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群衆の熱狂 ― バブルという名の罠

17世紀オランダの「チューリップ狂」、18世紀イギリスの「南海泡沫事件」。根拠なき高騰と崩壊は、たった一人のペテン師ではなく、群衆そのものが生む熱狂だった。なぜ人は皆が買うものを買ってしまうのか。バブルという罠の構造を、史実から静かにたどる。

2026年6月14日

前回まで、私たちは個人の詐術をたどってきた。偽の神託をかたる者、黄金をつくると約束する錬金術師。そこには必ず、だます「一人」がった。けれど、これから見る詐欺には、明確な主犯がわない。だます者とだまされる者の境界がぼやけ、群衆そのものが熱に浮かされていく——それがバブルである。17世紀のオランダで花の球根に、18世紀のイギリスで一枚の株券に、人々はありえない値段を払った。そして、ある日いっせいに我に返り、すべてが崩れ落ちる。この回では、根拠なき高騰と崩壊の二つの事例から、群集心理という名の罠の構造を見ていく。

  1. 1634

    オランダでチューリップの球根への投機熱が高まりはじめたとされる。

  2. 1637

    2月初旬、ハーレムの取引で突如買い手が消え、球根価格が数週間で暴落したと伝えられる。

  3. 1711

    イギリスで南海会社が設立される。国の債務引き受けと交易の独占を組み合わせた事業だった。

  4. 1720

    南海会社株が急騰のすえ暴落。多くの投資家が破産し、社会問題化した。

花一輪に、家一軒 ― チューリップ狂

17世紀のオランダは、世界でもっとも豊かな商業国家のひとつだった。東インド会社が富をもたらし、市民のあいだに余裕の資金が生まれる。そこに、トルコ方面から伝わった一輪の花が、思いがけない投機の対象になった。チューリップである。

とりわけ珍重されたのは、花びらに炎のような縞模様が走る品種だった。なかでも「無窮の皇帝(センペル・アウグストゥス)」と呼ばれた最高級の球根は、伝えられるところでは、アムステルダムで小さな家が買えるほどの値で取引されたという。当時の記録では、一個の球根に職人の年収を何倍も上回る額がついた例もあったとされる。花を愛でるためではなく、明日もっと高く売れると信じて、人々は球根を買いあさった。

ここに、バブルの最初の特徴があらわれる。値段が、その物の本来の価値から切り離されていくのだ。チューリップそのものは、相変わらずただの花だった。けれど「皆が欲しがっている」「明日はもっと上がる」という期待だけが値段をつり上げていく。誰も損をしたくないからこそ、買い続ける。降りるに降りられない椅子取りゲームが、国じゅうを巻き込んでいった。

そして1637年2月、終わりは唐突に訪れる。ハーレムの取引で、ある日突然、買い手がつかなくなったと伝えられる。一人が売れば、もう一人も不安になって売る。値段の支えだった「皆の期待」が崩れた瞬間、価格はわずか数週間で暴落した。昨日まで家一軒の値打ちだった球根が、ただの花に戻ったのだ。

国家を巻き込んだ熱狂 ― 南海泡沫事件

チューリップ狂が花をめぐる熱狂だったのに対し、約80年後のイギリスで起きた「南海泡沫事件」は、もっと大きな仕掛けを伴っていた。舞台は、国家財政そのものだ。

南海会社は1711年に設立された。表向きの目的は、南アメリカ方面との交易の独占だった。けれど、この会社の真の役割は、ふくれあがったイギリスの国家債務を引き受けることにあった。会社は政府の借金を肩代わりするかわりに、特権と将来の利益への期待を手にする。やがて人々は、この会社の株を持てば莫大な富が得られるという話に酔いはじめた。

1720年、株価は熱狂的に上昇する。記録によれば、年初に一株あたり百ポンド台だった株価は、夏には千ポンドを超える水準にまで跳ね上がったと伝えられる。誰もが乗り遅れまいと殺到し、南海会社の成功を見た投機家たちは、根拠の乏しい新会社を次々と立ち上げて資金を集めた。なかには、事業内容を明かさないまま出資だけを募る、実体のない会社まであったと記録されている。

ここでも、構造はチューリップ狂と同じだった。会社の実際の事業がどれほどの利益を生むのか、冷静に確かめた者はわずかだった。人々が買ったのは、事業ではなく「上がり続ける」という物語だったのだ。そして物語が信じられなくなった瞬間、千ポンドを超えていた株価は、その年の暮れには百ポンド台へと崩落した。多くの投資家が財産を失い、議会が調査に乗り出す大事件となった。

なぜ人は、皆と同じものを買うのか

二つの事件を並べると、バブルが個人の愚かさの問題ではないことが見えてくる。チューリップを買った人も、南海会社の株を買った人も、当時としては合理的に振る舞っていたのかもしれない。「皆が買っている。値は上がり続けている。今乗らなければ損をする」——その判断は、その瞬間だけを切り取れば、決して非常識ではなかったのだ。

ここに、群集心理という罠の核心がある。人は、自分一人で価値を判断するより、まわりの行動を手がかりにする生き物である。多くの人が買っているという事実は、それ自体が「安全だ」という錯覚を生む。皆が信じているのだから間違いないはずだ、と。けれど、その安心の土台は、他人もまた同じように「皆が信じているから」と考えているだけの、中身のない合意だった。誰もが他人を根拠にしているとき、そこには本当の根拠がどこにもない。

そして、この後の連載で見ていくように、こうした群衆の熱狂は、より意図的な詐欺へと姿を変えていく。チューリップや南海会社には、少なくとも実体のある花や事業があった。けれど、人々が「上がり続ける」という物語だけを買うのなら——その物語さえ用意できれば、実体などなくても人を集められるのではないか。後から入った人の金で、先に入った人に配当を払い、繁栄を演じてみせる。その危うい発想に、20世紀、一人の男がはっきりと名前を与えることになる。バブルが群衆の自然な熱狂だったとすれば、次に登場するのは、その熱狂を意図して設計しようとした者の物語である。

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