平成の皇室 ― 国民とともに
昭和から平成へ。代替わりとともに、皇室は被災地へのお見舞いや戦地への慰霊の旅を重ね、国民とともにある姿を深めていった。やがてご高齢と公務をめぐる思いが語られ、二百年ぶりの退位への道が開かれていく。公的事実の範囲で、その歩みを敬意をもってたどる。
2026年6月13日
前回、私たちは戦後の日本国憲法のもとで、天皇が国と国民統合の象徴となり、国民とともにある新しい皇室像が模索されていった歩みを見た。政治の権能を持たない象徴という、歴史上はじめての立場。それをどう務めとして形にしていくのかは、まだ手探りの段階にあった。
その象徴の務めが、次の時代に一段と深められていく。昭和から平成へ。新しい元号のもとで、皇室は災害の被災地へ足を運び、かつての戦場をめぐって祈りを捧げ、国民とともに歩む姿を重ねていった。そして晩年には、ご高齢と公務をめぐる思いが静かに語られ、長い歴史のなかでも稀な、退位への道が開かれていく。この章では、公的に発表・報道された事実の範囲で、平成という時代の皇室の歩みをたどる。
平成への代替わり
昭和という時代は、長く続いた。激動の戦前から、敗戦、そして高度経済成長を経て、日本は大きく姿を変えていった。その昭和が幕を閉じたのは、平成元年(1989年)のことだった。
国立公文書館などの公的記録によれば、1989年1月7日に昭和天皇が崩御され、同日、皇太子であった明仁親王が皇位を継承された。政府はこれに伴い、新しい元号を「平成」と定める。「平成」という言葉には、国の内外にも天地にも平和が達成されるように、という願いが込められていると説明された。この代替わりは、日本国憲法と現在の皇室典範のもとで行われた、はじめての皇位継承でもあった。
平和への強い思いは、平成の皇室を貫く一本の糸となっていく。戦争を実際に体験した世代として、戦後の歩みを見つめてきた立場から、平和を願う言葉やふるまいが、折にふれて示されていった。
被災地へ、そして慰霊の旅へ
平成の皇室を語るうえで欠かせないのが、被災地へのお見舞いと、戦没者への慰霊の旅である。
宮内庁の記録によれば、大きな災害が起きるたびに、被災地への訪問が重ねられた。平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災では、震災からおよそ二週間後に被災地を訪れ、十年後の追悼式典にも臨まれたと報じられている。平成23年(2011年)の東日本大震災のあとには、数週間にわたって連続して被災地を訪問されたと伝えられている。膝をつき、被災した人々と同じ目の高さで言葉を交わす姿は、多くの報道を通じて伝えられた。
- 1989年
昭和天皇の崩御に伴い皇位が継承され、元号が平成に改められる。憲法下ではじめての代替わりとなる。
- 1995年
阪神・淡路大震災。震災からほどなく被災地を訪問されたと報じられる。
- 2011年
東日本大震災。被災三県をはじめ、各地の被災地へのお見舞いが重ねられたと伝えられる。
- 2015年
戦後七十年に際し、戦没者を慰霊するためパラオ共和国を訪問されたと宮内庁が公表。
戦没者への慰霊の旅も、平成の歩みを象徴するものだった。宮内庁の公表資料によれば、戦後七十年にあたる平成27年(2015年)には、戦争で亡くなった人々を慰霊し平和を祈念するため、激戦地として知られたパラオ共和国のペリリュー島を訪問された。公表されたおことばでは、この地で命を落とした日米双方の死者を悼む思いが述べられたと伝えられている。国内外を問わず、戦争の犠牲となった人々に祈りを捧げる旅は、平和を願う姿勢を行動として示すものだったと受け止められた。
退位への道のり
時は流れ、平成の皇室は晩年を迎える。長年にわたって各地を巡り、数々の務めを果たしてきた歩みの先で、ご高齢と公務のあり方をめぐる思いが、公の場で語られることになった。
報道や公的記録によれば、平成28年(2016年)8月、当時の天皇は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を表明された。そこでは、年齢を重ねるなかで、これまでのように象徴の務めを十分に果たしていくことが、しだいに難しくなるのではないかという案じる思いが述べられたと伝えられている。私的な健康の詳細にここで立ち入ることは控えるが、象徴としての務めをどう続けていくかという、公的な立場にかかわる問いかけであったと受け止められた。
このおことばに対して、国民のあいだに理解と共感が広がったと報じられる。これを受けて、皇室典範の特例として「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が国会で成立し、平成29年(2017年)に公布、平成31年(2019年)4月30日に施行された。そして同日、退位の礼として「退位礼正殿の儀」が国事行為として行われ、翌日に皇位が受け継がれることになる。
阪神・淡路大震災の追悼にまつわる、ひまわりの種の逸話が伝えられている。震災で亡くなった児童の家で咲いたひまわりの種が遺族から贈られ、その種から育てたひまわりを長く大切にされてきた、と報じられた。災害や戦争で失われた一つひとつの命に静かに寄り添おうとする姿勢は、平成という時代を通じて、変わらず受け継がれていったのだろう。
平成は、戦後に芽生えた象徴天皇の像が、被災地と戦地への歩みを通じて深められ、やがて退位という新しい節目へと至った時代だった。そして、そこで受け継がれた務めと思いは、次の元号へと引き継がれていく。
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