神話と起源 ― 皇室のはじまり
古事記と日本書紀が伝える天照大神の物語、天孫降臨の伝承、そして初代神武天皇のものがたり。皇室の起源をめぐる神話と、歴史としてたどれる事実の境界を、敬意をもって中立にひもとく第1話。
2026年6月13日
日本の皇室は、世界でもまれにみる長い歴史を歩んできた存在として知られている。その歩みをさかのぼっていくと、やがて私たちは、確かな記録が残る歴史の地平を越え、神々のものがたりが語られる領域へとたどり着く。古事記や日本書紀が伝える天地のはじまりの物語は、そこに記された出来事をそのまま史実として確かめられるものではない。けれども、この国の人々が自らの起源をどのように語り継いできたのかを知るうえで、避けては通れない大切な入口でもある。第1話では、神話として伝えられてきた皇室のはじまりと、歴史としてたどれる事実との境界を、できるだけ中立に見つめていく。
- 8世紀初
現存最古の歴史書とされる古事記が712年、日本書紀が720年に成立したと伝えられ、皇室の起源を語る神話がまとめられた。
- 前7世紀
日本書紀は初代とされる神武天皇の即位を紀元前660年と記すが、これは後世の編纂時に逆算で定められた年代と考えられている。
- 3〜4世紀
考古学が示す古墳時代の始まりにあたり、近畿を中心にヤマトの勢力が形をなしていったとされる。
- 1873年
明治期に、日本書紀の記述に基づく神武天皇即位の年を起点とする紀元(皇紀)が定められ、公的に用いられた。
神々のものがたり ― 記紀が伝える天地のはじまり
皇室の起源をめぐる物語は、八世紀のはじめにまとめられた二つの古い書物に記されている。一つは現存最古の歴史書とされる古事記、もう一つはそれにつづく日本書紀で、あわせて「記紀」と呼ばれる。これらの書物は、それまで口承や記録として伝えられてきた神々や王たちのものがたりを、国家の事業として編みなおしたものと考えられている。
記紀の語る世界では、天と地が分かれたのち、高天原と呼ばれる天上の世界に多くの神々が現れたと伝えられる。やがて伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神が国々を生み、さまざまな自然の神々を生んでいく。そのなかで、太陽を司る神として生まれたとされるのが、天照大神だった。天照大神はのちに皇室の祖先神と位置づけられ、皇祖神として語り継がれていく。
ここで大切なのは、これらが「神話・伝承として伝えられてきたもの」であって、その出来事を史料で裏づけられる事実とは性質が異なる、という点である。世界の多くの民族が、自らの始まりを神々のものがたりとして語ってきたように、日本もまた、起源を神話のかたちで伝えてきた。記紀の神話は、史実そのものではなく、古代の人々が世界と自分たちの来歴をどう捉えていたかを映す、貴重な精神の記録として読むことができる。
天孫降臨と神武天皇の伝承
記紀の物語のなかでもよく知られているのが、天孫降臨と呼ばれる伝承である。天照大神は、地上の国を治めさせるために、孫にあたる邇邇芸命を高天原から地上へと遣わしたと伝えられる。このとき天照大神は、稲穂や、のちに三種の神器として語られる宝などを授けたとされ、皇室がこの天孫の血を引くという物語が形づくられていった。地上に降った神々の子孫が、やがて国を治める王となっていく――天孫降臨は、その筋立ての要となる伝承である。
そして、この系譜の延長に置かれているのが、初代とされる神武天皇である。記紀によれば、神武天皇は九州の日向から東へと向かい、長い遠征のすえに大和の地に入り、橿原の宮で即位したと伝えられる。日本書紀は、その即位を「辛酉の年」のことと記している。のちの暦に当てはめると、これは紀元前660年にあたるとされ、明治期にはこの年を起点とする紀元が定められた。
ただし、この紀元前660年という年代には、注意が必要である。研究では、日本書紀の編纂者が、古代中国に由来する暦の考え方をもとに、推古天皇の時代の辛酉の年(601年)からさかのぼって、この即位年を導いたと考えられている。つまり、紀元前660年は同時代の記録から確かめられた年代ではなく、書物がまとめられた後の時代に、逆算によって定められた数字とみるのが一般的である。神武天皇という存在そのものについても、実在した人物かどうかは確かめようがなく、伝承上の始祖として語られてきた、というのが慎重な見方である。
神話の終わるところ、歴史の始まるところ
では、神々のものがたりは、どこで歴史の地平へと移っていくのだろうか。その境目は、はっきりと一本の線で引けるものではない。記紀の記述は、初めのうちは神話的な色合いが濃く、時代が下るにつれて、しだいに具体的な人名や出来事が増えていく。神話から歴史への移ろいは、なだらかな坂のように連続しているのだ。
考古学が描き出す像を重ねてみると、別の輪郭が見えてくる。三世紀から四世紀にかけて、近畿地方を中心に巨大な古墳が築かれるようになり、各地に広がる前方後円墳は、ヤマトを中心とする勢力の広がりを示すものと考えられている。中国の歴史書には、三世紀ごろの倭の女王、卑弥呼の名も伝えられている。これらは、記紀の神話とは別の道筋から、古代日本に有力な政治勢力が形をなしていった様子を物語っている。記紀が語る系譜と、考古学が示す古墳時代の王権とが、どこでどう結びつくのか――その解明は、いまも研究が重ねられている問いである。
確かなのは、皇室の起源が、神話と史実という二つの層の重なりのなかにある、ということである。神話は、この国の人々が自らの始まりをどう語り継いできたかを伝え、史実は、古代国家が現実にどう立ち上がっていったかを少しずつ明らかにしてくれる。どちらか一方だけでは、皇室という存在の長い歩みを正しく見渡すことはできない。神話を史実と取り違えず、しかし神話が果たしてきた意味も軽んじず、両方を静かに見つめていくこと。その姿勢こそが、これから十話にわたってたどる長い旅の、確かな足がかりになるはずである。
神々のものがたりが薄れ、人々の営みが記録として残り始めるとき、私たちはようやく、歴史の光のなかに天皇の姿をはっきりと見いだすようになる。次回は、大王と呼ばれた古代の王たちから、「天皇」という称号が定まっていくまでの道のりをたどっていく。
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