ドルの世紀 — 管理通貨への転換
二つの大戦が金の鎖を断ち切った。大恐慌で各国が金本位を捨て、1944年のブレトン・ウッズ体制がドルを世界の基軸に据える。だが1971年、ニクソンはドルと金の交換を停止した。お金は何に支えられているのか――その問いが、ここから始まる。
2026年6月12日
前回、私たちは金本位制という仕組みを見た。それぞれの国の通貨が、定められた量の金と結びつき、その金を介して世界の通貨が一本の物差しでつながる。19世紀のロンドンを中心に築かれたこの秩序は、安定の象徴であると同時に、各国の手足を縛る硬い鎖でもあった。
その鎖が、20世紀の前半に断ち切られていく。きっかけは戦争と、未曾有の経済危機だった。本話で描くのは、お金が金という重しから少しずつ自由になり、やがて完全に切り離されていく過程である。お金は何によって価値を保つのか――金という確かな裏付けが消えたとき、人類はその問いに正面から向き合うことになる。
金の鎖が外れていく ― 大恐慌の衝撃
第一次世界大戦は、各国に巨額の戦費を強い、金本位制を一時的に停止させた。戦後、各国はかつての栄光を取り戻そうと金本位への復帰を急ぐ。しかし、戦前と同じ平価での復帰は、各国の経済力の変化に合わず、無理を重ねるものだった。
その無理が一気に表面化したのが、1929年に始まる世界恐慌である。株価の暴落から始まった危機は、銀行の連鎖倒産と深刻な不況を世界中に広げた。金本位制のもとでは、不況に苦しむ国も通貨を自由に増やせない。金の保有量に縛られて金融を緩められず、かえって苦境が深まったとされる。
耐えきれなくなった国から、金の鎖を外しはじめる。1931年9月、金融の中心地であったイギリスが金本位制を離脱した。これに連動して、イギリスと経済的な結びつきの深い諸国が次々と金本位を停止していく。アメリカでも、1933年に就任したフランクリン・ローズヴェルト大統領が、恐慌対策の一環として金本位制を停止した。
戦後の設計図 ― ブレトン・ウッズ体制
第二次世界大戦の終わりが見え始めた1944年、戦後の世界経済をどう立て直すかを話し合う会議が開かれる。舞台はアメリカ・ニューハンプシャー州の保養地、ブレトン・ウッズだった。連合国を中心に45か国の代表が集まり、二度と1930年代のような混乱を繰り返さないための国際金融の枠組みを設計する。
ここで生まれたのが、ブレトン・ウッズ体制と呼ばれる新しい仕組みである。その核心は、アメリカのドルを世界の中心に据えることにあった。アメリカだけがドルと金との交換を保証し、その公定価格は金1オンス=35ドルと定められる。そして各国の通貨は、このドルに対して交換比率を固定した。たとえば日本は、1ドル=360円という相場で結ばれる。
つまり、各国通貨はドルを通じて間接的に金とつながる構図である。金と直接結びつくのはドルだけ。世界中の国がドルを基準に通貨の価値を保つ、ドルを基軸とした固定相場制が始まったのだ。この体制を支えるために、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行)も設立された。
- 1929
世界恐慌が始まり、金本位制の硬直性が各国経済を苦しめる。
- 1931
イギリスが金本位制を離脱。連鎖的に各国が金本位を停止。
- 1933
アメリカのローズヴェルト大統領が金本位制を停止。
- 1944
ブレトン・ウッズ会議。ドルを基軸とする固定相場制を設計。
- 1971
ニクソンがドルと金の交換停止を発表(ニクソン・ショック)。
- 1973
主要国が変動相場制へ移行。お金は金から完全に切り離される。
なぜ、ドルが選ばれたのだろうか。戦争で疲弊したヨーロッパや日本と対照的に、アメリカは本土を戦場とせず、生産力を温存していた。さらに、世界の金の大半がアメリカに集まっていたともいわれる。圧倒的な経済力と金準備を背景に、ドルは「金と同じくらい信用できるお金」として、世界の基軸通貨の座についたのだ。戦後の貿易と復興は、このドルを土台に進んでいった。
ドルへの不信 ― 矛盾が膨らむ
ブレトン・ウッズ体制は、戦後の世界経済の復興を力強く支えた。しかし、この仕組みには初めから一つの矛盾が潜んでいた。
世界の貿易が拡大すれば、決済に使うドルが大量に必要になる。アメリカは赤字を出してでもドルを世界に供給しなければ、貿易は回らない。ところが、ドルが世界にあふれるほど、「このドルは本当にすべて金と交換できるのか」という疑念が強まる。アメリカが保証できる金の量には限りがあるからである。ドルを供給すればするほど、ドルへの信用が揺らぐ――この構造的なジレンマは、後に経済学者の名を取って「トリフィンのジレンマ」と呼ばれるようになった。
1960年代に入ると、アメリカはベトナム戦争の戦費や国内政策で支出を膨らませ、国際収支は悪化していく。世界に出回るドルはアメリカの金準備をはるかに上回り、各国はドルを金に換えようと動き始めた。アメリカの金は流出を続け、体制の土台が静かに崩れていく。お金が金に支えられているという建前と、現実とのあいだの溝が、もはや埋めようのないほど広がっていたのだ。
金との決別 ― ニクソン・ショック
その溝が決定的になったのが、1971年8月15日だった。アメリカのニクソン大統領がテレビ演説を行い、ドルと金との交換を停止すると発表する。世界に衝撃を与えたこの出来事は、ニクソン・ショックと呼ばれた。
それは、ブレトン・ウッズ体制の心臓部――ドルが金に裏付けられているという約束――を、アメリカ自身が手放したことを意味した。金1オンス=35ドルという公定価格は、ここに事実上の終わりを迎える。
交換停止のあとも、各国はすぐには固定相場をあきらめなかった。1971年12月、ワシントンのスミソニアン博物館で開かれた会議で、新しい交換比率が取り決められる。このときドルは切り下げられ、円は1ドル=360円から308円へと変更された。これがスミソニアン体制と呼ばれる枠組みである。しかし、金の裏付けを失ったまま固定相場を維持するこの仕組みは長続きせず、1973年には主要国が相次いで変動相場制へと移行した。
こうして20世紀の後半、人類のお金は5000年来の重しであった金属の裏付けから、ついに完全に切り離された。何によって価値を保証されるわけでもない、純粋な信用の貨幣――それが私たちの使うお金の正体となったのだ。金という錨を失ったお金は、もはや地中の金の量に縛られない。発行する側の判断しだいで、いくらでも増やすことができる。金の裏付けを失ったお金は、このあと無限に増えはじめるのだ。
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