二つの戦争 — イラン・イラク戦争と湾岸戦争
革命の余波は、隣り合う二大国を油田の上で激突させた。8年に及ぶ泥沼のイラン・イラク戦争、ホルムズ海峡を緊迫させたタンカー戦争。そして借金まみれのフセインはクウェートへなだれ込む。湾岸戦争と、空を黒く染めた油田の炎。
2026年6月11日
革命でイランが宗教国家へと姿を変えたとき、国境を接する西の隣国イラクで、一人の独裁者がその混乱を冷たく見つめていた。サダム(サッダーム)・フセインである。
革命直後のイランは、軍も社会も混乱の只中にあった。フセインはそれを「千載一遇の好機」と見る。革命の火が自国のシーア派住民に飛び火することへの恐怖と、混乱に乗じて領土と覇権を奪う野心。その二つが彼を駆り立て、ここから中東は10年以上にわたって戦火に包まれていく。
8年の泥沼 — イラン・イラク戦争
1980年9月、フセインのイラクはイランへ侵攻した。直接の火種は、両国の間を流れるシャットゥルアラブ川の支配権をめぐる長年の対立である。この川はペルシャ湾に注ぐ石油輸送の要であり、両岸には豊かな油田地帯が広がっていた。フセインは、革命で弱体化した今なら短期で勝てると踏んでいたのだ。
しかし、その読みは外れる。外からの攻撃を受けたイランでは、かえって革命への結束と愛国心が燃え上がった。緒戦こそイラクが攻め込んだものの、イランは押し返し、戦線は膠着する。塹壕戦、人海戦術、そして毒ガスの使用――第一次世界大戦を思わせる凄惨な消耗戦が、8年も続くことになった。
この戦争には、もう一つ見落とせない側面がある。それは、周辺の大国がそれぞれの思惑でイラクを支えたことである。革命イランの「反米・反西側」を警戒する国々や、シーア派革命の拡散を恐れる湾岸の産油国は、フセインのイラクを資金や物資で間接的に後押しした。革命の暴走を食い止める「防波堤」として、フセインは利用されていたのだ。だがこの構図は、戦後に思わぬしっぺ返しを生むことになる。
ホルムズ海峡が震えた — タンカー戦争
地上戦が膠着すると、戦いの舞台は海へ移る。両国は相手の経済の生命線である石油輸出を断とうと、ペルシャ湾を航行する石油タンカーを互いに攻撃し始めた。これが「タンカー戦争」である。
きっかけは1984年、イラクがイラン最大の積み出し基地カーグ島とタンカーを攻撃したこと。フセインのねらいは露骨だった。石油の通り道を危険にさらすことで、石油を欲しがる消費国を戦争に巻き込み、自国に有利な形で決着をつけようとしたのだ。
タンカーが燃えるたびに原油市場は動揺した。たまらず船主たちは護衛を求め、アメリカはクウェートのタンカーを自国船籍に書き換えて護衛する作戦に乗り出する。大国の軍艦がペルシャ湾に集結し、緊張は最高潮に達した。1988年、両国はようやく国連の停戦決議を受け入れ、長い戦争は勝者なきまま終わる。
- 1980/9
イラクがイランへ侵攻。シャットゥルアラブ川と油田をめぐりイラン・イラク戦争が勃発。
- 1984
イラクがカーグ島を攻撃。タンカー戦争が本格化し、ホルムズ海峡が緊迫。
- 1988/8
国連決議を受け入れ、両国が停戦。8年の戦争は勝者なく終結。
- 1990/8
イラクがクウェートへ侵攻し、短時間で全土を制圧。
- 1991/1
多国籍軍が「砂漠の嵐」作戦を開始。湾岸戦争へ。
- 1991/2
クウェート解放。撤退するイラク軍が油田に放火、空が黒煙で覆われる。
借金が引き起こした侵攻 — 湾岸戦争
8年の戦争で、イラクは膨大な借金を背負っていた。その多くは、革命イランを警戒する湾岸の産油国――とりわけクウェートやサウジアラビアからの資金である。戦争が終わっても国庫は空っぽ、復興の見通しは立たない。
フセインは隣の小国クウェートに矛先を向ける。「クウェートが石油を増産して価格を下げ、イラクの首を絞めている」「国境地帯の油田から、クウェートがイラクの石油を盗み採っている」――そう主張し、借金の帳消しと油田を一挙に手に入れようとしたのだ。1990年8月2日、イラク軍はクウェートへなだれ込み、わずか数時間で全土を制圧した。
一つの主権国家が、武力で隣国をまるごと併合する。これは冷戦後の世界が許容できない暴挙だった。クウェートを失えば、その先にあるサウジアラビアの巨大油田まで脅かされる――世界の石油供給の根幹に関わる事態に、国際社会は一斉に動く。
国連の安全保障理事会はイラクを非難し、経済制裁を科した。それでもフセインが撤退に応じないと見るや、アメリカのブッシュ大統領が主導して、各国の軍が結集した「多国籍軍」が編成される。冷戦が終わったばかりのこの時期、かつて対立していた東西の大国が同じ側に立ったことは、新しい国際秩序の象徴ともいわれた。
1991年1月、多国籍軍はクウェート解放を掲げて「砂漠の嵐」作戦を発動する。連日のミサイルと空爆でイラク軍の指揮系統を叩いたのち、地上部隊が一斉に進攻。圧倒的な火力の前にイラク軍は短期間で総崩れとなり、クウェートから撤退した。テレビが戦争の映像をほぼリアルタイムで世界に流した、最初の大規模戦争でもあった。
空を黒く染めた炎
しかし、フセインは最後に凄惨な置き土産を残した。撤退するイラク軍が、クウェート中の油田に火を放ったのだ。数百もの油井が同時に燃え上がり、噴き上がる黒煙は昼を夜に変えた。すすは雨に混じって黒い雨を降らせ、流れ出した原油はペルシャ湾を汚染する。鎮火には半年以上を要したといわれる。
二つの戦争は、中東が「石油の富をめぐって、自分たち同士でも血を流す土地」になってしまったことを示した。富は団結ではなく、疑心と争いを生み、それがまた大国の介入を呼び込む。この連鎖は、ここで終わりなかった。
湾岸戦争は、もう一つ重い置き土産を残する。クウェートを守るためにサウジアラビアへ展開したアメリカ軍が、戦後もこの地に駐留を続けたことである。イスラム教の聖地を抱える土地に異教の大国の軍隊が居座る――この事実は、一部の過激な勢力に「反米」の口実を与え、後年の国際テロへとつながっていったとも指摘される。石油を守るための軍事プレゼンスが、新たな憎悪の火種を生むという、出口の見えない構図がここにあった。
クウェートは解放されましたが、フセイン政権はバグダッドに残ったままである。そして、彼を「世界の脅威」とみなす空気は、アメリカの中に静かにくすぶり続ける。次の戦争は、それから10年余りののち、「大量破壊兵器」という大義を掲げて始まることになるのだ。
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