ブランドを愛した国 ― 日本という金脈の物語
パリの帝国を支えたのは、はるか東の島国だった。なぜ日本人はこれほどまでにブランドを愛したのか。戦後の憧れからバブルの熱狂、そして成熟へ。そしていま、その金脈は中国へと移りつつある。ラグジュアリーとアジアの関係を、史実ベースでたどる。
2026年6月13日
前回、ベルナール・アルノーが築いたLVMH帝国の物語を見た。コングロマリットという発明、買収による拡大、そして職人の世界に資本の論理を持ち込んだ手腕。けれど、その帝国を成長させた燃料は、パリのアトリエの中にあったわけではない。それは、九千キロ離れた東の島国にあった。
二〇世紀後半から二一世紀にかけて、世界の高級ブランドにとって日本はまさに金脈だった。人口に比して、これほど熱心にブランドを買い求めた国はないとも言われる。なぜ日本人は、海を越えてやってきたバッグや服に、これほど心を奪われたのか。この回では、ラグジュアリーとアジアの濃密な関係を、史実をたどりながら描く。
海外再進出の第一歩は、なぜ日本だったのか
物語は意外なところから始まる。第二次世界大戦を経て、世界に広がっていた「ルイ・ヴィトン」の店は、戦後にはフランス国内のパリとニースのわずか二店舗だけにまで縮小していたと伝えられている。その同社が海外への再進出の第一歩に選んだ地こそ、日本だった。
一九七八年、ルイ・ヴィトンは日本に上陸する。東京と大阪の百貨店内に相次いで売り場を開き、一九八一年には銀座に日本初の直営店を構えた。背景には、それ以前から日本でブランドの人気が高まり、輸入業者による価格の吊り上げが問題になっていた事情があったと言われている。つまり日本人は、店が来る前から、すでにこのブランドに恋をしていたのだ。
バブルの熱狂 ― 一億総ブランドの時代
一九八〇年代後半、日本はバブル経済の絶頂を迎える。地価と株価が高騰し、社会全体が高揚感に包まれた時代である。この熱気の中で、ラグジュアリーは爆発的に広がった。
それまで一部の富裕層のものだった「ルイ・ヴィトン」や「シャネル」のバッグを、若い会社員や学生までもが手にするようになる。海外旅行が身近になり、パリの本店でまとめ買いをする日本人観光客の姿は、現地でも語り草になった。一つの商品を国民の多くが憧れ、所有する。世界のブランドにとって、これほど効率よく売れる市場は他になかった。
なぜ、これほど熱狂したのか。理由は一つではない。豊かさを実感したい時代の空気、品質を尊ぶ国民性、そして周囲との調和を重んじ「皆が良いと認めるもの」を選ぶ傾向が強いという見方もある。良いものを長く大切に使う文化と、人と同じ安心を求める心理。その両方が、名門ブランドへの愛着を支えたと考えられている。
ただし、この熱狂には影もあった。本来は職人技や歴史への敬意から生まれたはずの憧れが、ロゴという記号の所有競争に変わっていった面は否めない。「猫も杓子も同じバッグ」という光景は、ブランドが本来持っていた個性や物語を、見えにくくする側面もあったのだ。
- 1978
ルイ・ヴィトンが日本に上陸、百貨店に売り場を開く
- 1981
銀座に日本初の直営店をオープン
- 1980s後半
バブル経済を背景に空前のブランドブームが到来
- 2000s
成熟と価値観の多様化で熱狂が落ち着く
- 2010s以降
成長の主役が中国市場へと移っていく
金脈は移動する ― 日本から中国へ
バブルが崩壊し、長い不況の時代に入ると、ブランドへの向き合い方も変わっていった。やみくもな所有から、本当に好きなものを選び、長く使い、ときに中古市場で手放すという成熟した消費へ。日本はラグジュアリーにとって、依然として重要でありながらも、爆発的に伸びる市場ではなくなっていく。
入れ替わるように成長の主役となったのが、中国だった。経済成長で生まれた新しい富裕層と中間層が、かつての日本のように本物のブランドを求め始めたのだ。ある報道によれば、二〇一七年からの数年で中国の高級品市場は大きく拡大し、いまやLVMHのような巨大グループの業績を左右する規模に育った。日本が果たした役割を、中国がより大きな規模で引き継いだ形である。
この移り変わりには、興味深い相似がある。急速に豊かになった社会が、本物の証として歴史あるブランドを求める。やがて市場が成熟すると、所有の競争から、自分らしい選択へと価値観が移っていく。日本が数十年かけてたどった道を、中国はより短い時間で駆け抜けようとしているようにも見える。ラグジュアリーの帝国は、こうしてアジアの豊かさの波を次々と乗り継いできたのだ。
もっとも、その道のりも平坦ではない。BBCなどの報道によれば、近年は中国の消費者が高額な買い物を控える動きも見られ、二〇二四年にはアジア地域(日本を除く)の売上が前年同期比で大きく減少したと伝えられた。一方で、その後は回復の兆しも報じられており、市場の浮き沈みは続いている。
日本から中国へ。金脈の移動は、ラグジュアリーがいかにアジアの豊かさとともに歩んできたかを物語っている。職人の技を守るパリの帝国は、海の向こうの憧れによって支えられてきた。その事実は、ブランドの価値が作り手だけでなく、それを愛する人々の心によっても形づくられることを、静かに教えてくれる。
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