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マニフェストの季節 ― 政権交代前夜

2007年の参院選で民主党が大勝し、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」が生まれた。マニフェストという約束のかたちが選挙を変え、自民党政権は短命の交代を重ねて揺らぐ。幻に終わった大連立、相次ぐ躓き、そして高まる政権交代への期待を中立にたどる第4話。

2026年6月13日

地方を歩いて足腰を鍛えた民主党に、最初の大きな手応えが訪れたのは2007年のことだった。この年の参議院選挙で民主党は躍進し、初めて参議院の第一党へと押し上げられる。すると、衆議院では与党が多数を握りながら、参議院では野党が多数を占めるという、ねじれた国会が現れた。法案が思うように通らず、政権の歯車がきしむ。この前代未聞の状況こそ、政権交代へ向かう物語の序章だった。今回は、マニフェストという約束のかたちが選挙を変え、自民党政権が揺らぎ、人々の期待が一点に集まっていく前夜の空気を、できるだけ中立にたどってむ。

  1. 2007-07

    参議院選挙で民主党が大勝し、参議院の第一党に。与野党の多数がねじれる状況が生まれる。

  2. 2007-09

    首相指名選挙で衆議院は福田康夫、参議院は小沢一郎を指名。衆議院の議決が優越し福田が首相に。

  3. 2007-11

    福田・小沢の党首会談で大連立構想が浮上するも、民主党内の反発で幻に終わったとされる。

  4. 2008-09

    福田の退陣を受け、麻生太郎が自民党総裁・首相に就任。世界的な金融危機が政権を直撃する。

  5. 2009-07-21

    麻生首相が衆議院を解散。8月30日投票の総選挙へ、政権選択が問われる構図となる。

ねじれ国会 ― 数が逆転する瞬間

2007年7月の参議院選挙は、政治の地図を塗り替えた。民主党は議席を大きく伸ばして参議院の第一党となり、自民党は惨敗して参議院の過半数を失う。この結果、衆議院では自民党を中心とする与党が多数を握る一方、参議院では野党が多数を占めるという、ねじれた構図が生まれた。これがいわゆるねじれ国会である。

ねじれが厄介なのは、政権運営の難しさにある。日本の国会では、多くの法案は衆参両院の可決を経て成立する。参議院で野党が多数を占めれば、与党の法案は参議院で否決されたり、店ざらしにされたりしかねない。衆議院の優越という仕組みで再可決できる場合もあるが、それには三分の二という高いハードルがあり、現実には容易ではなかった。実際、この時期には政権がしばしば法案の処理に苦しみ、政治の停滞が指摘された。安倍晋三首相の辞任を受けた首相指名選挙では、衆議院が福田康夫を、参議院が小沢一郎を指名するという、両院でねじれた珍しい事態も起いた。最終的には衆議院の議決が優越して福田が首相になりましたが、この一幕は、与党が参議院を制せないことの重みを象徴していた。

マニフェストという約束のかたち

この時期の選挙を語るうえで欠かせないのが、マニフェストという言葉である。もともとは政権公約を意味するこの語が、日本の選挙に広く根づいたのは2000年代のことだった。何を、いつまでに、どれだけの財源で実現するのか――抽象的なスローガンではなく、具体的な数値や期限を示して有権者と約束する。そうした政策提示のスタイルが、二大政党による政権選択の流れと結びついて広まっていった。

民主党はこのマニフェスト型の選挙を前面に押し出した。中央集権から地方分権へ、無駄遣いの削減、そして暮らしに直結する政策の数々を、わかりやすい約束として並べていく。子育てを支える手当の創設や、高速道路の料金をめぐる施策などは、その代表として知られた。難しい政治の言葉ではなく、家計や生活に近い言葉で語ったことが、多くの有権者に届いたとされる。一方で、こうした約束には財源の裏づけをめぐる疑問もたびたび投げかけられた。掲げた政策をどう賄うのか、その説明は十分かという批判である。約束のかたちが明確になったぶん、約束を果たせるかどうかも厳しく問われるようになった――マニフェスト型選挙は、政治に対する期待と検証の両方を高める仕組みでもあった。この約束が、のちに政権交代後の現実とどう向き合うことになるのかは、次の話以降の主題になる。

揺れる自民党政権 ― 短命の連鎖

ねじれ国会のなかで、自民党の政権は安定を欠いていった。福田康夫首相は、停滞を打開する一手として、2007年11月、民主党との大連立を模索したとされる。小沢一郎との党首会談で構想は一度まとまりかけたと伝えられるが、民主党内の強い反発にあって幻に終わった。与野党が手を組んで国難に当たるべきだという考え方と、政権交代を目指す野党が与党に取り込まれてはならないという考え方が、激しくぶつかった一幕だった。この大連立をどう評価するかは、いまも見方が分かれている。

その後も自民党政権は試練が続く。福田の退陣を受けて2008年に首相となった麻生太郎は、就任直後から世界的な金融危機の荒波に直面した。景気対策に追われる一方、政権の支持率は伸び悩み、解散のタイミングも見定めにくいまま時間が過ぎていく。第一次政権を短期間で去った安倍、続く福田、そして麻生と、自民党は短命の政権交代を重ねた。長く政権を担ってきた巨大与党が、表情を曇らせていく――その姿は、政権交代を待ち望む空気をいやおうなく高めていった。

そして麻生首相は、2009年7月21日に衆議院を解散する。投票日は8月30日。長く与党の座にあった自民党と、政権交代を掲げる民主党が、真正面からぶつかる総選挙である。マニフェストという約束を手に、地方まで足腰を固めてきた民主党への期待は、かつてないほど高まっていた。そしてこの夏、日本の有権者は、初めて自らの手で政権そのものを選ぶ歴史的な審判を下そうとしていた。

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