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二つの帝国のはざまで — 日清・日露戦争

1894年、東学農民の蜂起をきっかけに日清戦争が勃発し、朝鮮半島は大国の戦場と化す。下関条約、大韓帝国の成立、そして日露戦争へ。半島の主導権が清からロシアへ、そして日本へと移っていく十年を、史実ベース・中立にたどる連載第2話。

2026年6月12日

開国した朝鮮半島は、自由になったわけではなかった。むしろ門を開けたことで、これまで以上にはっきりと、大国の力がぶつかり合う場所になっていく。北には半島を冊封の屋根の下に置きつづけたい清。東には半島への影響を強めたい日本。そして北方からは、不凍港を求めて南下するロシアの影。三つの大国の思惑が、この小さな半島の上で交差していた。1890年代、その緊張は一人の農民指導者が起こした蜂起をきっかけに、ついに戦争という形で爆発する。半島の運命を大きく動かした十年の物語である。

  1. 1894

    全琫準らを中心に東学農民が蜂起したとされる。鎮圧の名目で清と日本が出兵し、日清戦争が勃発した。

  2. 1895

    下関条約が結ばれ、清は朝鮮を独立国と認めたとされる。直後、ロシアら三国が干渉に動いた。

  3. 1897

    高宗が皇帝を称し、国号を大韓帝国と改めたとされる。元号を光武と定め、自主独立を内外に示そうとした。

  4. 1904

    日本とロシアのあいだで日露戦争が始まったとされる。半島と満洲をめぐる争いだった。

  5. 1905

    ポーツマス条約が結ばれ、ロシアは日本の半島での優越的地位を認めたとされる。

農民の蜂起が、戦争の引き金になった

1894年、半島の南西部、全羅道で農民たちが立ち上がった。重い税と役人の不正に苦しんだ人々が、東学という民間宗教の信者を中核にして蜂起したのだ。指導者の一人とされる全琫準のもと、農民軍は政府軍を破りながら各地に広がり、一時は要地・全州を占領するほどの勢いを見せたと伝えられる。これが、のちに甲午農民戦争、あるいは東学農民運動と呼ばれる出来事である。

困り果てた朝鮮政府は、清に援軍を求めた。しかし、清が軍を送れば、日本もまた居留民の保護などを名目に軍を送る——両国のあいだには、相手が出兵すれば自分も出兵できるとする取り決めがあったとされ、半島は瞬く間に二つの帝国の軍勢が向き合う場になった。

皮肉なことに、農民軍と政府はその後ひとまず和解する。けれど、いったん半島に乗り込んだ清と日本の軍は、すぐには引きなかった。撤兵をめぐる交渉は決裂し、1894年、ついに両国は戦端を開く。日清戦争である。発端は半島の農民の蜂起でしたが、火がついたのは大国どうしの主導権争いだった。そして、その戦いの主要な舞台にされたのは、ほかでもない半島そのものだったのだ。

清が退き、ロシアが現れる

戦争は日本の勝利に終わり、1895年、両国は下関条約を結んだ。この条約で清は、朝鮮が独立した国であることを認めたとされる。これは表向き、半島を冊封という古い秩序から解き放つ言葉だった。五百年にわたって半島の頭上にあった大陸の屋根が、ここで外れたことになる。

しかし、屋根が外れた半島が、そのまま自由になったわけではなかった。清という重しが取り除かれた空間に、すぐさま別の大国が入り込んできる。ロシアである。下関条約で日本が得た大陸の領土をめぐって、ロシアはフランス、ドイツとともに日本に圧力をかけ、その返還を迫った。いわゆる三国干渉である。日本がこれに屈すると、半島の宮廷ではロシアの力を頼ろうとする動きが強まったと伝えられる。

清が退いたあとの半島は、今度は日本とロシアがにらみ合う舞台になった。一方が宮廷に影響を強めれば、もう一方がそれを押し戻そうとする。半島の政治は、外国の力の振り子のなかで揺れ続ける。この時期、宮廷をめぐって痛ましい事件も起きたとされ、半島の内政が大国の角逐と分かちがたく結びついていたことを物語っている。北の屋根が外れた解放感は、つかの間のものだった。半島は、ひとつの大国の影から、二つの大国のはざまへと移っただけだったのだ。

大韓帝国の夢と、日露戦争の現実

そうしたなかで半島は、自らの手で独立した国家であることを示そうとする。1897年、国王・高宗は皇帝を称し、国号を大韓帝国と改めたとされる。元号を光武と定め、大陸の皇帝と対等の地位を内外に宣言する——それは、冊封のもとにあった半島が、自主独立の近代国家として立とうとする、ささやかで切実な試みだった。近代化のための改革も進められ、半島は自らの足で歩こうとしていたのだ。

けれど、その夢を許すには、半島を取り巻く力の差はあまりに大きいものだった。日本とロシアの対立は、ついに戦争へと向かう。1904年、両国は開戦した。日露戦争である。争いの的は、半島とその北の満洲をめぐる主導権だった。ここでも、半島は自らの意思とは別のところで、大国どうしの決戦の舞台にされたのだ。

戦争は日本の優勢のうちに進み、1905年、ポーツマス条約が結ばれる。この講和で、ロシアは日本が半島で優越的な地位を持つことを認めたとされる。半島の主導権をめぐる、清・日・露という三大国の長い綱引きは、ここでひとまず日本の側へ大きく傾いた。そしてこの傾きは、大韓帝国がようやく掲げた自主独立の旗を、急速に色あせさせていくことになる。

皇帝を称し、近代国家として立とうとした大韓帝国の試みは、わずか数年で大きな壁にぶつかった。日露戦争を経て、半島での日本の地位はゆるぎないものになっていく。そして次に半島が失うのは、領土の一部でも、宮廷の主導権でもなかった。外交を行う権利、すなわち国家として外の世界と向き合う力そのものだった。半島は、主権を一枚ずつはがされていく、新たな段階に入ろうとしていたのだ。

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