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抵抗の記憶 — 二度、大地は立ち上がった

交易が支配へと傾くなか、アイヌの人々は二度、大きく立ち上がった。一六六九年のシャクシャインの戦い、一七八九年のクナシリ・メナシの戦い。北の大地に刻まれた抵抗の記憶と、その鎮圧の意味を、当事者の視点を軽んじずにたどる。

2026年7月7日

交易が支配へと傾き、アイヌの暮らしを圧迫していく。その不満は、静かに、しかし確実に蓄積されていった。やがてそれは、二度にわたる大きな蜂起となって噴き出す。北の大地に刻まれた、抵抗の記憶である。

シャクシャインの戦い

一六六九年(寛文九年)、日高地方のアイヌの首長シャクシャインを中心に、広範囲のアイヌが蜂起した。きっかけは、隣り合うアイヌ集団どうしの漁猟をめぐる争いだったとされるが、その根には、松前藩の交易独占と不当な交換比率への深い不満があったと見られている。交易のかたちが藩に有利につくり替えられ、アイヌが受け取る見返りは年々目減りしていたとされる。

蜂起は蝦夷地の広い範囲に及び、多くの和人が犠牲になったと伝えられる。シャクシャインのもとに集ったアイヌの勢力は、一時、松前藩を大きく揺るがした。だが松前藩は、幕府の後ろ盾も得て反撃に転じる。そして講和の席が設けられたが、その場でシャクシャインは謀殺されたとされる。抵抗の指導者を失い、蜂起は鎮められた。

この戦いののち、松前藩によるアイヌ支配はいっそう強まったと見られている。対等な交易の関係は失われ、アイヌの人々はより厳しい立場へと追いやられていった。

クナシリ・メナシの戦い

抵抗の記憶は、これで終わらなかった。一七八九年(寛政元年)、蝦夷地の東端、国後島(クナシリ)と目梨(メナシ、現在の羅臼・標津のあたり)で、ふたたびアイヌが蜂起する。クナシリ・メナシの戦いである。

この地では場所請負制のもと、和人商人による過酷な使役や不当な扱いが行われていたとされる。虐待に近い労働や、暴力的な仕打ちへの怒りが蜂起の背景にあったと見られている。若いアイヌを中心に和人が襲われ、多くの犠牲が出た。だが、この蜂起もまた鎮圧され、蜂起に加わったアイヌの多くが処刑されたと伝えられる。

シャクシャインの戦いから百二十年。二度目の大きな抵抗もまた、力によって封じられた。この二つの蜂起は、場所請負制のもとでアイヌの暮らしがいかに追いつめられていたかを、静かに物語っている。

抵抗が語りかけるもの

二度の蜂起は、いずれも鎮圧され、和人の支配はかえって強められていった。だが、抵抗があったという事実そのものが、この島の歴史に消えない刻印を残している。それは、アイヌの人々が一方的に支配を受け入れたのではなく、自らの暮らしと尊厳を守ろうとして立ち上がった、という記憶である。

北海道の歴史を、和人の「開拓」の物語としてだけ語ることはできない。その足元には、抵抗した人々の名と、鎮圧された者たちの沈黙が横たわっている。

やがて時代は幕末を迎える。北の海に、ロシアの船が姿を現しはじめる。蝦夷地は、藩の交易地から、国家の防衛線へと意味を変えていく。次章では、黒船前夜の緊張と、この島を歩き記録した探検家たちを追う。

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