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ドーピングという影 — クリーンな五輪をめぐる闘い

メダルには名誉だけでなく、巨額のお金と未来がかかる。だからこそ薬物の誘惑は消えない。東ドイツの国家ドーピング、ベン・ジョンソンの衝撃、ロシアをめぐる疑惑とWADAの誕生。検査と不正のイタチごっこの歴史を、確定・報道された範囲で中立にたどる。

2026年6月13日

前話まで、私たちは五輪を動かすお金が、招致や運営の舞台裏でときに闇を生んできたことを見てきた。けれどお金の影は、そこにとどまりなかった。やがてそれは、競技そのものの公正さ――勝負の中心へと忍び寄っていく。

理由は単純である。五輪のメダルには、名誉だけがかかっているのではない。放映権とスポンサーが五輪を巨大ビジネスへ育てた時代において、表彰台はそのまま広告塔となり、栄冠は国の威信や、選手個人のその後の人生を左右する報酬へと結びついていった。勝てば、すべてが変わる。その引力が強くなればなるほど、勝つためならという誘惑もまた、静かに大きくなっていったのだ。これは、その誘惑とたたかってきた、クリーンな五輪をめぐる長い物語である。

国家が関与したとされる時代

ドーピング――競技力を不正に高める薬物の使用は、五輪の歴史に古くから影を落としてきた。なかでも語り継がれるのが、東西冷戦下の旧東ドイツをめぐる問題である。

報道や研究によれば、旧東ドイツでは1970年代を中心に、国家が組織的にドーピングへ関与していたとされている。選手のなかには、薬物だと知らされないまま投与されていた者もいたと伝えられ、関係する記録の管理には旧東ドイツの治安機関が深くかかわっていたと指摘されてきた。東ドイツは、1976年モントリオール大会で金メダル40個という成績を残し、スポーツ大国として世界を驚かせる。けれどその輝きの内側に何があったのかは、東西ドイツの統一後、徐々に明るみに出ていくことになった。

ここで大切なのは、これを一国だけの特殊な逸脱として片づけないことである。前話までに見てきたとおり、五輪は国家の威信をかけて争われる舞台になっていた。メダルの数が国力の証しと見なされる時代に、勝利への圧力は、東西どちらの陣営にも、形を変えて存在していたとされる。

「世界最速」が崩れた瞬間

国家の関与とは別に、ドーピングが世界に最も鮮烈な衝撃を与えた瞬間があった。1988年ソウル五輪の、陸上男子100メートル決勝である。

カナダのベン・ジョンソン選手は、ライバルを大きく引き離し、9秒79という世界新記録でゴールした。地球上で最も速い男――そう称えられたのも束の間、競技後のドーピング検査で筋肉増強剤の陽性反応が出たと公表され、IOCは金メダルと世界記録の剥奪を決定する。栄光の頂点から失墜までが、わずか数日の出来事だった。

この一件が決定的だったのは、それが疑惑や噂ではなく、検査によって示された結果だったからである。最高の舞台で、最高の記録が、こうも簡単に偽りに変わりうる。観客が見ていたのは本物だったのか――その問いは、五輪そのものへの信頼を揺さぶった。クリーンな勝負をどう守るのか。この事件は、世界にその課題を突きつけたのだ。

検査と不正の、終わりなき追いかけっこ

ドーピングとの闘いは、一筋縄ではいきなかった。ある薬物を検出できるようになれば、検査をかいくぐる新たな手法が現れる――そんなイタチごっこが、長く続いていく。取り締まる側が一歩進めば、不正の側も一歩動く。この構図こそが、アンチ・ドーピングの歴史を貫く難しさだった。

長らくドーピングの取り締まりは、IOCや各競技団体がそれぞれに担っていた。しかし基準も体制もばらばらで、国境や競技をまたいだ統一的な対応は容易ではない。転機となったのが、1998年に自転車ロードレースの大会で発覚した、組織的なドーピング事件だった。これを一つの契機として、世界共通のルールと専門機関の必要性が、強く認識されるようになる。

そして1999年、IOCが主導する形で、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立された。WADAは2003年に世界共通の基準である世界ドーピング防止規程(WADAコード)をまとめ、検査や処分のルールを国際的にそろえていく。取り締まりは、各団体ばらばらの努力から、世界が足並みをそろえる体制へと移っていった。

  1. 1976

    モントリオール五輪で旧東ドイツが躍進。のちに国家ぐるみのドーピングが問題化したとされる。

  2. 1988

    ソウル五輪100メートルでベン・ジョンソンが金と世界記録を剥奪される。

  3. 1999

    IOC主導で世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立。

  4. 2003

    世界共通基準の世界ドーピング防止規程(WADAコード)がまとまる。

  5. 2016

    ロシアの国家関与を指摘する報告書が公表され、五輪の参加資格が問われる事態に。

それでも、不正の手口は巧妙さを増していった。近年で最も大きく報じられたのが、ロシアをめぐる一連の問題である。2016年に公表された調査報告書は、ロシアにおいて検体のすり替えなど、国家が関与したとされる組織的な不正があったと指摘した。これを受けてロシアの選手は、一定期間、国としての参加が認められず、潔白が確認された選手が中立の立場で出場するといった、異例の対応がとられていく。これらは現在も評価や立場が分かれる、近年の出来事として報じられている。

クリーンな五輪は、誰のためのものか

ドーピングをめぐる歴史は、単なる不正の摘発史ではない。それは「公正な勝負とは何か」を、社会が問い直し続けてきた記録でもある。

検査はいまも完璧ではなく、新しい薬物や手法との追いかけっこは続いている。一方で、ルールの統一や検査技術の進歩によって、かつてなら見逃されていたかもしれない不正が、明るみに出るようにもなった。光と影は、ここでも分かちがたく絡み合っている。厳しすぎる検査が選手の負担になるという声もあれば、もっと徹底すべきだという声もある。どこに線を引くのが正しいのか、簡単な答えはない。

確かなのは、五輪が巨大なお金と期待を背負うかぎり、勝利への誘惑が消えることはない、ということである。だからこそ、クリーンな勝負を守る努力もまた、終わることがない。表彰台で流れる涙が本物であってほしい――その素朴な願いを守るために、検査する側もされる側も、終わりのない闘いを続けている。

メダルの価値が高まりすぎたこと。それは五輪の繁栄の証しであると同時に、その公正さを脅かす火種でもあった。お金が競技の中心にまで影を落とすようになったとき、人々はあらためて、こう問わずにはいられなくなる。これほど巨大になった五輪は、いったい何のために、誰のためにあるのか――。肥大しつづける五輪に、世界はいま、その問いを投げかけている。

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