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太陽を盗む ― 原子の扉が開いた日

1938年の冬、ベルリンの実験室でウランがふたつに割れた。ハーンとシュトラスマン、亡命したマイトナーとフリッシュが見抜いたのは、星を輝かせる力の正体だった。アインシュタインの手紙、E=mc²、そして科学者たちが抱いた予感をたどる、核の世紀の幕開け。

2026年6月13日

私たちが見上げる太陽は、なぜ何十億年ものあいだ燃え続けていられるのだろうか。薪も油も使わずに、地球を照らし、生命を育む膨大な熱を放ち続ける——その秘密は、太陽の中心で原子核どうしが結びつくとき、わずかな質量がとてつもないエネルギーへと姿を変えているからだと考えられている。星を輝かせているのは、原子の奥底に眠る力だった。

その力に、地上の人間が手をかけ始めた時代がある。20世紀の前半、ヨーロッパの実験室でひとつの発見が生まれ、科学者たちはやがて気づくのだ。自分たちは、星の火を地上に引き寄せようとしているのかもしれない、と。これは、人類が「太陽を盗む」術を知ってしまった、その始まりの物語である。

  1. 1905

    アインシュタインが、質量とエネルギーが等価であることを示す関係式 E=mc² を含む論文を発表する。

  2. 1938

    ベルリンのハーンとシュトラスマンが、ウランに中性子を当てるとバリウムが生じる現象を確認する。

  3. 1939

    亡命中のマイトナーとフリッシュが、この現象を原子核が割れる反応と解釈し、核分裂と名づけたとされる。

  4. 1939

    アインシュタインが署名した書簡が、ルーズベルト大統領に宛てて送られたと伝えられる。

  5. 1942

    フェルミらがシカゴ大学で、制御された核分裂連鎖反応に史上初めて成功したとされる。

一通の論文がほのめかした、莫大な力

物語の遠い起点は、1905年にさかのぼる。スイスの特許局に勤めていた無名の青年アインシュタインが、この年いくつもの論文を世に出した。そのなかの一本に、後の世界を揺るがす関係式が記されていたとされる。質量とエネルギーは、本質的に同じものの別の姿であり、互いに移り変わりうる——E=mc² という、いまや誰もが一度は目にする式である。

この式が告げていたのは、ほんのわずかな質量が、光の速さの二乗という途方もない数を掛けあわせた量のエネルギーに化けうる、という事実だった。理屈のうえでは、米粒ほどの質量がすべてエネルギーに変われば、想像を絶する熱と光が生まれることになる。けれど当時、それはあくまで紙の上の話だった。原子の中に眠るその力を、どうやって取り出せばよいのか。その入り口は、まだ誰にも見えていなかったのだ。

その後の数十年で、物理学者たちは原子の構造を少しずつ解き明かしていく。原子の中心には小さく重い「核」があり、そこに正体不明の力が詰まっている。やがて中性子という粒子が発見されると、科学者たちはそれを弾丸のように原子核へ撃ち込み、何が起こるかを調べ始めた。星の火へと続く扉の前に、人類はじりじりと近づいていたのだ。

1938年、ウランが割れた冬

舞台は、第二次世界大戦前夜のベルリンに移る。カイザー・ヴィルヘルム化学研究所で、化学者のオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが、ウランに中性子を当てる実験を重ねていた。1938年の暮れ、二人は奇妙な結果に突き当たる。ウランに中性子を浴びせたあとの物質のなかに、ウランよりはるかに軽い元素であるバリウムが生じていたのだ。

これは、当時の常識では説明のつかない出来事だった。中性子を当てれば原子核はわずかに重くなるか、せいぜい少し欠ける程度のはずである。それが、半分ほどの重さの元素に化けている。化学者として正確な実験をやり遂げたハーンでさえ、何が起きたのかをすぐには説明できなかった。彼はこの不可解な結果を、かつての共同研究者へ手紙で書き送る。

その相手こそ、リーゼ・マイトナーだった。長年ハーンと組んで研究を続けたオーストリア出身の物理学者でしたが、ユダヤ系であった彼女は、ナチス政権下のドイツを追われ、この時はスウェーデンへ亡命していた。手紙を受け取ったマイトナーは、甥で同じく物理学者のオットー・フリッシュとともに、雪の中を歩きながらこの謎を語り合ったと伝えられる。そして二人は、ひとつの大胆な答えにたどり着いた。ウランの原子核は、中性子を浴びて、ふたつに割れたのだ——。

マイトナーとフリッシュは、割れたあとの破片の質量を合計すると、もとのウランよりもわずかに軽くなっていることに気づいた。消えたその質量は、どこへ行ったのか。彼らの頭には、あの E=mc² がよぎったはずである。失われた質量は、莫大なエネルギーへと姿を変えていた——紙の上の式と、実験室の現実が、ここでひとつに結びついたのだ。星を輝かせる原理が、地上の小さな器のなかで、確かに起きていた。

科学者たちが抱いた、二つの予感

核分裂の報せは、戦争の足音が高まるなか、世界の物理学者のあいだを驚くべき速さで駆けめぐった。そして多くの科学者が、ほぼ同時に二つのことを予感する。ひとつは、もしウランが割れるときに新たな中性子も飛び出すなら、それが次のウランを割り、さらに次を割る——連鎖反応によって、エネルギーを一気に取り出せるかもしれない、という希望にも似た見通しだった。

もうひとつは、より暗い予感だった。その力を一瞬で解き放てば、かつてない破壊をもたらす兵器になりうる。そして折しも、核分裂を最初に確認したのは、ヒトラー政権下のドイツの研究所だったのだ。亡命先のアメリカにいた科学者たちは、ナチス・ドイツが先にこの力を兵器へと仕立て上げるのではないかと、深い恐れを抱いた。

その不安を行動に移したのが、ハンガリー出身の物理学者レオ・シラードらだった。彼らは、世界で最も名の知られた科学者アインシュタインに協力を求める。1939年、アインシュタインが署名した一通の書簡が、アメリカのルーズベルト大統領に宛てて送られたと伝えられる。そこには、ウランを用いた極めて強力な新型爆弾が現実になりうること、ドイツがそれに先んじる恐れがあることが記されていたとされる。

書簡が後押しの一つになったかどうかには諸説あるが、アメリカはやがてウランをめぐる本格的な研究へと動き出する。1942年12月には、エンリコ・フェルミらがシカゴ大学の競技場の下に組み上げた装置で、制御された連鎖反応を史上初めて起こすことに成功したとされる。原子の火は、いまや人間の手で点け、保てるものになったのだ。

こうして実験室のなかで、人類は太陽の火の一片を手にした。けれどその火は、平和な灯としてではなく、巨大な国家の意志のもとで、まったく別の姿へと育てられていく。荒涼とした砂漠の高地に秘密の街が築かれ、世界中から集められた頭脳が、ただ一つの目的に向かって走り始めるのだ。原子の扉の向こうに見えていた途方もない力は、いよいよ兵器の輪郭をとりはじめていた。

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