砂漠の悪魔 ― マンハッタン計画
ニューメキシコの荒野に、地図に載らない街が生まれた。グローヴス将軍とオッペンハイマー、世界中から集められた頭脳、そして1945年7月16日のトリニティ実験。最初の人工の火が砂漠を照らした瞬間、科学者たちが抱いた高揚と恐れをたどる、マンハッタン計画の物語。
2026年6月13日
ニューメキシコ州の高地に、その街は突然あらわれた。地図には載らず、住所はただの私書箱の番号。そこへ向かう科学者たちは、行き先を家族にすら告げられず、本名すら隠して暮らすこともあったと伝えられる。砂漠と空のあいだに浮かぶ秘密の街ロスアラモスは、人類がはじめて意図して「太陽の火」を兵器にしようとした場所だった。
前回、実験室のなかでウランが割れ、星を輝かせる力の正体が見えてきたことをたどった。けれどその発見は、戦争という巨大な圧力のもとで、もはや純粋な探究ではいられなかった。アメリカは国家の総力を挙げ、かつてない規模で原子爆弾の開発に乗り出する。暗号名は、マンハッタン計画。砂漠に潜んだその計画の内側へ、足を踏み入れてみよう。
- 1942
アメリカが原子爆弾開発を本格化させ、グローヴスが計画の責任者に任命されたとされる。
- 1942
オッペンハイマーが科学部門の責任者に選ばれ、ロスアラモスが研究拠点に決まったと伝えられる。
- 1943
ロスアラモス研究所が始動し、世界各地から多くの科学者が集められたとされる。
- 1945
7月16日、ニューメキシコの砂漠でトリニティ実験が行われ、最初の核爆発が起きたとされる。
国家が動いた ― 巨大プロジェクトの誕生
ひとつの発見が兵器になるまでには、実験室の天才だけでは到底足りなかった。ウランから爆弾用の物質を取り出すには、巨大な工場と、途方もない量の電力と資材が要る。それは一人の科学者の手に負えるものではなく、国家そのものが動かねば実現しない事業だった。1942年、アメリカはこの計画を軍の管理下に置き、本格的に推し進めていく。
計画全体を束ねる責任者に選ばれたのが、陸軍の軍人レズリー・グローヴスだった。彼は巨大建築の事業を取り仕切った経験を持つ実務家で、強引とも評される手腕で資材と人と秘密をかき集めていく。計画はやがて、いくつもの巨大施設と数十万の人員を抱える、当時としては前例のない規模にふくれあがったとされる。働く者の多くは、自分が何を作っているのかさえ知らされていなかった。
グローヴスにとっての難題は、その頭脳をどこに、誰のもとに集めるかだった。各地に散らばっていた科学者を一か所に隔離し、互いに議論させながらも、外には一切漏らさない。そんな矛盾した要請を満たす場所として選ばれたのが、人里離れたニューメキシコの高地、ロスアラモスだった。そして、その科学の総指揮を託される人物が選ばれる。
オッペンハイマー ― 砂漠を率いた知性
科学部門の責任者に指名されたのは、理論物理学者のロバート・オッペンハイマーだった。彼はそれまで大規模な組織を率いた経験に乏しく、左翼的な交友関係を疑問視する声もあったと伝えられる。それでもグローヴスは、この繊細で博識な物理学者に、計画の心臓部を委ねることを選んだ。文学や東洋思想にも通じた知性が、軍事計画の中核に据えられたのだ。
オッペンハイマーのもとには、世界各地から名だたる科学者が集まった。そのなかには、ナチスや戦火を逃れてヨーロッパから渡ってきた者も少なくない。皮肉なことに、ドイツの脅威から逃れた頭脳が、その同じ脅威に対抗する兵器を作るために、砂漠の街へと吸い寄せられていったのだ。彼らは家族とともに隔離された街で暮らし、黒板の前で議論を戦わせながら、未知の装置を形にしていった。
開発は二つの道を並行して進んだ。ひとつはウランを用いる方式、もうひとつはプルトニウムという別の物質を用いる方式である。とりわけプルトニウムを爆発させるには、物質を一瞬で球状に押しつぶす「爆縮」という難しい技術が必要とされ、科学者たちは理論と実験のあいだで苦闘を重ねた。果たして、それは本当に爆発するのか。誰も確かめたことのないその問いに答えを出すため、砂漠での実験が計画される。
トリニティ ― 最初の火が砂漠を照らす
1945年7月16日の未明、ニューメキシコの砂漠の一角で、人類史上はじめての核爆発の実験が行われたとされる。暗号名はトリニティ。鉄塔の上に据えられたプルトニウム型の試作爆弾は、関係者から「ガジェット」と呼ばれていた。星の火を地上で意図して灯せるのか——数年にわたる労苦の答えが、この夜明け前の数秒に懸けられていたのだ。
待機壕の科学者たちは、緊張のなかで秒読みを聞いていた。やがて閃光が走り、砂漠は一瞬、真昼よりも明るく照らされたと伝えられる。熱と衝撃が遅れて押し寄せ、空には巨大なきのこ雲が立ちのぼった。実験は成功し、装置はおよそTNT火薬数万トンに相当する威力を放ったとされる。人類は、自らの手で太陽の一片を地上に出現させたのだ。
その瞬間、科学者たちの胸に去来したものは、一様ではなかった。長年の苦労が報われた高揚があり、安堵があり、そして同時に、計り知れない恐れがあった。オッペンハイマーは後年、この光景を前にして、古代インドの聖典の一節——いまや我は死神、世界の破壊者となった——を思い起こしたと語ったと伝えられる。喜びと慄きが分かちがたく混ざり合った、その複雑な感情こそ、核の時代の入り口に立った人間の正直な姿だったのかもしれない。
トリニティの閃光が砂漠を照らしたとき、ヨーロッパの戦争はすでに終わっていた。当初の動機だったナチス・ドイツは、この時もう降伏していたのだ。それでも計画は止まらず、新たに完成した爆弾は、太平洋の向こうで続く戦争へと向けられていく。砂漠で点された火は、まだ実験場のなかの出来事だった。けれどそのわずか数週間後、その火は人の暮らす街の上で解き放たれることになる。1945年8月——世界が決して忘れることのできない夏が、すぐそこに迫っていた。
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