核なき世界は夢か ― 廃絶と抑止のあいだ
原子の扉が開かれてから、人類はこの火とともに八十年近くを生きてきた。2017年に採択され2021年に発効した核兵器禁止条約、その背後にある被爆者の声、そして核抑止論と核廃絶論という、いまも交わらない二つの考え方。核の未来と人類の選択を、どちらの立場にも与せず公平に見つめる最終話。
2026年6月13日
1938年、原子の核が分かれる現象が発見されてから、人類はおよそ八十年にわたって、自ら手にした「太陽の火」とともに生きてきた。砂漠での最初の閃光、二つの都市に落ちた爆弾、果てしない軍拡、世界が滅びかけた十三日間、静かに広がっていった拡散の不安——この連載でたどってきたのは、力に魅入られ、力に怯え、それでもなお力を手放せずにきた人類の姿だった。最終話では、この長い物語が私たちに突きつける問いそのものに向き合う。核なき世界は、果たして夢なのだろうか。それとも、いつか手の届く現実なのだろうか。
- 1945
広島と長崎に原子爆弾が投下され、核兵器が実際に使われた唯一の戦争となった。被爆者たちはその後、長く核廃絶を訴え続けていく。
- 1968
核拡散防止条約(NPT)が結ばれ、核軍縮への努力が条約上の義務として位置づけられた。
- 2017
核兵器禁止条約(TPNW)が国連で採択され、ICANがノーベル平和賞を受賞する。
- 2021
核兵器禁止条約が発効する。一方で、核保有国や核の傘に依存する国々は参加していないとされる。
ひとつの条約と、ひとつの声 ― 核兵器禁止条約
2017年7月、国連の場で、ひとつの条約が採択された。核兵器禁止条約(TPNW)である。核兵器の開発、保有、使用、さらには使用するという威嚇までを幅広く禁じようとするこの条約は、122の国の賛成を得て成立したと伝えられる。そして2021年1月22日、必要な国々の批准を経て、条約は正式に発効した。核兵器を全面的に違法とする初めての国際条約として、これは大きな一歩だと評価されている。
この条約の背後には、長く声を上げ続けてきた人々がった。とりわけ重要な役割を果たしたとされるのが、広島と長崎の被爆者たちである。条約の成立に尽力した非政府組織の連合体は2017年にノーベル平和賞を受け、その授賞式では、十三歳のときに広島で被爆したとされる女性が演説に立った。一発の爆弾の下で何が起きたのかを、自らの体験として語れる人々の言葉は、抽象的な安全保障論とは異なる重みを持って、世界に届けられてきた。
ただし、この条約には大きな現実も伴う。核兵器を持つ国々は、いずれもこの条約に参加していないとされる。また、同盟国の核の力に自国の安全を委ねる、いわゆる「核の傘」の下にある国々も、参加を見送ってきた。唯一の戦争被爆国とされる日本も、この条約には加わっていない。理想を掲げる条約と、それを支えるはずの国々の不在——この隔たりこそが、核をめぐる現代の難しさを、何よりも雄弁に物語っている。
交わらない二つの考え ― 抑止論と廃絶論
核をめぐっては、長いあいだ、大きく二つの考え方が向き合ってきた。核抑止論と、核廃絶論である。この連載は、そのどちらにも与しない。けれど、二つの論理を公平に並べて見ておくことは、この問題を自分の頭で考えるために欠かせない。
抑止論は、核兵器が存在するからこそ大国どうしの全面戦争が避けられてきた、という見方に立つ。互いに壊滅的な反撃を受けると分かっていれば、どちらも先に手を出せない——この「恐怖の均衡」が、結果として大きな戦争を防いできたのだ、と論じられる。だからこそ核を一方的に手放せば、かえって力の空白が生まれ、危険が増すおそれがある。この立場からは、核は使うためではなく、使わせないためにあるとされる。
これに対し廃絶論は、その均衡そのものが、あまりに危ういものだと指摘する。抑止が成り立つのは、すべての当事者が常に冷静で、誤算も事故も決して起こさないと前提するときだけだ——けれど人間にも機械にも、間違いはつきものだ。連載でたどってきたように、世界は実際に、偶発的な核戦争の瀬戸際に立たされたこともあった。たった一度の破局が取り返しのつかない結果を招く以上、核に頼り続ける限り人類は危険から逃れられない、というのが廃絶論の核心である。被爆の現実を知る人々の多くは、この立場に深く共感してきたとされる。
太陽を盗んだ人類は、どこへ向かうのか
神話のなかで、人類は天から火を盗み、文明を手にしたと語られる。その火は、暗闇を照らし、寒さを退け、食べ物を変え、私たちを豊かにした。けれど同じ火が、すべてを焼き尽くす力にもなりうることを、人類は核において、最もはっきりと知ることになった。原子の核に閉じ込められていた途方もないエネルギーは、都市を一瞬で消すこともできれば、電気を生み、病を診断し、人の命を救うこともできる。私たちが盗んだのは、文字どおり「太陽」だったのだ。
この八十年、人類はその火を一度も二度目の戦争で使うことはなかった。それは抑止が働いたからだと見る人もいれば、ただ運がよかっただけだと見る人もう。条約によって核は減らされてきましたが、いまも世界には、人類を何度も滅ぼしうる量の核が残されているとされる。理想を掲げる条約と、現実に核を手放さない国々。声を上げ続ける人々と、安全保障という重い現実。そのすべてが、いまも同じ地上に共存している。
連載の最後に、私たちは結論を急がない。核は必要悪なのか、それとも絶対悪なのか。抑止に頼るべきか、廃絶を目指すべきか。その答えは、この物語を読み終えたあなた自身のなかに、静かに残されている。確かなのは、太陽を盗んでしまった以上、私たちはもう、それを知らなかった頃には戻れないということである。この火とどう生きていくのか——それは、特定の誰かではなく、同じ時代を生きる私たち全員に向けられた、終わることのない問いなのだ。
最後まで読んでくださり、ありがとうござった。この長い旅が、あなたが核という主題を自分の言葉で考えるための、小さな一歩になったなら幸いである。
【核の時代 ― 太陽を盗んだ人類・完】
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