兄弟の決裂 ― アディダスとプーマの誕生
二人三脚で頂点に立ったダスラー兄弟は、戦争を境に決定的に決裂する。1948年から49年、弟アディはアディダスを、兄ルドルフはプーマを興した。一本の川を挟んで町は二つに割れる。確執の始まりを辿る。
2026年6月12日
前回、私たちはドイツの小さな町ヘルツォーゲンアウラハで、作る弟アディと売る兄ルドルフが二人三脚で築き上げた靴のブランドを見た。1936年のベルリン五輪で、その靴は世界の頂点に立った。だが物語は、ここから暗く長い谷へと下っていく。
この回で辿るのは、二人の兄弟がなぜ袂を分かったのか、そしてその決裂が、いかにして世界的な二つのブランド——アディダスとプーマ——を生み出したのか、という出来事である。確執の詳細な内幕には、当事者にしか分からない部分も多い。ここでは、公に伝えられてきた範囲で、できるかぎり中立にその経緯を見つめたい。
戦争が壊した信頼
ダスラー兄弟の不和が、いつ、何をきっかけに決定的になったのか。それを一つの出来事で言い切ることは難しい。確かなのは、第二次世界大戦という巨大な暴力が、兄弟とその妻たちの関係を加速度的に蝕んでいったということだ。
1930年代、ヒトラーが台頭すると、兄弟は揃ってナチ党に加わったと伝えられる。ただし、弟アディよりも兄ルドルフのほうが、より熱心であったとされている。戦時下、靴工場の経営や徴用をめぐって、二人の立場や思惑は次第に食い違っていった。
決裂を象徴する逸話として、しばしば語られるものがある。連合軍の空襲が町を襲ったある日、アディと妻が逃げ込んだ防空壕に、後からルドルフ夫妻が入ってきた。そのときアディが漏らしたとされる一言——「あの汚い連中がまた来た」が、連合軍の爆撃機を指したのか、それとも兄夫婦を指したのか。ルドルフは後者だと受け取り、深く傷ついたと伝えられている。真偽は定かではない。だが、こうした逸話が語り継がれること自体が、当時の二人の間に横たわっていた不信の深さを物語っている。
一本の川が町を分けた
そして1948年、ついにその時が来る。ルドルフは長年ともに築いてきた会社を去る決断を下した。兄弟は、人員も、設備も、得意先も、そして家族の絆さえも分け合うようにして、それぞれの道を歩み始めた。
兄ルドルフは、アウラハ川の対岸に自らの工場を構えた。当初は自分の名「ルドルフ」と姓「ダスラー」を組み合わせて「ルーダ」と名づけたが、ほどなく、より躍動的で記憶に残る名へと改めた。それが、しなやかに飛びかかる猫科の獣の名——プーマである。
弟アディもまた、自らの会社に新しい名を与えた。愛称の「アディ」と、姓の頭三文字「ダス」を組み合わせて——アディダス。やがて彼の靴の側面には、補強と装飾を兼ねた三本のラインが入るようになり、これが世界に知られる三本線のシンボルへと育っていく。
こうして一つの会社は、二つのブランドに割れた。そして恐ろしいことに、亀裂は会社の中だけにとどまらなかった。
二つに割れた小さな町
アウラハ川を挟んで、町は文字どおり二つの陣営に分かれていった。川のこちら側にアディダスの工場があり、向こう側にプーマの工場がある。住民の多くがどちらかの会社で働き、生活の糧を得ていたため、人々は自然とどちらかの「側」に属することになった。
その分断は、生活の隅々にまで及んだと伝えられる。アディダスで働く者はプーマの人間と結婚しない。行きつけのパン屋も、肉屋も、酒場も、自陣営の店を選ぶ。子どもたちは別々の側で育ち、相手側との付き合いを避けた。前回触れたように、人々はすれ違うときに相手の足元へ視線を落とし、どちらの靴を履いているかを確かめた。「首を曲げる者たちの町」というあだ名は、こうして生まれたのである。
- 1948
兄ルドルフが会社を去り、アウラハ川対岸でプーマの前身となる事業を起こす
- 1948
プーマのブランド名と最初のロゴが登録される
- 1949
弟アディが自らの名を冠したアディダスを正式に登録する
兄弟の個人的な確執が、町全体の文化を塗り替えてしまう。これは単なる家族の喧嘩の物語ではない。一人の人間の感情のもつれが、いかに広く、いかに長く、社会に影を落としうるか——その普遍的な真実を、この小さな町は半世紀にわたって体現することになる。二人の兄弟は生涯和解せず、墓地でさえ互いに最も離れた場所に葬られたと伝えられている。
競争という名の遺産
皮肉なことに、この痛ましい決裂は、結果としてスポーツ用品の歴史を大きく前へ進める原動力になった。
すぐ目と鼻の先に、相手より良い靴を作ろうと血眼になる競争相手がいる。アディダスとプーマは、互いを強烈に意識しながら、技術を磨き、選手を口説き、市場を奪い合った。一方が新しい工夫を凝らせば、他方がそれを上回ろうとする。この近すぎる宿敵の存在が、両社の製品と商売の腕を、恐ろしい速さで鍛え上げていったのである。
兄弟の物語としては悲劇だった。だが企業の物語としては、世界に類を見ないほど濃密なライバル関係の幕開けだった。そしてこの二つのブランドが、その実力を世界に証明する最初の大舞台が、間もなくやってくる。川を挟んで生まれた二つのブランド。その雌雄を決する最初の舞台は、サッカーのワールドカップだった。
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