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カネの帝国 — アヴェランジェ、アディダス、放映権

1974年、ひとりのブラジル人がFIFAの王座を奪った。ジョアン・アヴェランジェ。彼はスポーツ用品の帝王ダスラーと手を組み、放映権とスポンサーでサッカーを巨大ビジネスに変えていく。国家を超える権力としてのFIFA――その誕生の現場を描く。

2026年6月11日

前回、アルゼンチンの軍事政権はサッカーを「政治」のために利用した。だが同じ頃、ピッチの外では、まったく別の力がサッカーに群がろうとしていた。政治ではなく、カネである。

これまでW杯は、国家の威信や復興の物語として語られてきた。ここから先、もうひとつの主役が前面に出てくる。それは、フィールドではなく会議室で動く力――FIFAという組織そのものが、いつしか「国家を超える権力」へと変貌していく物語である。その転換点に立っていたのが、ひとりのブラジル人だった。

王座を奪った男

1974年6月、西ドイツ大会の開幕直前。フランクフルトで開かれたFIFA総会で、政変が起いた。

それまで33年にわたってFIFAを率いてきたのは、イングランド出身のスタンリー・ラウス。紳士的で、サッカーを「アマチュアの高貴な競技」として守ろうとする旧世界の人物だった。その彼を、ブラジルの実業家ジョアン・アヴェランジェが選挙で破ったのだ。ヨーロッパ以外の出身者として、初めてFIFAの会長に就いた人物だった。

なぜアヴェランジェは勝てたのか。彼が票を集めた相手は、ヨーロッパの古豪ではなかった。アフリカ、アジア、中南米――それまでFIFAの中心から遠ざけられていた国々である。

理想を掲げて当選したものの、それを支える財源がない。アヴェランジェが直面したこの矛盾こそが、サッカーを根底から変えるエンジンになる。金が足りないなら、稼げばいい――。彼は、サッカーを「売り物」にする決断をする。

ダスラーという錬金術師

資金を求めるアヴェランジェの前に、絶妙のタイミングで現れた人物がった。ホルスト・ダスラー。スポーツ用品メーカー「アディダス」創業者の息子であり、当時その経営の実権を握りつつあった男である。

ダスラーは、ただの靴屋の跡継ぎではなかった。彼は世界で最初に「スポーツとマーケティングは結びつく」と見抜いた、いわば商業化の天才だった。選手にシューズを履かせ、競技団体の幹部と人脈を築き、大会そのものを広告媒体に変えていく――その手法を、誰よりも早く体系化した人物である。

ダスラーは新会長アヴェランジェに接近し、FIFAの「金欠」という弱点に、解決策を差し出する。スポンサーと放映権である。

ダスラーは、世界最大級の飲料企業コカ・コーラを口説き落とし、FIFA初の本格的な企業スポンサーに据えたとされる。約束された金額は800万ドル規模。サッカーの試合に、巨大消費財ブランドのロゴが並ぶ時代が、ここから始まった。やがてダスラーは電通などと組んでスポーツマーケティング専門会社を立ち上げ、五輪やW杯の商業権を一手に扱う巨大な仕組みを築いていく。FIFAの空っぽだった金庫は、急速に潤いはじめた。

放映権という金鉱

スポンサー料と並ぶ、もうひとつの巨大な金鉱があった。テレビの放映権である。

前回までに見たとおり、テレビはすでにW杯を地球規模のイベントに変えていた。世界中の何十億という人々が、同じ試合を同じ瞬間に見つめる。それほどの注目を集めるコンテンツを、各国の放送局がタダで流せるはずがない。「この映像を流す権利」そのものに、途方もない値段がつくようになる。

FIFAは、この放映権を握る胴元になった。大会が大きくなるほど、視聴者が増えるほど、放映権の値は吊り上がる。スポンサー料と放映権収入――この二つの柱が、FIFAを一気に富裕な組織へと押し上げていった。

  1. 1974

    アヴェランジェがラウスを破り、欧州以外で初のFIFA会長に就任。

  2. 1970年代半ば

    ダスラーがコカ・コーラをFIFA初の大型スポンサーに。商業化が本格化。

  3. 1981

    ゼップ・ブラッターがFIFA事務局長に就任。商業路線を実務で支える。

  4. 1982

    スペイン大会で出場国が16から24チームへ拡大。公約の実現。

  5. 1998

    アヴェランジェ退任。後継のブラッターが会長に。商業化路線を継承。

潤った資金は、約束どおり使われた面もあった。1982年のスペイン大会では、出場国が16から24チームへと拡大する。ヨーロッパと南米だけでなく、アフリカやアジアの国々が、世界の大舞台に立てる枠が広がった。ユース世代の世界大会も創設される。アヴェランジェの公約は、ダスラーがもたらしたカネによって、確かに形になっていったのだ。

国家を超える権力

ここで生まれたものを、冷静に見つめる必要がある。

FIFAは、もともと各国のサッカー協会をまとめる連絡組織にすぎなかった。それが、スポンサーと放映権という二本の柱を得て、自前で巨額の富を生み出す組織に変わった。富は権力を生む。W杯をどの国で開くか。出場枠をどの大陸にいくつ割り振るか。その決定権を握るFIFAの一票は、いつしか国家元首が頭を下げてでも欲しがるものになっていった。

アヴェランジェは1998年まで、24年の長きにわたって会長の座にあった。その間に、サッカー後進地域を支援する事業を進め、競技の世界的な普及に大きく貢献したことは事実である。一方で、彼が確立した「商業化と権力集中」の仕組みは、のちに深刻な副作用を露わにする。透明性を欠いた巨額のカネの流れは、腐敗の温床にもなりうる――その芽は、富が膨らんだまさにこの時期に、静かに植えられていた。

そしてアヴェランジェの傍らで、商業路線を実務で支えた人物がった。1981年に事務局長となったゼップ・ブラッター。彼こそが、この帝国を引き継ぎ、やがてその矛盾を頂点まで膨らませる男になる。その物語は、もう少し先で語ることになるだろう。

カネの帝国は、こうして築かれた。富が膨らみ、注目が集まり、世界中の視線がW杯という一点に注がれる。これほど巨大になった舞台には、それにふさわしい役者が必要である。

次回、その舞台に、ひとりの天才が現れる。彼は一個人でありながら、国家の宿命と国民の感情を、その小さな体に背負っていた。1986年、メキシコ。ディエゴ・マラドーナの物語が始まる。

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