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海を越えた者たち — 道南の館と、最初の衝突

津軽海峡を越え、和人が道南に根を張りはじめる。安東氏の勢力、道南十二館という砦の連なり、そして一四五七年のコシャマインの戦い——先住のアイヌと新参の和人が交わる地で、最初の大きな衝突が起きた。

2026年7月7日

アィヌモシㇼと呼ばれた大地は、海を道とする交易の網の一角にあった。その開かれた地理が、やがて南からやってくる人々を招き寄せる。津軽海峡の向こう、本州から渡ってきた和人である。

道南に根を張る

和人が北の島に姿を見せるのは古く、十二世紀ごろにはすでに道南への往来があったとされる。鎌倉時代になると、津軽を拠点とする安東氏が「蝦夷管領」などと称し、北方との交易や道南の和人を束ねる立場に立ったと伝えられる。海峡はもはや、人とモノを完全に隔てる壁ではなかった。

十五世紀に入ると、道南の海岸沿いには和人の首長たちが拠点を築きはじめる。のちに道南十二館と総称される、砦をかねた館の連なりである。函館の志苔館、上ノ国の花沢館などがその代表で、彼らはここを足場に交易を握り、アイヌの人々と向き合いながら勢力を広げていった。和人にとって、この地は新たな富をもたらす交易の最前線だった。

交わりが、衝突に変わるとき

だが、交易の広がりは、そのまま摩擦の広がりでもあった。土地や交易の主導権をめぐって、先住のアイヌと新参の和人のあいだには、しだいに緊張が積み重なっていく。和人が持ち込む交易のかたちは、アイヌにとって必ずしも対等なものではなかったと見られている。

その緊張が一気に噴き出したのが、一四五七年(長禄元年)のコシャマインの戦いである。志苔館の付近で、鍛冶をめぐる和人とアイヌの争いから一人のアイヌが殺されたことが引き金になったと伝えられる。首長コシャマインを中心にアイヌの人々が蜂起し、道南の和人の館の多くを攻め落とした。和人勢力は、存亡の淵に立たされたとされる。

蜂起の記憶が残したもの

コシャマインの戦いは、一度きりの事件では終わらなかった。その後も道南では、アイヌと和人の争いが幾度も繰り返されたとされる。和人の側は、そのたびに勢力を再編し、やがて一人の盟主のもとへとまとまっていく。争いを経るごとに、和人の支配は確かなものになっていった。

先に住んでいた人々と、後から来た人々。その力関係が、この島の南端で少しずつ傾いていく。交易の相手だったアイヌは、やがて「治められる側」へと押しやられていくことになる。

道南に芽生えた和人の勢力は、蠣崎氏のもとで一つにまとまり、ついに大名へと駆けのぼる。松前藩の誕生である。次章では、この藩がアイヌとの交易をどう独占し、北の統治のかたちを築いていったのかを追う。

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