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推しのいる暮らし — 偶像は、これからどこへ

推し活という言葉が暮らしに根づき、SNSが誰もを発信者にし、VTuberのような新しい偶像が現れた。経済と文化、セルフプロデュース、ジェンダーと多様性。六十年の旅の終わりに、アイドル文化のこれからを、安易な答えを急がずに見渡す最終章。

2026年6月13日

前回、私たちは海を越えてきたK-POPと、それが日本のアイドル観に投げかけた問いを見た。完成度か、近さか。世界基準か、自分たちの流儀か。けれども、いま起きているもっとも大きな変化は、アイドルの側ではなく、ファンの側で起きているのかもしれない。応援することそのものが、一つの文化として、暮らしの中に深く根を張りはじめたのだ。

その変化を映す言葉が「推し活」だった。好きな対象――推し――を応援する活動の総称で、二〇二〇年代に入って急速に広まり、新語や流行語として取り上げられるまでになったとされる。長い旅の終わりに立つこの章では、推し活という現象を入り口に、SNSと自己演出、新しい偶像の登場、そして多様性のゆくえを見渡しながら、この物語を静かに閉じることにする。

「推し」を生きる経済

推し活という言葉が広まった背景には、SNSの普及や、巣ごもりの時間が増えた時期にオンラインの楽しみが広がったことなどが挙げられる。財務省の資料などでも、若年層を中心に急成長する消費の形として取り上げられており、グッズやライブ、関連する旅行や飲食まで含めれば、その経済的な広がりは小さくないと整理されている。

かつてアイドルへの熱中は、どこか後ろめたさを伴う「個人的な趣味」として語られがちだった。それがいまでは、世代や性別を問わず、暮らしを彩る前向きな営みとして語られるようになっている。推しのいる毎日が、働く力や生きる張りになる――そう語る人は珍しくない。応援は、消費であると同時に、心の支えにもなっている。アイドル文化は、ここで「見るもの」から「生きるもの」へと、重心を移しつつある。

推す対象も、大きく広がった。生身のアイドルや歌手だけでなく、俳優や声優、スポーツ選手、さらにはアニメやゲームのキャラクター、そして実在しないバーチャルな存在までもが「推し」と呼ばれるようになっている。誰を、何を推すかは、もはや一つの型に収まらない。本連載の最初の章で、アイドルという言葉が「スターと身近な存在の中間」を指して使われはじめたことを振り返った。その中間の幅は、いまや想像以上に大きく広がり、人それぞれの心に居場所を見つけているのだ。

一人ひとりが発信者になる

推し活を支えたもう一つの力が、SNSだった。かつてアイドルの情報は、テレビや雑誌といった限られた窓口から、上から下へと流れてくるものだった。いまは違う。アイドル本人が自分の言葉で日常を発信し、ファンもまた、推しへの思いや切り取った瞬間を、世界に向けて発信できる。

この変化は、アイドルのあり方も変えた。事務所が隅々まで演出する偶像から、本人が自分を見せ方ごと組み立てる「セルフプロデュース」へ。何を語り、何を見せ、どんな自分でいるかを、本人が選び取る場面が増えた。それは表現の自由を広げる一方で、つねに見られ、評価され続ける重さも背負わせる。発信の力は、ファンとの距離を縮めると同時に、心ない言葉が直接届く危うさも連れてきた。近さは、贈り物であると同時に、試練でもあるのだ。

  1. 2010年代

    SNSの普及を背景に、アイドルとファンが直接つながり、応援を発信し合う文化が広がる。

  2. 2016年

    バーチャルな存在として活動するキズナアイが登場し、のちのVTuber文化の先駆けとされる。

  3. 2018年

    VTuberの運営企業が相次いで設立され、新しい偶像のあり方が広がっていく。

  4. 2020年代

    推し活という言葉が暮らしに定着し、新語や流行語として広く取り上げられる。

偶像は、誰のものか

そして、偶像そのものの姿も多様になった。その象徴が、VTuberと呼ばれる存在である。報道や業界の振り返りによれば、二〇一六年に登場したキズナアイを先駆けとして、二〇一八年ごろから関連する企業や活動が広がり、生身の身体を介さない新しいアイドルのあり方が定着していったとされる。画面の向こうのキャラクターに、人々は確かな愛着と熱狂を寄せている。

VTuberが示したのは、アイドルの魅力が、必ずしも生身の身体だけに宿るのではないということだった。声や人柄、語りや配信の積み重ねが、確かな存在感と親しみを生む。それは、本連載でたどってきた「素顔の魅力」や「成長を見守る楽しさ」を、新しい技術のうえで描き直した試みとも言える。一方で、演じる人と、画面上のキャラクターとの関係をどう考えるかといった、新しい問いも生まれた。偶像と、その向こうにいる人。その距離をどう受け止めるかは、これからの文化が答えを探していくところだろう。

偶像が誰のものかという問いも、変わってきた。性別の枠を越えて多様なアイドルが活動し、ファンの側も、特定の性別や年齢に縛られなくなっている。誰がアイドルになれるのか、誰がアイドルを推せるのか――かつての暗黙の前提は、少しずつ解かれつつある。ジェンダーや多様性をめぐる社会の変化が、アイドルという鏡にも、はっきりと映り込んでいるのだ。

フランス映画から来た一つの言葉が、御三家を生み、テレビが最初のアイドルを量産し、聖子と明菜が黄金期を彩り、冬を越えてモーニング娘。が成長の物語を見せ、会いに行けるアイドルが距離を縮め、男性アイドルの王国が光と影を抱え、地下の熱狂と海の向こうの黒船が現場を多様にし、そしていま、推し活という暮らしの文化へとたどり着いた。偶像は、つねに私たちの夢を映してきた。これからも、その鏡は形を変えながら、誰かの毎日を照らし続けるのだろう。

その先に何が待っているのか――それは、これを読むあなた自身が、これから目撃していく物語である。長い旅にお付き合いくださり、ありがとうござった。

【アイドルの時代 ― 偶像が映した日本人の夢・完】

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