核とミサイル — 北朝鮮問題
冷戦が終わり、後ろ盾を失った北朝鮮は、核という切り札に活路を求めた。飢餓の苦難の行軍、瀬戸際外交、六者協議、そして南北首脳会談の握手。脅威と対話のはざまで揺れた三十年を、各国の立場を中立に併せて読み解く。
2026年6月12日
南が民主化と経済成長への道を駆け上がっていったころ、軍事境界線の北側では、まったく異なる時間が流れていた。1980年代末から1990年代にかけて、世界の風景が一変する。東欧の社会主義政権が次々と倒れ、ベルリンの壁が崩れ、1991年にはソ連そのものが消滅した。冷戦の終結は、多くの国にとって解放と希望の知らせだった。
しかし北朝鮮にとって、それは後ろ盾の喪失を意味した。建国以来この国を支えてきたソ連と東欧諸国からの援助と貿易が途絶え、頼みの中国もまた市場経済へ舵を切り、1992年には韓国と国交を結ぶ。同盟国に囲まれていたはずの国が、気づけば孤立していた。経済は急速に傾き、体制の存続そのものが問われる時代に入っていったのだ。この追い詰められた状況の中で、北朝鮮が見出した活路の一つが、核だった。
苦難の行軍 ― 飢餓の時代
危機は、まず人々の食卓を襲った。1990年代、北朝鮮は深刻な食糧難に見舞われる。社会主義圏からの支援が消え、燃料も肥料も不足し、そこに大規模な水害や干害が重なって、配給制度が機能しなくなった。1994年には、建国の指導者・金日成が死去する。後を継いだ金正日の時代、飢餓は国全体へと広がっていった。
この苦しい時期を、北朝鮮は「苦難の行軍」と呼んだ。もともとは抗日パルチザン時代の苦境を指す言葉でしたが、それが1990年代の飢餓を耐え抜くスローガンとして用いられたのだ。この間に多くの人々が餓死したとされるが、その数については諸説あり、数十万人規模とする推計から200万人を超えるとする見方まで、推計には大きな幅がある。北朝鮮は情報を厳しく管理しており、正確な実態は今なお明らかではない。
体制が揺らぐ中で、北朝鮮の指導部は軍を優先する「先軍政治」を掲げ、限られた資源を国防へ集中させていった。国民が飢えるなかでも軍事を最優先するこの方針には国際的な批判が強い一方、政権の側からは、孤立と圧力の中で体制を守るための選択だと説明されてきた。評価は立場によって大きく分かれている。
瀬戸際外交 ― 核という切り札
北朝鮮の核開発をめぐる疑惑が国際問題として浮上したのは、1990年代前半だった。北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)に加盟していましたが、国際原子力機関(IAEA)の査察をめぐって対立が深まり、1993年にはNPTからの脱退を表明して、世界に衝撃を与える。いわゆる第一次核危機である。
このとき、緊張は戦争の瀬戸際にまで高まったと伝えられる。最終的には、元米大統領カーターの訪朝などを経て事態は収拾へ向かい、1994年に米朝間で「枠組み合意」が結ばれた。北朝鮮が核開発を凍結する見返りに、軽水炉の提供や重油の支援を受けるという内容である。しかしこの合意も、その後の不信の連鎖のなかで形骸化していった。
北朝鮮の外交は、しばしば「瀬戸際外交」と評される。危機を意図的に高めて相手を交渉のテーブルに引き出し、譲歩や支援を引き出そうとする手法だと分析されてきた。ただし、これを巧妙な戦略とみる見方もあれば、孤立した小国が大国に対抗するための、追い詰められた末の選択だとみる見方もある。どちらか一方の解釈に偏らず、その双方を踏まえて眺める必要があるだろう。
- 1991
ソ連が消滅。北朝鮮は最大の後ろ盾を失う。
- 1993
北朝鮮がNPT脱退を表明。第一次核危機。
- 1994
金日成が死去。米朝枠組み合意が成立。
- 2000
金大中・金正日による初の南北首脳会談(平壌)。
- 2003
六者協議が始まる(米中ロ日韓と北朝鮮)。
- 2006
北朝鮮が初の核実験を実施したと発表。
六者協議と南北の握手
緊張が再び高まった2000年代、国際社会は対話の枠組みを模索する。2003年から、アメリカ・中国・ロシア・日本・韓国・北朝鮮の六か国が参加する「六者協議」が北京で始まった。北朝鮮の核問題を、当事者と周辺の大国が一堂に会して解決しようとする試みである。協議では一時、北朝鮮が核を放棄する見返りに支援と安全の保証を受けるとした合意もまとめられた。
しかし、協議は進んでは止まり、合意は守られたり破られたりを繰り返する。2006年、北朝鮮は初の核実験を実施したと発表し、以後も核実験とミサイル発射を重ねていった。国連安全保障理事会はそのたびに制裁を強化する。六者協議は2000年代後半に事実上、停止状態に陥った。各国の思惑が複雑に絡み合い、核問題は出口の見えない難題として残されていったのだ。
一方で、南北の間には対話の動きもあった。2000年6月、韓国の金大中大統領が平壌を訪れ、北朝鮮の金正日総書記と握手を交わする。分断以来初の南北首脳会談だった。金大中政権の融和的な「太陽政策」のもとで、離散家族の再会や経済協力が進められ、半島に和解への期待が広がる。2007年には盧武鉉大統領による二度目の首脳会談も行われた。
冷戦が終わって、世界は平和へ向かうかに見えた。けれど朝鮮半島では、分断という冷戦の遺産がそのまま残り、核とミサイルという新たな火種が加わった。飢餓を耐え、孤立を抱えながら核を手にしていった北。経済的に豊かになりながら、すぐ隣の脅威と向き合い続ける南。停戦から半世紀以上を経てもなお、半島は冷戦が終わらない場所であり続けている。そして二つの朝鮮は、米中という巨大な力のはざまで、いまも難しい選択を迫られているのだ。
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