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象徴天皇の誕生

敗戦後、日本国憲法のもとで天皇は「象徴」と位置づけられた。いわゆる人間宣言、新憲法第1条の意味、戦後の全国巡幸、そして国民とともにある新しい皇室像の模索を通じて、主権者から象徴へと姿を変えた天皇の歩みを、特定の立場を取らず史実にもとづき敬意をもって静かにたどる。

2026年6月13日

前話で私たちは、戦争の時代に天皇が置かれた難しい立場と、終戦の聖断、そして今も続く議論を見た。敗戦は、近代国家の中心に据えられてきた天皇のあり方を、根本から問い直すことになった。

この回で描くのは、その問い直しのなかから生まれた、まったく新しい天皇像である。主権者から、国の象徴へ。大日本帝国憲法のもとで統治権を総攬するとされた存在が、日本国憲法のもとでどのように姿を変えていったのか。そして、国民とともにある皇室という像が、どのように模索されていったのか。その静かな転換の歩みをたどりたい。

いわゆる人間宣言

転換の最初の節目は、戦争が終わってまもなく訪れた。

1946年1月1日、昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を発した。これが、後にいわゆる人間宣言と呼ばれるものである。この詔書のなかで、天皇と国民との結びつきは神話や伝説によるものではない、という趣旨が述べられ、天皇を現御神(あきつみかみ)とする見方を退ける内容が示されたとされる。

「人間宣言」という呼び名は、後に広まった通称である。詔書そのものは新たな国づくりへの決意を語る文書であり、神格化の否定はその一部だった。それでもこの宣言は、戦前に天皇が神聖視されてきた構造から離れ、国民とともに歩む存在へと向かう、ひとつの大きな区切りとして受け止められている。

日本国憲法と「象徴」という言葉

そして、より大きな転換が、新しい憲法によってもたらされる。

1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された日本国憲法。その第1条は、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めた。さらにその地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくものとされた。主権は国民にあると明記され、天皇は国政に関する権能を持たず、憲法の定める国事行為のみを行う存在となったのである。

これは、大日本帝国憲法からの劇的な変化だった。かつて天皇は国の元首として統治権を総攬する主権者とされていた。それが新しい憲法のもとでは、国政の実権を持たない象徴へと位置づけ直された。権力ではなく、国民統合の象徴として国の歩みに寄り添う――この「象徴」という言葉に、戦後の天皇像のすべてが込められていく。

  1. 1946

    新日本建設に関する詔書(いわゆる人間宣言)が発せられる

  2. 1946

    全国巡幸が始まり、天皇が各地で国民の前に立つ

  3. 1946

    11月3日、日本国憲法が公布される

  4. 1947

    5月3日、日本国憲法が施行。天皇は国の象徴と位置づけられる

注目したいのは、この象徴という地位が、国民の総意に基づくとされた点である。天皇の地位は、過去からの権威としてではなく、いまを生きる国民の意思に支えられるものとされた。皇室の長い歴史のなかで、その立脚点が大きく置き換えられた瞬間だった、と見ることができる。

国民の前に立つ ― 戦後巡幸

新しい天皇像は、文書のなかだけで生まれたわけではない。それは、天皇自身が国民の前に立つという、具体的な営みを通じて形づくられていった。

その象徴が、戦後の全国巡幸である。1946年2月、終戦から半年ほどのころ、昭和天皇は各地をめぐる旅を始めた。背広にソフト帽という飾らない装いで工場や被災地を訪れ、復興にあたる人々を励まし、戦争で家族を失った人々をいたわった。巡幸は1946年から1954年まで、長い年月をかけて続けられ、当時アメリカの統治下にあった沖縄を除く各地に及んだとされる。

かつて遠い存在だった天皇が、自ら国民のもとに足を運び、言葉を交わす。荒廃した戦後の風景のなかで、多くの人々がその姿に強い印象を受けたと伝えられる。各地での素朴なやりとりは、後年さまざまなかたちで語り継がれることになった。この巡幸は、戦後の混乱期に新しい皇室像を国民の前に示す試みであり、国民とともにある天皇という像が、ここから具体的なかたちを取り始めた。

戦前の天皇は、多くの国民にとって写真や肖像のなかの存在であり、直接その姿を仰ぐ機会はかぎられていたとされる。それが戦後、列車や車でじかに地方をめぐり、復興の現場に立つ姿を見せるようになった。この距離の縮まり方そのものが、新しい時代の天皇像を象徴していた、としばしば指摘される。象徴という抽象的な言葉は、こうした具体的なふるまいの積み重ねによって、人々の実感のなかに根づいていったのである。

受け継がれていく、象徴のかたち

こうして、敗戦という大きな断絶を経て、天皇は主権者から象徴へとその姿を変えた。

ここで立ち止まって考えたい。この転換は、皇室の歴史にとって何を意味したのか。長い目で振り返れば、この連載でも見てきたように、天皇はその時々の時代に応じて立場を変えながら、それでも続いてきた存在だった。古代には国を統べる大王から律令国家の頂点へ、貴族の世には権威として、武家の世にもなお正統の源として、そして近代には国家の中心として。象徴天皇制もまた、戦後という時代が天皇に与えた、新しい一つのかたちだったと見ることができる。

象徴天皇制をめぐっては、その意義や是非について、さまざまな見方があることも記しておきたい。制度のあり方や、これからの皇室の姿については、評価や意見が分かれる論点も含まれる。本稿はそのいずれの立場にも与せず、戦後に生まれた象徴という像が、どのように形づくられていったかという史実の歩みを確かめるにとどめたい。

確かなのは、戦後に生まれたこの象徴という務めが、その後の時代に、さらに深められていったということである。被災地に寄り添い、戦没者を慰霊し、平和への思いを重ねていく営みは、次の世代へと受け継がれていった。象徴であるとはどういうことか――その問いに、皇室は時代とともに、自らの歩みをもって答えていくことになる。

その象徴の務めが、平成という時代にどのように深められていったのか。次話では、国民とともに歩もうとした平成の皇室の歩みを、公的な事実の範囲で、敬意をもってたどっていきたい。

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