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ロゴはなぜ安くなったか ― ライセンスという甘い毒

名前を貸すだけで金が入る――1970年代から80年代、高級ブランドはライセンスという魔法に酔った。トイレの蓋から傘まで一流の名が氾濫し、グッチの商品はやがて二万種を超えた。ロゴがあふれるほど、ブランドは安くなる。栄光の老舗が陥った経営危機を史実ベースで描く。

2026年6月13日

前話で私たちは、ディオールのニュールックが戦後パリを甦らせ、オートクチュールが職人技の頂をきわめた黄金期を見た。デザイナーが時代をつくり、ブランドは時代の気分そのものを動かす力を手にした。

だが、頂点には影がついて回る。手仕事の一点物は、もともと少数の富裕層のためのものだ。企業として成長を続けるには、もっと多くの人へ、もっと広く名前を届けねばならない。その答えとして登場したのが、ライセンスという仕組みだった。

自分では作らず、名前を貸すだけ。すると、世界中の工場が作った商品に、一流の名が躍りはじめる。最初は賢い戦略に見えた。だがそれは、ブランドの価値を内側からむしばむ、甘い毒でもあったのだ。

名前を貸すだけで、金が降ってくる

ライセンスとは、ブランドが自分の名前やロゴを他社に貸し、その対価として売上の一部(ロイヤリティ)を受け取る仕組みである。香水、サングラス、傘、文房具――自社で工場を持たずとも、名前さえ貸せば、作るのも売るのも相手まかせでお金が入ってくる。

1970年代、デザイナーの既製服が爆発的に広がると、ファッショナブルな名前を冠した商品への需要は、無視できないほど大きくなった。ブランド側にとって、ライセンスはほとんど打ち出の小槌に見えた。製造や流通の面倒を背負わず、ただ印税を集めていればいい――そんな理屈である。

この道を最も極端に突き進んだのが、デザイナーのピエール・カルダンだった。彼の名は、やがて信じがたいほど多くの商品へと貸し出されていく。報道によれば、1970年代の終わりには2000を超える種類の商品に彼の名が付き、自転車用品からワイン、調理器具、ヘアドライヤーにまで広がったとされる。一説には、トイレの蓋カバーにまでその名があったと伝えられる。

皮肉なのは、カルダン自身がきわめて才能あるクチュリエだったことである。前衛的なデザインで知られ、宇宙時代を思わせる大胆な造形は、本来なら最高級の評価を受けるべきものだった。だが、あまりに多くの商品に名を貸したことで、高級ファッションの顧客にとって、彼の名はかえって「ありふれたもの」になっていったとされる。才能と引き換えに希少性を失う――それは、創造者にとって最も残酷な取引だったかもしれない。彼の名は、後の時代まで「ライセンスで身を持ち崩したブランド」の教訓として語り継がれていく。

ロゴがあふれ、価値が薄まる

問題は、まさにここにあった。高級ブランドの価値は、品質や職人技だけでなく、「誰もが持てるわけではない」という希少性に支えられている。ところがライセンスは、その希少性を真っ向から否定する。あらゆる商品にロゴが躍れば、その名はもはや特別ではなくなる。

これを業界では「ブランドの希薄化」と呼ぶ。一流の名を冠した安価な雑貨が街にあふれると、本来の富裕な顧客はかえって離れていく。自分だけのものだったはずの名が、駅の売店にも転がっている――その幻滅が、最も大切な客を遠ざけてしまうのだ。

その典型が、イタリアの名門グッチだった。家族経営の内紛も重なり、ブランドの統制は緩んでいく。ライセンスと安易な商品展開が野放図に広がり、1990年代半ばには、グッチの名を冠した商品はキーホルダーから安物のキャンバスバッグまで、実に二万二千種を超えたと報じられている。馬具づくりの誇りから出発した名門は、いつのまにか「どこにでもあるロゴ」になりかけていた。

  1. 1970年代

    デザイナー既製服の拡大とともにライセンス契約が急増。ピエール・カルダンの名は2000種を超える商品に広がったとされる

  2. 1980年代

    高級各社がライセンスに依存。ロゴの氾濫が「ブランドの希薄化」として警戒されはじめる

  3. 1990年代前半

    グッチの商品が二万種を超え、家族経営の混乱もあって老舗が深刻な経営危機に陥ったと報じられる

  4. 1994

    グッチでトム・フォードがクリエイティブを統括。商品を大幅に絞り込み、再生へ向かったとされる

グッチの混乱は、ライセンスの罠だけが原因ではなかった。創業家のなかでは株式をめぐる対立が深まり、相続や経営方針をめぐって親族が激しく争った。叔父や従兄弟が次々と持ち株を投資会社へ売却し、当主だったマウリツィオ・グッチもまた1980年代末から段階的に株を手放していく。そして1993年、彼は残る持ち分も売却し、一族は自らの名を冠した会社の支配権を完全に失ったと報じられている。馬具職人の誇りから始まった一族の物語は、ここで創業家の手を離れた。

栄光と確執の果てに訪れたのは、痛ましい結末だった。1995年、マウリツィオ・グッチはミラノの事務所前で銃撃され、命を落とす。後にこの事件は、別れた妻が殺害を依頼したものとして裁かれたと報じられた。一族の名は世界に残り、ブランドは甦った。だが、その名を築いた血族そのものは、栄光のただなかで深く傷ついていったのである。

危機が教えた、引き算の知恵

皮肉なことに、このどん底の経験こそが、現代の高級ブランド経営の教科書を書き換えることになる。

グッチを立て直そうとした人々がまず行ったのは、増やすことではなく、減らすことだった。乱発したライセンスを買い戻し、安価な商品を切り捨て、店頭に並ぶ商品の数そのものを大胆に絞り込む。1994年にクリエイティブを統括したトム・フォードのもとで、商品は二万種規模から数千へと削られたと伝えられる。すると、希少性が戻るにつれてブランドの輝きも甦り、売上はむしろ伸びていったとされる。

足し算ではなく、引き算。あふれさせるのではなく、絞る。ライセンスの時代が残したこの教訓は、その後のラグジュアリー戦略の根幹をなしていく。

こうして1980年代の終わりから90年代にかけて、いくつもの名門が、希薄化した自らの価値とどう向き合うかという難題に直面していた。創業家の手から離れ、迷走するブランドたち。それは、新しい時代の到来を告げる空白でもあった。

その空白を、一人の実業家がじっと見つめていた。彼は、迷えるブランドを一つ、また一つと束ね、かつて誰も描かなかった壮大な帝国を構想する。次話は、ラグジュアリーを近代的なビジネスへと作り変えた、その男の戦略を見つめることにしよう。

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