かに根を張っていった。次回はその落ち着いた関係のモデルをたどる。

この記事は役に立ちましたか?

この物語が面白かったら——

X LINE

参考ソース・元動画