馬具職人の誇り ― エルメス、急がない帝国の哲学
1837年、パリの片隅で馬の馬具を縫う工房が生まれた。自動車の時代に滅びかけた馬具屋は、その手縫いの技を鞄や衣服へと注ぎ込み、生き延びた。ケリーやバーキンに込められた希少性と職人主義。急いで作らないことを誇りとするエルメスの哲学をたどる第2話。
2026年6月13日
馬の首にかける革紐に、一針ずつ手で糸を通していく。エルメスという名が世界の頂きに連なるブランドになる物語は、この地味で根気のいる作業から始まった。前回たずねたルイ・ヴィトンが旅という時代の変化に乗って成功したとすれば、エルメスはむしろ、時代に滅ぼされかけながら、その手の技だけを頼りに生き延びた一族の物語である。馬車が消え、自動車が走りはじめた二十世紀、馬具を縫う工房は本来であれば役目を終えるはずだった。ところがエルメスは、急がず、安くせず、ただ良いものを手で作り続けるという一見頑固な姿勢を貫くことで、かえって時代を超えていく。その逆説の歴史をたどってみよう。
- 1837
ティエリ・エルメスが、パリで馬具工房を開いたとされる。エルメス創業の年。
- 1880
二代目シャルル・エミールが、店をフォーブール・サントノーレ通り24番地へ移したと伝えられる。現在の本店の地。
- 1920年代
三代目エミール・モーリスが、革製品にファスナーをいち早く取り入れたとされる。
- 1937
最初のシルクスカーフ、カレを発表。馬や馬車を題材にした図柄が人気を集める。
- 1956
モナコ公妃グレース・ケリーが愛用したことから、後にケリーと呼ばれるバッグが知られるようになる。
- 1984
女優ジェーン・バーキンとの機内での出会いから、バーキンが生まれたと伝えられる。
馬具から始まった工房
エルメスの始まりは1837年、パリにティエリ・エルメスが開いた馬具の工房だったとされる。当時のヨーロッパでは、馬車が人と荷を運ぶ主役であり、馬具づくりは欠かせない職人仕事だった。ティエリは、馬の体を傷めず、しかも長くもちこたえる馬具を作る腕で評判を得ていく。なかでも知られるのが、二本の針を使って革を縫い合わせる手縫いの技法である。一方の糸がほつれても、もう一方が縫い目を支えるため、簡単にはほどけない――この丈夫な縫い方は、のちのエルメスを語るうえで欠かせない、ものづくりの背骨になった。
二代目のシャルル・エミールの代になると、工房はさらに広がる。1880年ごろには、店をパリのフォーブール・サントノーレ通り24番地へ移したと伝えられ、この場所は今もエルメスの本店として知られている。やがてエルメスの馬具は、ヨーロッパの王侯貴族に愛用され、一説にはロシア皇帝の御用達にもなったとされるほど、最高級の馬具づくりとしての名声を確かなものにしていった。
けれど十九世紀の終わりから二十世紀のはじめにかけて、この一族に大きな試練が訪れる。自動車という新しい乗り物が登場し、馬車が街から姿を消しはじめたのだ。馬具を縫う工房にとって、それはまさに屋台骨が崩れていくような変化だった。
滅びを避けた転身
ここでエルメスがとった道は、時代の変化に抗うことでも、慌てて別の商売に乗り換えることでもなかった。三代目のエミール・モーリスは、馬具づくりで磨いてきた革と縫いの技術を、馬以外のものへ注ぎ込むことを選ぶ。鞍や馬具ではなく、人が持ち歩く鞄や、身につける衣服へ。馬の道具を作る技を、人の暮らしの道具を作る技へと静かに移し替えたのだ。
その象徴が、エミール・モーリスがフランスにいち早く取り入れたとされるファスナーだった。一説には、彼が外国で見たこの新しい留め具に着目し、革製品や衣服に応用したと伝えられ、人々はそれを「エルメスの留め具」と呼んだとも言われる。馬具屋が、旅行鞄やハンドバッグ、衣料品を扱う総合的な高級工房へと姿を変えていく――この転身こそ、馬車の時代の終わりにエルメスが滅びずにすんだ理由だった。
1937年には、エルメスは最初のシルクスカーフ、カレを発表する。正方形の薄い絹地に、馬や馬車、装具などを題材にした緻密な図柄を描いたこのスカーフは、馬具づくりの歴史と美意識をそのまま身にまとえる小さな芸術として愛された。鞄に手が届かない人にも、エルメスの世界に触れる入り口を用意する――スカーフは、職人の工房がブランドへと広がっていく架け橋にもなったのだ。
ケリーとバーキン ― 名前を得た鞄
エルメスを世界的な象徴へと押し上げたのは、二つのバッグにまつわる物語である。一つは、もともと別の名で作られていた台形のハンドバッグだった。1956年、モナコ公妃となっていた女優グレース・ケリーが、報道陣の前でこのバッグを身体の前にかざした写真が広く知られると、人々はこの鞄を公妃の名で呼ぶようになる。やがてエルメスは正式にケリーと名づけたとされ、一つの鞄が一人の女性の優雅さと結びついて、特別な意味を帯びていった。
もう一つの物語は、1984年に生まれたと伝えられる。パリからロンドンへ向かう飛行機のなかで、英国の女優ジェーン・バーキンが、荷物が手提げかごからこぼれてしまったことをきっかけに、隣り合わせたエルメスの当主ジャン・ルイ・デュマと言葉を交わした、という逸話である。理想の鞄について語り合ったその会話から、収納力と上品さを兼ね備えたバッグの構想が生まれ、彼女の名を冠したバーキンが作られたとされる。いずれの逸話も語り継がれるうちに細部が膨らんだ部分はあるとされるが、有名人と鞄が結びついた物語が、製品にかけがえのない価値を添えたことは確かである。
馬具を縫う工房から始まり、自動車の時代を生き延び、鞄やスカーフを通じて世界の頂きに連なったエルメスの歩みは、急がず、安くせず、手の技を守り続けることが、ときに最強の戦略になりうることを教えてくれる。けれど、こうしてパリのアトリエで職人が一針ずつ糸を通していた頃、同じ街では、まったく別の角度からラグジュアリーの常識を揺さぶろうとする人物が現れていた。鞄や馬具ではなく、女性が身にまとう服そのものを、窮屈な束縛から解き放とうとした一人の女性――次回は、その革命の物語をたずねる。
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