1973 — 石油が武器になった日
1973年10月、第四次中東戦争を引き金にアラブ産油国は石油を「武器」として抜いた。禁輸と大幅値上げで原油価格は数カ月で約4倍に。世界経済は大混乱に陥り、日本では紙が店頭から消えた。主導権は、ついにメジャーからOPECへ移る。
2026年6月11日
前回までで、産油国は「団結」という武器を手に入れ、価格交渉のテーブルで主導権の一角をつかみました。けれど、それはまだ商取引の枠の中の話。石油はあくまで「売り買いされる商品」でした。
1973年の秋、そのルールが一夜にして書き換えられます。石油はもはや商品ではなく、軍事行動の延長線上に置かれる――「政治の武器」になったのです。世界が、初めてそれを思い知らされた数十日間の物語です。
10月6日、戦争が始まった
1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルへ奇襲をかけ、第四次中東戦争が勃発します。ユダヤ教の祝日(ヨム・キプール)を狙った攻撃でした。戦況は一進一退となり、米ソがそれぞれイスラエルとアラブ側を支援するなかで、戦争は中東の枠を超えた国際的な対立へと広がっていきます。
このとき、アラブの産油国は気づいていました。自分たちは、戦車や戦闘機よりもはるかに強力な「もうひとつの武器」を握っている――世界が動くのに欠かせない、石油という名のバルブを。
二つの引き金 — 値上げと禁輸
産油国が抜いたカードは、ほぼ同時に二枚ありました。
一枚目は値上げ。1973年10月16日、ペルシャ湾岸のOPEC6カ国が、原油の公示価格を1バレルあたり約3ドルから約5ドルへ、一気に約70%引き上げると発表します。しかも今回は、メジャーとの交渉ではなく、産油国が自分たちだけで価格を決定して通告した点が決定的でした。「いくらにするかは、我々が決める」――テヘラン協定で傾いていた振り子が、ここで完全に産油国の側へ倒れたのです。
二枚目は禁輸と減産。翌10月17日、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は原油生産の段階的削減を決め、イスラエルを支援する国――アメリカやオランダなど――への輸出を止めると相次いで表明しました。石油を「友好国には売り、敵対国には売らない」政治の道具として使い分け始めたのです。
この使い分けが、世界の外交地図をひそかに塗り替えていきます。アラブ寄りの姿勢を示せば油が手に入り、イスラエル寄りと見なされれば蛇口を締められる。ヨーロッパや日本の政府は、これまでの中東への向き合い方を急いで考え直さざるを得ませんでした。武力を一発も使わずに、産油国は相手国の外交方針そのものを動かしてみせたのです。石油の「武器」としての威力は、弾丸ではなく、止めるという脅しそのものにありました。
- 1973/10/6
第四次中東戦争が勃発。エジプト・シリアがイスラエルを奇襲。
- 1973/10/16
湾岸OPEC6カ国が公示価格を約3ドル→約5ドルへ、自主決定で約70%引き上げ。
- 1973/10/17
OAPECが減産とイスラエル支援国への禁輸を決定。石油が「武器化」。
- 1973/12/23
湾岸6カ国がさらに価格を約11.65ドルへ。3カ月で原油はおよそ4倍に。
そして年の瀬、1973年12月23日。湾岸6カ国は、翌年初めから価格をさらに約11.65ドルへ引き上げると決定します。10月時点の約5ドルから倍以上。年初の約3ドルと比べれば、原油はわずか3カ月でおよそ4倍に跳ね上がりました。これが**第一次オイルショック(石油危機)**です。
紙が消えた国 — 日本の狂騒
価格が4倍になり、供給が細るかもしれない。この報せは、エネルギーの大半を輸入に頼る国々を直撃しました。とりわけ、石油のほとんどを中東に依存していた日本の動揺は激しいものでした。
1973年の晩秋、日本中のスーパーの棚から、トイレットペーパーや洗剤が忽然と消えます。「石油が止まれば、紙も作れなくなる」――そんな不安が口コミで広がり、人々は買いだめに走りました。実際には紙が尽きるわけではなかったのに、「なくなるかもしれない」という恐怖そのものが現実の品不足を生み出す。後世まで語り継がれるトイレットペーパー騒動です。
混乱は紙だけにとどまりません。エネルギーコストの急騰はあらゆる物価を押し上げ、世界経済は戦後初めての本格的な不況へと沈みます。安い石油を前提に組み立てられてきた先進国の繁栄が、産油国の一手で揺らぐことを、世界は思い知らされました。
日本政府は街のネオンを消し、テレビの深夜放送を切り上げ、車の利用自粛を呼びかけました。高度経済成長をひた走ってきた国が、初めて「省エネ」という言葉を真剣に学んだ瞬間です。同時に、この危機は中東一辺倒だった石油の調達先を見直し、原子力や省エネ技術の開発に本腰を入れる転機にもなりました。痛みは、のちの産業構造を鍛え直す薬にもなったのです。
恐怖に駆られたのは消費国だけではありません。アメリカやヨーロッパの政府も、エネルギーを一国に握られる危うさを痛感し、消費国同士で協調して備えを固める動きへと進みます。各国が国家備蓄を積み、需給の情報を共有する――石油を「平時から守るべき安全保障」として扱う発想が、このとき生まれました。
主導権は、誰の手に
このオイルショックがもたらした最大の変化は、価格の数字ではありません。「誰が石油を支配しているのか」という問いの答えが、入れ替わったことです。
それまで原油の価格と量を実質的に決めていたのは、セブン・シスターズと呼ばれた欧米のメジャーでした。第4話で見たとおり、彼らは産油国に屈辱を強い、革命さえ握り潰した。ところが1973年、産油国は自分たちの意思で価格を決め、供給を絞り、政治目的のために石油を使った。メジャーはもはや、価格を決める主役ではいられなくなったのです。
石油という富の蛇口を、ついに自分たちの手で握った中東諸国。莫大なオイルマネーが砂漠の国々へ流れ込み、世界の力学は確かに彼らへ傾きました。
けれど、富は安定を約束しません。膨れ上がった石油収入と、それを誰がどう使うのかをめぐって、中東の内側で新たな亀裂が走り始めます。次回、舞台はふたたびイランへ。一国の「革命」が、世界をもう一度、石油の恐怖に突き落とすことになるのです。
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