イラク戦争 — 大義と石油のあいだ
2003年、米英は「大量破壊兵器」を掲げてイラクに侵攻した。フセイン政権は3週間で崩れたが、その後に待っていたのは見つからない兵器、宗派対立、終わりの見えない泥沼だった。大義と石油利権のあいだで、いまも問いは消えない。
2026年6月11日
湾岸戦争から12年。サダム・フセインはなお健在で、クウェートの油田はとうに鎮火していた。だが2003年の春、世界はもう一度、ペルシャ湾の砂の上で爆撃の閃光を見ることになる。今度の戦争には、奇妙な特徴があった。理由として掲げられた「敵の兵器」が、結局どこからも見つからなかったのである。
「大量破壊兵器」という大義
2001年9月の同時多発テロ以降、アメリカの空気は一変していた。やがて矛先は、かねてからの宿敵フセイン政権へと向かう。米政権が掲げた理由は二つ。イラクが大量破壊兵器(WMD)を隠し持っていること、そしてフセインが国際テロ組織と結びついているという疑いだった。
国際社会の足並みは揃わなかった。フランスやドイツは武力行使に慎重で、国連安保理は明確な開戦の決議を出さないままだった。それでも2003年3月20日、アメリカはイギリスらとともに「衝撃と畏怖(ショック・アンド・オー)」と呼ばれる大規模空爆で開戦に踏み切る。
軍事的な決着は、驚くほど早かった。圧倒的な火力の前にイラク軍は崩れ、開戦から約3週間で首都バグダッドは陥落。フセインの巨大な銅像が引き倒される映像は、戦争の「勝利」を象徴するシーンとして世界中に流れた。
見つからなかった兵器、崩れた国家
ところが、勝利の高揚は長く続かなかった。占領後、米軍と専門家たちはイラク中をくまなく捜索したが、開戦の最大の理由だったはずの大量破壊兵器は、ついに発見されなかった。「戦争の前提そのものが間違っていたのではないか」——この疑問は、戦争を主導した国々の内側からも噴き出していく。
さらに事態を悪化させたのが、占領統治の進め方だった。アメリカ主導の暫定統治当局は、フセインの与党だったバアス党の関係者を公職から一掃し(脱バアス党化)、さらにイラク軍を解体してしまう。これにより、数万から十数万人ともいわれる人々が、職と誇りを同時に奪われた。
国家の屋台骨を支えていた人々を一夜にして敵に回したこの決定は、後年「占領統治最大の失策のひとつ」と評されることになる。フセインという重しが消えた国には、巨大な力の空白が生まれていた。
泥沼と宗派対立
- 2003.3
米英を中心とする有志連合がイラクに侵攻。大規模空爆で開戦。
- 2003.4
バグダッド陥落。フセイン政権が崩壊する。
- 2003.5
占領統治当局が脱バアス党化とイラク軍解体を指令。力の空白が広がる。
- 2003.12
潜伏していたフセインが拘束される。
- 2006
シーア派の聖地サーマッラーの黄金ドーム爆破事件。宗派間の暴力が全土へ拡大。
力の空白に流れ込んだのは、宗教・宗派の対立だった。イラクは多数派のシーア派と、フセイン政権下で支配層を占めてきた少数派のスンニ派、そして北部のクルド人が同居する、人為的に引かれた国境(連載第3話を思い出してほしい)の国である。重しが外れた途端、抑え込まれてきた緊張が噴き出した。
2006年、シーア派の聖地サーマッラーの黄金ドームが爆破されると、報復が報復を呼ぶ凄惨な暴力の連鎖が全土を覆う。占領軍は治安を回復できず、駐留は長期化し、おびただしい数の市民と兵士が命を落としていった。「短期で終わる解放」だったはずの戦争は、出口の見えない泥沼に変わったのである。
大義の裏に、石油はあったのか
戦争が泥沼化するほどに、人々は問い始めた。「本当の目的は何だったのか」と。
イラクは世界有数の埋蔵量を誇る産油国である。だからこそ、「WMDは口実にすぎず、狙いはイラクの石油利権ではなかったか」という見方が、当時から今日まで根強く語られ続けてきた。一方で、「石油欲しさだけで国家がこれほどの泥沼に踏み込むはずがない」「動機はもっと複雑だ」とする反論も同じだけ存在する。
ヤーギンが『石油の世紀』で描いたように、石油はつねに「戦略」と切り離せない。だが同時に、人々を動かすのは利益だけではない。恐怖、復讐、誇り、誤算——イラク戦争は、それらが石油という資源の上で複雑に絡み合った末の悲劇だった。
そして、この戦争はもうひとつ、巨大な副作用を残す。膨大な戦費と犠牲を払いながら、思い描いた安定は訪れなかった。アメリカ国内には、深い疲労感——いわゆる「中東疲れ」が静かに広がっていく。世界の警察官として湾岸に居座り続けることへの、根本的な問い直しが始まったのだ。
これだけの代償を払った当のアメリカが、やがて中東そのものから距離を取ろうとし始める。物語はいよいよ、私たちの生きる現代へとたどり着く。
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