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二つの民主党 ― 結党と合流の物語

1996年、鳩山由紀夫と菅直人が呼びかけて旧民主党が生まれ、1998年には新進党の解党で散った勢力を集めて新たな民主党が結成された。さらに2003年、自由党との合併で小沢一郎が合流する。二大政党制への助走となった、二つの民主党の結党と合流の物語を史実に沿ってたどる第2話。

2026年6月13日

民主党という名前の政党は、実はひとつではなかった。1996年に生まれた最初の民主党と、1998年に作り直された民主党。私たちが2009年の政権交代で思い浮かべるのは後者であるが、その骨格は、政界再編の嵐のなかで二度にわたって組み立てられたものだった。中心にいたのは、「鳩山由紀夫」と「菅直人」という二人の政治家である。そしてもう一人、長く再編の渦の中心にいた「小沢一郎」が、最後にこの船に乗り込んでくる。二つの民主党がどう生まれ、どう一つの大きな党へとまとまっていったのか。前回の混沌の続きとして、結党と合流の物語をたどる。

  1. 1996-09

    新党さきがけや社会民主党の離党者などが集まり、鳩山由紀夫と菅直人を共同代表とする旧民主党が結成されたとされる。

  2. 1996-10

    結党直後の衆議院選挙で旧民主党は一定の議席を得て、自民党に対抗する勢力の一翼を担い始めたとされる。

  3. 1997-12

    新進党が解党し、その流れをくむ小政党が複数生まれて、再び合流の機運が高まったとされる。

  4. 1998-04

    旧民主党に民政党や新党友愛などが合流し、新たな民主党が結成されたとされる。

  5. 2003-09

    民主党と小沢一郎率いる自由党が合併し、小沢が民主党に合流。二大政党を意識した体制が整ったとされる。

最初の民主党 ― 1996年の結党

最初の民主党は、1996年9月に生まれた。呼びかけたのは、新党さきがけにいた「鳩山由紀夫」である。自民党や社会党とは異なる、新しい第三の選択肢を作ろうという構想のもと、さきがけや社会民主党などからの離党者が集まった。この党は、代表を一人に絞らず、鳩山と「菅直人」が共同で代表を務めるという珍しい形をとったとされる。

菅直人は、この頃すでに全国に名を知られた政治家だった。市民運動の出身で、厚生大臣を務めた際に、薬害をめぐる問題で行政の責任を率直に認める姿勢を見せ、清新な改革者という印象を広めたと語られる。理念を語る鳩山と、行動で見せる菅。性格も歩みも異なる二人が並び立つところに、新しい党の個性があった。

ただし結党の過程では、誰を仲間に加え、誰を加えないのかという線引きをめぐって議論が起き、いわゆる排除をめぐる言葉が話題になったとも伝えられる。新しい理念を掲げる一方で、人をめぐる難しさも初めから抱えていた――そうした両面を持つ船出だった。

1998年 ― もう一つの民主党へ

最初の民主党が生まれたのとほぼ同じ頃、非自民の大きな塊だった新進党が揺らいでいた。前回たどったように、新進党は1997年の末に解党し、いくつもの小さな政党へと分かれる。民政党や新党友愛など、新進党の流れをくむグループが各地に散らばっていた。

これらの勢力を、もう一度ひとつにまとめようという動きが起こる。自民党に単独で対抗できる大きな党を作るには、散らばった非自民の議員を結集するしかない。そうした考えのもと、1998年4月、旧民主党を母体に、民政党、新党友愛、民主改革連合などが合流し、新たな民主党が結成されたとされる。これが、のちに政権交代を担うことになる民主党である。最初の民主党と区別して、後の党を指して語られることが多いのは、この1998年の民主党である。

小沢一郎の合流 ― 2003年の民由合併

1998年に再結成された民主党は、その後しだいに勢力を伸ばし、自民党に対抗する野党第一党としての地歩を固めていく。しかし、政権を本気で狙うには、なお一押しが足りないと見られていた。非自民の勢力は、まだ完全には一本化されていなかったのだ。

そのとき残されていた大きな勢力が、「小沢一郎」が率いる自由党だった。小沢は新進党の解党後、自由党を立ち上げ、独自の動きを続けていた。2002年、民主党側はこの自由党との合併を模索し始める。そして2003年9月、両党は合併に合意する。自由党は解散して民主党に吸収される形をとり、小沢一郎が民主党に合流した。これは、新進党解党以降、ばらばらだった非自民勢力が、ようやく一つの大きな器にまとまった出来事として語られる。

もっとも、この合併は党内で歓迎一色だったわけではない。小沢の手法や過去の経緯をめぐって、慎重論や反発もあったと伝えられ、合併の進め方への異論も残ったとされる。剛腕と評される一方で毀誉褒貶のある政治家を迎え入れることへの戸惑いと、彼の組織力や選挙への強さへの期待とが、党のなかで入り混じっていたのだ。評価が分かれる合流だったことは、後の歴史を見るうえでも覚えておきたい点である。

二大政党制への助走

自由党との合併を経て、民主党は名実ともに自民党に対抗しうる規模の党になった。合併直後の総選挙では議席を伸ばし、自民党と民主党という二つの大きな党が政権を競い合う構図が、現実味を帯びてくる。これは、長く自民党の一党優位が続いてきた日本政治にとって、大きな地殻変動の予感だった。

背景には、前回ふれた選挙制度の変化もあった。小選挙区を中心とする仕組みは、票が大きな党に集まりやすく、二つの政党が交互に政権を担う形を後押しすると言われる。制度の追い風と、非自民勢力の結集という流れが重なり、二大政党制という言葉が現実の目標として語られるようになっていった。政権交代のある政治へ――その期待が、にわかに高まっていったのだ。

こうして民主党は、二つの結党と一つの大きな合流を経て、政権を狙える党へと姿を整えた。寄り合い所帯であることの強みと弱さを抱えたまま、それでも自民党に正面から挑む準備が整っていく。そして、この最後の合流を主導し、選挙の現場で党を鍛えていくことになるのが、剛腕と呼ばれた一人の政治家だった。

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