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ANAの時代とLCC — 空の民主化

破綻から立ち直るJALの傍らで、ANAは規模を伸ばし国内最大の航空会社へと駆け上がる。同じ頃、ピーチやジェットスター・ジャパンといったLCCが空に現れ、運賃の壁を崩していく。二強と新規参入が交わり、空の旅が大衆のものへと変わっていく時代を描く。

2026年6月13日

前回、私たちはナショナルフラッグであった日本航空が経営破綻し、会社更生法のもとで稲盛和夫を迎え、痛みをともなう再建へと向かう姿を見た。翼を一度失った会社が、ふたたび空へ戻ろうと身を縮めていたあいだ、もう一方の翼は静かに、しかし力強く羽ばたいていた。

この章で見るのは、二つの大きな変化である。一つは、後発の挑戦者だったANAが、規模の面でついに国内最大の航空会社へと駆け上がっていく流れ。もう一つは、これまで二強だけが占めていた空に、まったく毛色の違う担い手――格安航空会社、いわゆるLCCが現れ、空の旅そのものを大衆のものへと変えていく動きである。二つの変化はやがて交わり、日本の空は、これまでにない多様さを抱えていく。

追う者が、先頭に立つ

長いあいだ、日本の航空界では、国際線の盟主はJALだという感覚が共有されていた。ナショナルフラッグという言葉の重みも、その感覚を支えていた。ところが2010年代に入り、その図式が静かに塗り替えられていく。

JALが破綻した翌年度には、グループ全体の売上高でANAがJALを初めて上回ったとされ、その後もANAは差を広げていったと報じられている。とりわけ躍進を支えたのは国際線だった。羽田空港の国際線枠の拡大という追い風もあり、ANAは国際線の路線網を積極的に広げ、国際線の収入で2013年度にJALを逆転し、旅客数でも2015年度に上回ったと伝えられている。後発の挑戦者として国内線から這い上がってきた会社が、名実ともに国内トップの座に立ったのだ。

もっとも、これは「ANAの勝ち、JALの負け」という単純な話ではない。再建を果たしたJALもやがて再上場し、収益性の高い会社として戻ってくる。二強の力関係は、その後も路線・時期・指標によって揺れ動いていく。確かなのは、かつての固定的なすみ分けが崩れ、二社が真正面から競い合う時代に入ったということだった。

空に現れた、新しい担い手

二強の競争が激しさを増していた頃、空にはまったく新しいタイプの担い手が現れる。LCC――ローコストキャリア、格安航空会社である。

LCCは、機内サービスや座席の仕様、運航の仕組みを徹底して簡素化し、そのぶん運賃を大きく下げるという考え方で生まれた。預け荷物や座席指定、機内の飲み物までを別料金にし、運ぶことそのものに価格をしぼり込む。欧米やアジアで先に広がっていたこの仕組みが、いよいよ日本にも本格的に上陸する。

その先頭を切ったのが、ピーチ・アビエーションだった。ANAホールディングスなどが出資して2011年に設立され、2012年に関西空港を拠点として就航する。「空飛ぶ電車、バス」という分かりやすい言葉を掲げ、新幹線やバスと張り合うような運賃で、人々の移動の選択肢を一気に広げた。

  1. 2011年

    ANAなどが出資し、ピーチ・アビエーションが設立される。

  2. 2011年

    JAL・カンタス・三菱商事が出資し、ジェットスター・ジャパンが設立される。

  3. 2012年

    ピーチが関西空港を拠点に就航。日本のLCC元年と呼ばれる年となる。

  4. 2012年

    ジェットスター・ジャパンが成田空港を拠点に国内線の運航を開始する。

  5. 2010年代

    ANAが売上・国際線の旅客数などで国内最大規模へと台頭する。

同じ2012年には、JALやカンタス航空などが出資したジェットスター・ジャパンが、成田空港を拠点に運航を始める。二強がそれぞれLCCに関わったことで、この年は「日本のLCC元年」とも呼ばれた。さらにエアアジア・ジャパンなど、複数の会社がこの新しい市場へと参入していく。日本の空は、フルサービスの二強と、低価格を武器とする新規参入組とが、入り混じる時代へと入っていったのだ。

運賃の壁が崩れるとき

LCCの登場がもたらした最も大きな変化は、価格の壁が崩れたことだった。

それまで飛行機は、新幹線や高速バスに比べれば、どこか特別な乗り物だった。出張や帰省、よほどの遠出でなければ使わない――そんな感覚を持つ人も少なくなかっただろう。ところがLCCの運賃は、時期や予約のタイミングによっては、鉄道やバスと並ぶか、それを下回ることさえあった。週末にふらりと地方都市へ飛ぶ、近隣のアジアの街へ気軽に出かける。そうした旅の形が、特別な人だけのものではなくなっていった。

二強にとっても、LCCの存在は無視できないものだった。価格に敏感な利用者をどう取り込むか、フルサービスの価値をどう守るか。ANAはピーチを中心にLCC事業を自らのグループに取り込んでいく方向を強め、後には完全子会社化したと報じられている。JALも傘下のLCCを抱え、近年はブランドの見直しに動いたとされる。二強は、自らの足元を脅かしかねない存在を、グループの一部として抱え込むという、複雑な向き合い方を選んでいった。

多様になった空、変わらない競争

こうして2010年代の日本の空は、かつてないほど多様な姿になった。ナショナルフラッグから生まれ変わったJAL、後発から最大規模へ駆け上がったANA、そして二強の傘の下や外で運賃を競うLCCたち。利用者にとっては、選べる路線も、選べる価格帯も、かつてとは比べものにならないほど広がった。

それは、第4話で見た45/47体制――国が二社のすみ分けを定め、護送船団のように守った時代から、ずいぶん遠くまで来たことを意味する。規制に守られた安定から、自由な競争へ。その競争が、運賃を下げ、路線を増やし、空の旅を多くの人の手に届けてきた。一方で、競争は会社に絶え間ない効率化を強い、働く人々や安全との両立という、終わりのない課題も突きつけ続けている。

光と影は、ここでも背中合わせだった。空が大衆のものになるほど、その空を支える仕組みは、より大きな負荷と責任を背負うことになる。多様で活気に満ちたこの空が、どれほど多くの人と仕組みに支えられて成り立っているのか――それを私たちが思い知らされる日は、思いがけない形で、すぐそこまで近づいていた。

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