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ストリートと未来 ― 三強の現在

ドイツの小さな町の兄弟喧嘩から始まった100年が、太平洋を越えて現在へとたどり着く。死にかけたプーマの再生、アディダスのコラボ文化、ナイキの王座、そして転売・限定・サステナビリティへ。三強の今と、スポーツとカルチャーの融合の行方を描く最終話。

2026年6月12日

ヘルツォーゲンアウラハ。ドイツの小さな町を流れるアウラッハ川を挟んで、兄弟は背を向け合った。兄ルドルフのプーマと、弟アディのアディダス。一足の靴から始まった物語は、ベルンの奇跡で世界へ羽ばたき、太平洋の向こうでナイキという新王者を生んだ。

その100年が、いま現在へとたどり着く。三強はそれぞれの場所で、どんな顔をしているのだろうか。

死にかけたプーマが、よみがえった

三強の中で、最も劇的な浮き沈みを経験したのはプーマかもしれない。

創業者ルドルフの時代を経て、プーマは1980年代から90年代初頭にかけて経営難に陥り、ブランドとしての輝きを失いかけていた。そこへ現れたのが、ヨッヘン・ツァイツである。1990年に入社した彼は、1993年、わずか30歳で会長兼CEOに就任した。ドイツの上場企業を率いる最年少のトップだったとされる。

ツァイツの戦略は、プーマを単なるスポーツ用品メーカーから、「スポーツとライフスタイルとファッションを融合させるブランド」へと作り変えることだった。彼はジル・サンダーや三原康裕といった気鋭のデザイナーを招き、運動靴を街で履くファッションアイテムへと押し上げていく。

この再生は数字にも表れた。ツァイツのもとでプーマの株価は十数年で大きく上昇し、2007年にはフランスの高級ブランドグループ、ケリングが過半数の株式を取得するに至ったと報じられている。死の淵にあった山猫は、しなやかに息を吹き返したのだった。

コラボという文化、アディダスの再発見

アディダスは、自らの過去を最大の武器に変えた。

かつてベルンの奇跡やサッカーの歴史を作ってきた名作の数々を、アディダスは「オリジナルス」というラインのもとに束ね直した。スタンスミスやスーパースターといった往年のモデルが、競技用具としてではなく、ストリートのアイコンとして再び輝き始める。とりわけスタンスミスは、世界で最も売れたスニーカーのひとつとして記録に残るほどの定番となった。

そしてアディダスは、ブランドの外にいる才能と手を組む「コラボ文化」を推し進めていく。ミュージシャン、デザイナー、ストリートブランド——彼らとの協業は、一足の靴に物語と希少性を与えた。

中でも大きな存在感を放ったのが、ミュージシャンのカニエ・ウェスト(後にイェの名で活動)との「イージー(Yeezy)」だったとされる。発売のたびに行列と熱狂を生んだこのラインは、コラボの可能性を象徴した。だが2022年、アディダスはイェの差別的な言動を理由にこの提携を打ち切ったと報じられている。栄光と危うさが背中合わせであることも、この一件は浮き彫りにした。

ナイキの王座と、転売される一足

太平洋の向こうから来た新王者ナイキは、その後も頂点に立ち続けた。

エア・ジョーダンが切り開いた「商品ではなく物語を売る」手法は、ナイキの中で磨き上げられていった。限定モデル、抽選販売、アスリートやカルチャーとの結びつき——ナイキは欲しいという感情そのものを設計する企業になった。

その帰結のひとつが、スニーカーの「転売市場」である。手に入りにくい限定モデルは、定価を大きく上回る価格で取引されるようになり、StockXのような二次流通プラットフォームが巨大な市場へと成長したと報じられている。一足のスニーカーが、履くためのものであると同時に、投資や資産の対象として語られる時代が来たのだ。

次の100年へ、サステナビリティという宿題

きらびやかな現在の足元には、第9話で見た「作る責任」の問いが今も流れている。

大量に作り、大量に消費し、ときに大量に転売される。その循環の中で、三強はそろって環境への配慮を掲げるようになった。プーマは早くから環境負荷を可視化する枠組みに取り組んだとされ、アディダスはリサイクル素材を使ったモデルを打ち出し、定番のスタンスミスにも再生材を採用する動きを進めたと報じられている。ナイキも素材や製法の見直しを通じて、廃棄や環境負荷を減らす方向を模索してきた。

サステナビリティは、もはや広告のための飾りではない。次の100年もブランドであり続けるための、避けられない宿題になっている。

ここで、100年の歩みを一枚に収めておきたい。

  1. 1924

    ダスラー兄弟がドイツの町ヘルツォーゲンアウラハで靴づくりを本格化させる

  2. 1948-49

    兄弟が決別し、弟アディのアディダスと兄ルドルフのプーマが誕生する

  3. 1954

    ベルンの奇跡で西ドイツが優勝し、アディダスのスタッドが脚光を浴びる

  4. 1971

    勝利の女神ニケにちなみナイキが命名され、スウッシュが生まれる

  5. 1984

    ナイキがマイケル・ジョーダンと契約し、エア・ジョーダンが時代を変える

  6. 1993

    ヨッヘン・ツァイツがプーマのCEOに就任し、再生へ舵を切る

  7. 2007

    ケリングがプーマの過半数株式を取得したと報じられる

  8. 2022

    アディダスがイージーの提携を打ち切ったと報じられる

川は、いまもそこに流れている

ヘルツォーゲンアウラハのアウラッハ川は、いまも静かに流れている。かつて兄弟と町を二つに割ったその川の両岸で、アディダスとプーマは今日も別々の旗を掲げる。そして太平洋の向こうのオレゴンから、ナイキがその戦いを見つめている。

一足の靴から始まった兄弟喧嘩は、ブランドの誕生となり、スポーツの勝敗を左右し、五輪とワールドカップを動かし、ストリートの文化となり、そして「どう作り、どう向き合うか」を問われる現代へとたどり着いた。スニーカー戦争とは、結局のところ、人がスポーツに、勝利に、そして自分らしさに何を託してきたかの物語だったのかもしれない。

戦いはまだ終わらない。スポーツとカルチャーが溶け合う場所で、三強は次の100年への一歩を、今日も踏み出している。その足元には、いつだって一足のスニーカーがある。

【スニーカー戦争 ― アディダス・ナイキ・プーマの100年・完】

ここまでお読みくださり、ありがとうござった。ドイツの小さな町から始まった100年の旅に、最後までお付き合いいただけたことを、心より感謝する。次にあなたが靴ひもを結ぶとき、その一足に流れる長い物語を、ほんの少し思い出していただけたなら——書き手としてこれ以上の喜びはない。

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