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大地を耕した群像 — 屯田兵、移民、そして囚人たち

国家が造り替えようとした大地に、人が送り込まれていく。銃を鍬に持ち替えた屯田兵、東北・北陸から海を渡った移民たち、そして苛烈な労働を強いられた囚人たち。北海道を築いた開拓の群像を、その光と影ごとたどる。

2026年7月7日

名も統治のかたちも定まり、国家は北の大地を人工的に造り替えようとしていた。だが、どれほど計画があっても、実際に土を耕すのは人である。開拓のために、この島には数多くの人々が送り込まれていった。その顔ぶれは、決して一様ではなかった。

銃を鍬に持ち替えて — 屯田兵

開拓の中核を担った存在のひとつが、屯田兵である。一八七四年(明治七年)に制度が定められ、翌年から入植が始まった。彼らは平時には土地を開墾する農民であり、いざというときにはロシアの南下に備える兵士でもあった。開拓と国防を一身に兼ねる、この島ならではの存在である。

初期の屯田兵の多くは、明治維新で禄を失った士族だったとされる。彼らは家族とともに海を渡り、碁盤の目のように区切られた土地に入植した。厳しい冬、慣れない農作業、そして孤独。その暮らしは苛烈だったと伝えられる。それでも彼らが切り拓いた土地は、後の北海道各地の町の礎となっていった。

海を渡った、七割の人々

屯田兵だけでは、この広大な島を拓くことはできない。開拓の主力となったのは、本州各地から自らの意志で、あるいは食い詰めて海を渡ってきた一般の移民たちだった。

その出身地には、はっきりとした偏りがある。北海道への移民のうち、東北地方が約41.4%、北陸地方が約25.8%を占め、合わせておよそ七割にのぼったとされる。雪深く、冷涼な気候に慣れた土地の人々が、同じく厳しい北の大地を目指したのである。彼らが持ち込んだ言葉や習慣、食文化は、やがて混ざり合い、北海道独特の暮らしの土台をつくっていく。

鉄道と炭鉱が結んだ大地

人々が耕した土地を結んだのが、鉄道である。開拓使は早くから鉄道の敷設を進め、幌内炭鉱と港とを結ぶ路線などが引かれた。鉄道は、内陸で掘り出された石炭を港へ運び、開拓地と都市とをつないでいった。

石狩や釧路の炭田から掘り出される石炭は、近代日本を動かすエネルギーとなった。炭鉱の町が生まれ、人が集まり、鉄道がそれを結ぶ。農業と、石炭と、鉄道。この三つが絡み合いながら、北海道は近代産業の大地へと姿を変えていった。第1章で「眠っていた富」と呼んだ石炭が、いまや大地を動かす力となったのである。

だが忘れてはならない。これらの大地は、もともとアイヌの人々が生きてきた土地でもあった。開拓が進むほど、彼らの伝統的な暮らしの場は狭められていったとされる。光と影は、常に同じ大地の上にあった。

こうして人々に耕された北海道は、やがて「日本の食料基地」と呼ばれる豊かな大地へと育っていく。次章では、この島に根づいた産業と、移民たちが混ぜ合わせて生んだ独特の食と暮らしの文化を追う。

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